第5話 奔走する魔王の娘
お母様は可愛らしい人だった。
好きなものはお花とお菓子、なんとも乙女な趣味だ。
その二つを好きになったきっかけは、人間の国の影響らしい。
お母様はよく人間の国に遊びに行っていた。
一応魔王の妃という建前もあるのでお忍びかつ魔族代表の親善大使として。
お母様が人間の国から帰った次の日にはダイニングに花が飾られた。
魔族の国の大地は植物が育ちにくく、花が咲きづらいからだろう。
花についてお母様はこう語っていた。
「バラが一番好きなのはね、見た目の美しさもそうだけど紅茶も美味しいのよ。ローズヒップティー、ケーキとよく合うの」
言いながら、お母様はお菓子を毎日作っていた。
お菓子の作り方も人間の友達から教わったらしい。
そんな女性らしさ溢れるお母様だけど、教育の場では少し厳しかった。
魔王であるお父様と同様、礼儀を重んじるようにといつも言われてきた。
「クララ。将来素敵な男性に会えたときのためにも礼儀正しい女性になりなさい。でもティータイムだけは、全部忘れて好きなように振る舞っていいわ」
厳しくも優しい、そんなお母様が私は大好きだった。
そんなお母様とのティータイム、こんなことを聞かれた。
「クララは将来どんな男性と結婚したい? お父さんみたいな人?」
「お父様は……顔がこわいからやだ。優しい人が良い」
「優しいかぁ。他には何かない?」
「うーん、お菓子くれる男?」
「あらやだ危ない。お菓子買ってあげるからー、なんて言う人に碌な男は居ないって聞いたことがあるわ。お母さん心配」
「むぅ。じゃあ、お菓子作れる男」
「んー……そうね。お菓子作れる人に悪い人は居ないわ」
「うん。毎日作らせる」
思えばお母様は私の将来の結婚相手について、随分気にかけていた。
魔王の娘なのに戦いを強いられなかったのも多分お母様のおかげ。
一番気になったのは、お母様が私に問う際に使用していた一つのワード。
「どんな"人"と結婚する」か、その表現は意図しないものか、それともわざとだったのか。
お母様は私にどうして欲しかったのだろう。
その答えは、もう聞くことができない。
「母は災害に巻き込まれて死んだ」
お父様から告げられた。
人間の国で災害に巻き込まれたらしい。
どれだけ望んでも、お母様との幸せな時間はもう帰って来ない。
私はただお父様が望むように、お母様がかつて望んだように、礼儀を身につけるだけ。
「また食べたいですね……お母様のお菓子……」
ティータイムの来ない、空虚な日々を過ごすだけ。
◆
◇
「どうしましょう……早くリスタ様を助けて差し上げなくては……!」
人間で勇者な彼が、魔族の私にも優しくしてくれた。
人間の街で困っているところで声を掛けてくれて、お菓子を作ってくれて、一晩泊めてくれて、買い物にも付き合ってくれた。
だから今度は恩返しをしようと、思い切って家に招待することにした。
結果、彼は檻に閉じ込められてしまった。
これでは恩を仇で返しているようなものだ。
「だから……一刻も早くこの部屋を出ないと」
檻では無いけれど、私も自室に閉じ込められていた。
部屋の外には一人の見張り、部屋に鍵はかかっていない。
今なら行けるはず。そう思い、扉を半分開けた。
「あの。そろそろ出してくれても良いんじゃなくて?」
「すいやせん姫。ザハール様に見張っておけと言われてるんすよ」
ザハール。四天王最強を自称する男。
堅物で、偉そうで、一番苦手なタイプだ。
そして見張りの男はザハールの部下、この男はザハールほど厳しくもない。
というか、非常に軽薄そうに見える。
彼なら説得するのも容易そうだ。
見張りの男の表情をしばらく見つめる。
「な、なんすか姫? そんな見られてもダメなもんはダメっすよ?」
「……あなた、お酒がお好きなようですね」
「へ?」
突然の問いに困惑する見張り番。
私は追撃するように、今得た情報を彼に開示する。
「ザハールの酒蔵、100年モノのワイン」
「ん……え!? ちょ、何故姫がそれを……!?」
「眠らせておくだけで飲まないなら差し替えてもバレやしない、ですか……ザハールにこの事を伝えたらどうなるでしょうね?」
ダラダラと冷や汗を流し始める見張り番。
彼の秘密については元々知っていた訳では無い。
今彼の顔を見て読み取った情報だ。
魔王の血族が持つ、心を読む力で。
「あの……姫。どうか、どうかこのことはご内密に!! でないと俺、斬り刻まれちまう……!」
「でしたら、今どうすべきか分かりますね? 私はあなたの愚行を見逃す。代わりにあなたは?」
「はい……姫を見逃しやす……」
「よろしい。あなたはそのまま見張りを続けてください。私がまだ部屋に居る体で」
見張り番を裏切らせ、新たな司令を下して廊下を走る。
今はとにかく急がねばならない。
彼が無事なうちに、助けに行かなくてはならない。
「リスタ様を助ける。そのためにも早く父の元へ……!」
◇
玉座の間。
魔王城の最上階中央、最も目立つ場所に魔王は腰を据える。
それが昔からの仕来り、向かい来る勇者に対する魔王の礼儀らしい。
その間に私は勢いよく飛び込んだ。
「お父様! 折り入って……ご相談が……はぁはぁ」
「クララか。息を切らすほど走るとは、令嬢の所作として相応しくないな」
「それは……申し訳ありません。ですが今は……!」
対面するだけで感じる威圧、やはり父は怖くて苦手だ。
それでも今は伝えねばならないことがある。
それなのに、父は私の言葉を遮る。
「おつかいは、無事遂行できたのか?」
「おつかい? ああ……バラの花束であればここに」
「ほう。随分立派な花束だ。母も喜ぶことだろう」
「あ、ありがとうございます。それはリスタ様に選んでもらって……そうです! リスタ様です!」
珍しく褒めてもらえたことに舞い上がりかけたが、すぐにここへ来た目的を思い出す。
対して父は、私が口にした名前に反応する。
「リスタというのは、お前がこの魔王城に招いた勇者のことだな」
「っ……重ねて謝罪致します。しかしリスタ様は! 彼は……魔族にも優しい好青年です」
勇者を魔王城に招き入れる。
魔王への反逆とも取られかねない行動をしていることは理解している。
それでも……。
「例え勇者だとしても、私に幸せを思い出させてくれた――――私の大切な客人なのです!」
必死に訴える。
彼が魔族にとって悪い人間ではないことを。
私にどれだけ大切な存在かを。
「だからお父様、どうか……私にできることなら何でもしますから!」
私は今まで、父に何かを願うことはしたことがなかった。
向かい合えばいつも気圧され、ただ指示に従うのみ。
理想の姫を演じ、父の機嫌を取ることに必死だった。
これは、そんな私にとって初めての、父へのワガママ。
「これ以上、私から幸せを奪わないでください……」
床に手をつき、膝をつき、涙で濡らす。
きっと父は呆れているだろう。礼儀がなっていない、と。
案の定父はため息を吐き、呆れたような物言いをする。
「……何か勘違いしているようだが、勇者なら既に解放している」
「え……?」
「勇者の幽閉は手違いだ。人間の恨みを買うような真似、我は望まない」
想定通りの反応ながらも、言葉は想定外のものだった。
恐る恐る質問する。
「では……彼はどこへ?」
「――――約束を果たしに」
◇
◆
「初めましてだな、勇者の器よ」
「初めまして魔王。あんたが……クララの父親だな?」
挨拶のみで場に緊張が走る。
少なくとも勇者はそう感じていた。
しかしその緊張は、魔王も望んではいなかった。
「安心しろ。今貴様をどうこうするつもりはない」
「それは……今だけの話か?」
「ふむ……種族間の話であれば和平を申し出たいくらいだ。それが亡き妻の願いだからな」
亡き妻と聞き、勇者は警戒を解いた。
魔王の妻、それは先程まで行動を共にしていた少女、クララの愛する母親のことだと気づいたから。
「それに貴様を亡き者にすると娘に泣かれるのでな」
「クララが? まだ出会って二日も経ってないが」
「見ていれば分かる」
「見ていればって……まさかずっと監視でもしていたのか?」
「? 監視無しに人間の国へ愛娘を送れるわけがないだろう」
「マジだったのか……」
「だから貴様を監禁する理由もない。娘の元でも、どこへでも自由に行くと良い」
魔王の言葉に思わず脱力する。
結局のところ、魔王も一人の親だと知ることができたから。
弛緩した気持ちのまま、勇者は魔王に願いを伝える。
「ならさ。厨房貸してくれないか?」
◆
◇
小走りする。
急ぎつつ、息を切らさぬよう、礼儀を見失わぬように。
これから出会う男性に、失礼がないように。
そうしてようやく、厨房へと辿り着く。
「りすた、さま」
「――――待っていたよ、クララ」
たどたどしい人間語でも、彼は優しく返事を返してくれる。
それどころか長々と語り始める。
「ここは凄いな。広いキッチンに豊富な食材。思わず色々作りたくなってしまった。アップルパイにガトーショコラ、もちろんシフォンケーキも。もう少しで焼き上がるからさ、しばらくお待ちいただけるかな」
まるで新しい玩具を与えられた子供のように、彼は目を輝かせていた。
本当にお菓子作りが好きなようだ。
その姿を見て少しだけ……イラッとした。
「……たのしそう。しんぱいしたのに」
「はは、それは申し訳ない……お詫びと言ってはなんだけど、リクエストがあればなんでもどうぞ?」
今回は彼の人間語が正確に理解できた。
謝罪の言葉と、"なんでも"という言葉。
それすなわち、私の願いをなんでも叶えてくれるということか。
思わず笑みを零し、私は願いを告げる。
「じゃあ、いっぱいおかしつくって」
「今作ってるよ?」
「いっしょう、つくって」
「一生と来ましたか……。まあなんでもするって言っちゃったし、いいよ」
彼は私を拒絶しない。
優しい言葉で私を受け入れてくれる。
だから私も遠慮せずに、ワガママを言ってしまう。
きっとこの世界で一番、私に優しくしてくれた男だ。
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