17.その因縁、三代につき

 メラニーは、毎日泣きながら謝罪文を綴った。手首が痛くてもう書くことができない、と裁判所に泣きついたが、裁判所は帝国皇子が認めた内容を実現しないわけにはいかないと突っぱねた。なお、ローザ国内では「ディヒラー伯爵令嬢がレナータ辺境伯に喧嘩を売った結果、片腕を失ったらしい」との噂が広まっている。

 また、王室裁判にて、ディヒラー伯爵は王宮からの一族更迭と爵位剥奪が決定された。原因は、自らが領地において働いていた詐欺のほか、王宮における背任、横領行為など、枚挙にいとまのない罪だった。

 そうして、ディヒラー伯爵は、家や金品はもちろん、領地をすべて失った。家財道具から宝飾品類、それに衣類まで、レーガー家は伯爵家のあらゆるものを差し押さえ、文字通り身ぐるみまで剥いで換金した。

 領地がないのであれば、最早国内にディヒラー伯爵の居場所はない。加えて「令嬢は帝国皇子の怒りを買った」という噂のせいで、国内で身を寄せる場はなくなった。もちろん帝国に移ることもできない。

 現在、ディヒラー一家は、使用人も連れることができず、家族だけで西方の片田舎へと移っている、その道中だ。



「はあー、疲れたあー」


 ディヒラー一家の動向を知らせる書簡を放り投げ、ゴキゴキとレナータは首を鳴らす。クロードがそれを拾い上げて机に置きながら「お疲れ様でした、お嬢様」と紅茶を差し出した。


「なかなか、長かったですね」

「裁判をするとさすがにね。でも異例の速さよ、もともとメラニーの主張が言いがかりじみてたのと、初回期日でディヒラー一家の失脚を示唆したお陰ではあるけれど」


 身分を結果に反映させるような裁判所であれば、それを逆手に取ればいい。明らかに優位にあるのがどちらかを示せば、裁判官は簡単に手のひらを返す。


「利用しておいてなんだけれど、ローザ国で中央裁判所の役割を果たす、権威の王室裁判所があの有様なんて、恥ずかしくて仕方がないわよね。ミスター・ディヒラーのこともそう、私が告発するまでにどれだけ私腹をこやして、どれだけの領民が割を食っていたのかしら」


 ローザ国王室は、この国を治めるのに力不足だ。紅茶を口に運びながらぼやくのを聞いても、クロードは諫めることしかできない。


「まあ、そうおっしゃらず。エーリヒ殿下がまたいつ訪ねてくるとも分かりませんし」

「聞かれても構わないわよ。エーリヒ殿下ったら、本当に右へ左へと流されるばかりなんだもの。もし殿下が――」


 話の途中で扉がノックされ、客人があることが知らされた。

 カールハインツのお出ましだ。レナータは慌てて紅茶のカップを置く。


「カッ……あの、変態皇子がいらしたのね! 今すぐ支度するわ、クロード、着替えるから出て行って!」

「……その恰好のままでもよろしいのでは?」


 以前、カールハインツが屋敷を訪ねてきたときも、いま着ている商談用のドレスを着ていて、それでいいと言っていたではないか。

 だが、今日のレナータは首を横に振る。しかも「いえ、帝国皇子の前なんだから身形は整えておかないと!」とそれらしい言い訳まで述べて。

 これは、幸先が悪い。クロードは顔をしかめたが「早く出て行って!」と部屋を追い出されては、何も言えなかった。

 レナータが着替えて応接間に降りると、カールハインツは、まるで昨日もそこに座っていたかのようなリラックスした様子で席に着いていた。


「やあ、久しぶりだね、レナータ」

「ええ、ご無沙汰しております……」


 こうして間近で会うのは実に一ヶ月ぶりだ。しかし、たった一ヶ月で何が変わるはずもないのに、顔つきが少し変わったように見える。

 もともと顔だけは良いと思ってはいたが、どのパーツをとっても美しい顔以外できあがるはずない完璧な形で、そしてそれが完璧な位置に収まっている。中でも、見る位置によってほんのすこし明るさを変える太陽色の目が魅惑的で、正面に立つと心が焼かれてしまいそうだ。

 おかしい。もしかしてカールハインツは途中で何者かと入れ替わったのだろうか、レナータは大真面目に考えこんでしまった。変態皇子だったはずだが、こんなに魅力的な――。

 コホン、と背後でクロードが咳払いした。それを受け、やっと我に返る。


「って、そうではありません、殿下」


 テーブルに手をついて、ずいっと身を乗り出した。いつの間にやら耳が熱いが、きっと気のせいだ。

 すると、「手土産に」と小包が差し出される。


「……手土産」

「ラムレーズンケーキだよ、口に合うといいな」

「あっありがとうございます! 大好物で……」


 いや、そうではない。クロードに小包を預けながら、レナータは頭を振った。お菓子につられている場合ではない。


「なぜ、裁判においてあのような登場をなさったのです。なぜ!」

「いつも毅然と振る舞う君も素敵だけれど、慌てる君も可愛かったよ」

「かッ……」

「お嬢様」


 クロードはもう一度声をかけるが、レナータは顔を真っ赤にして「カッカッカ……」と妙な吃音を発するだけになってしまっている。クロードはやむを得ず、仕事の書簡を差し出した。


「お嬢様、こちら準備を頼まれていたミスター・ディヒラーの領地だった土地の租税に関する書面です」

「……あ! ああ、ええ、はい!」


 正気に戻すには辺境伯の立場を意識させるほかない。レナータは書簡を受け取ってから「そう、そうそう、この話を今日しなければならないんですよね!」とニワトリのように首を振りながら対面に座る。


「で、えっと……。……えっと、いえそうではありません! 私は裁判であのような登場の仕方をした理由をお尋ねしているんです! あの瞬間、私は本当にメラニー相手の裁判は取り零したものとヒヤヒヤしたのですよ!」

「まあまあ、分かりきった話はいいじゃないか。それよりディヒラー家に対する仕打ちは怒涛の勢いで、しかもさすが綿密だったね。完膚なきまでにとはこのことだ」


 いや、なにも分かっていないのだが。レナータは頬を膨らませるが、「告発の件も」と続けられて口を挟む間がなかった。


「ディヒラー家から領地を剥ぎ取ったのはそのためだったのかな?」

「……まあ、半分は。土地を巻き上げるだけでは親族に泣きついて終わったかもしれませんし、他の誰もがミスター・ディヒラーに手を差し伸べるのを厭う理由が必要だったのです」


 そのためには、ディヒラーに爵位を返上させるのが一番いい。そしてその理由は悪質な犯罪、特に王族に離反するものであれば完璧だ。

 そう考えたとき、罪を暴くまでの道のりは長くとも、一度辿り着けば話は簡単だった。もともと、ディヒラーは王宮で現在の地位に就いてから――といっても既に追放されたが――妙に羽振りがいいと言われていたのだ。


「ミスター・ディヒラーは徴税官だったでしょう? 彼は四半期に一度領地の税率を吊り上げて重税を課しつつ、国へは不作による特別減税を申し出て、税収と納税の差を領得していたのです。これが告発した横領罪ですね」

「そんな資料をどうやって手に入れたんだい」

「彼の領地を買い占めた結果、彼の悪行が判明したのです。貧乏貴族や農民を相手にレーガー家が金を貸し、その担保と称して土地の権利証を奪い、これに乗じて権利者を自身に書き換えていたという詐欺罪ですね。同じ徴税官の立場にある者にこれらの情報を渡す代わりに資料をいただいたのです」


 王宮官僚なんて、お互いを蹴落としてなんぼ。ディヒラーの弱味を渡せば、喜んで堅牢な錠を開けてくれた。だから、詐欺罪に関して告発したのは彼のライバルだ。


「お陰で背任罪まで明らかになりましたね。どうやら王宮にて親戚の納税額が小さくなるように書き換えて便宜を図っていたようで……」


 ディヒラー伯爵には昔からきな臭いところがあり、父の仇であったこともあって、レナータはその動向に注意を払っていた。ただ、どうしてもグレーな取引が多かったうえ、領地の内情が絡んでくると外部から干渉できず、探ることができないでいた。

 それが、メラニーとミスター・ディヒラーともども追いつめるために画策する中で思いがけないチャンスを掴めるとは。父の仇だと知ったときに行動していればもっと早く暴けたかもしれないが……あの頃の自分では手を貸してくれる者はいなかっただろう。そう考えると、今回が絶好のタイミングだったのだ。


「非常に時間と労力がかかりましたが……ディヒラー家は文字通り身一つで国外へ向かっているようで、よかったというのはおかしな話ですが、人心地ついたところです」

「身一つか。じゃあ、件のペンダントも、いまは市場に出回っているのかな?」

「いえ、あれはメラニー様が身に着けたままのはずです」

「レーガー家はあのペンダントを見逃したのか。確かにあれは随分な安物だが」


 デザインは多少珍しいが、使われている石はありふれたものだし、製造者も名の売れた職人とは言いがたい。それを思い出しながら、カールハインツは首を傾げた。


「ハゲタカのほうが彼らより良心的だとさえ思っていたけれどね。死守したということかい?」

「いえ、貸金を回収しきれなかったレーガー家の嫌がらせだと思います。メラニー様は、今後あのペンダントを見る度に羞恥心に襲われるでしょうから」


 売ったところで二束三文にしかならないし、せいぜい大事に持っておくがいい。レーガー家がそんな嫌がらせを口にするのが目に浮かぶようだ。


「そういえば、あのペンダントは君のペンダントとと全く質が違うが、それにしては妙なところでデザインが類似していたね。なにか関係があるのかい?」

「ええ。メラニー様のペンダントは私のペンダントの贋作なのです」


 今まで本人にも言わずに黙っていたことだが、もう気遣う必要はあるまい。しれっと答えれば、カールハインツは珍しく間抜けな顔をした。


「……贋作?」

「はい、私のペンダントの、贋作です」


 レナータのペンダントは、祖父が勲章を得た際、自身の勲章に似せたペンダントを作らせて祖母にプレゼントしたものだ。勲章に似たペンダントというものは斬新で、あらゆる友人がそれを羨ましがったという。そんな中、ある一人の友人が、あまりにしつこく譲ってくれと頼んだ。譲ってくれないのならレプリカでも構わない、と。祖母は「夫がプレゼントしてくれたものだから」といずれも拒絶したが、ある日、勝手に同じものを作られていたことが判明した。どうやら、承諾してくれぬならと遠くから見よう見真似で同じものを作ったようだ。


「感心するほどの強欲っぷりだね。祖母君はお怒りだっただろう」

「というより、祖父がですね。ただ、よくよく見ると全く別物だったので溜飲を下げたようです」

「というと?」

「祖母のペンダントはオーシャンサファイアが使われておりましたが、ご存知のとおりおいそれと手に入るものではありませんし、銀細工もかなり凝っておりますので、遠目には真似できないのです。ですから間近で見ると全く違うことが明白だったのかと」


 まるでお伽噺のような話に、カールハインツは呆れる通りこして笑ってしまった。そのペンダントを巡りトラブルに巻き込まれるところまでがセットだろう。実際、メラニーが引き金を引いたとはいえ、狡い方法で手に入れたペンダントを発端に、ディヒラー一家は没落してしまったというのだから、面白いものだ。


「それで、君はメラニーのペンダントが、君の祖母のペンダントの模造品だと知っていた?」

「ええ。この話は母が祖母から聞いたもので、私も母からよく聞いておりましたし、当時と今とでは勲章の形も違う。祖母の時代の勲章をモチーフにして作られたペンダントと同じ形のものがあるなんて、偶然ではないと、そう思っていました」

「では、メラニーは? この話を知っていた?」

「少なくとも安物であることは分かっていたはずです。模造品のほうには、万が一の言い逃れのために『copy』と刻んであるそうですから」


 でも、何も言わずにいた。だって、メラニー自身に罪はない。祖母から受け継ぐ際にどんな話を聞かされたのか分からないし、メラニーにとっても祖母からもらった大事な品という意味があるのなら、あえて指摘しなくてもよいと思っていた。

 それなのに、この有様だ。レナータは改めて溜息を吐いたが、もう疲労ゆえではなく、長く――本当に長く続いてきた、ひとつの事件がきちんと決着したことに対する安堵ゆえだった。


「ときには大きな態度で出ることも大事なのですよね。私が時には黙るもよし、なんて殊勝な態度に出たのがメラニーの前では間違いだったのかもしれません。反省しております」

「まあ、ディヒラー伯爵共々成り上がりだからね。なかなか政治が分からないというか、いっときの感情だけで後先考えずに猪のように突っ走るところがあるんだろう。その点、君は違うね」


 ふ、と感心のあまり思わず零してしまったような、そんな微笑が向けられた。


「さすが、エッフェンベルガー辺境伯だ」


 たったのその一言で、じんわりと、レナータの胸が熱くなる。

 レナータのことを、ただ機械的に爵位を継いだだけの“名ばかり辺境伯”と侮る者もいる。しかし、それはレナータの当主就任経緯しか知らぬ者ばかり。レナータは、辺境伯としてあちこちの交易の利権を握り、ヘルブラオ帝国の貴族・商人さえ相手に取引してきた。

 だから、レナータが領地を背負い立ち、確かな実力を備えていると知る人々は、敬意をこめて“エッフェンベルガー辺境伯”と呼ぶ。

 つまり、カーツハインツは、レナータを“エッフェンベルガー辺境伯”と呼ばれるに相応しい実力の持ち主だと認めてくれたのだ。帝国皇子としての立場から。


「光栄です、カールハインツ皇子殿下」


 頬を染めて微笑んだレナータには、少女らしさを残しつつも辺境伯の誇りに裏打ちされた自信が宿っていた。

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