第12話 懐かしい夢

――ドン、ドン、ドン、ドン……


 一定に刻まれる重低音に横隔膜を震わせて、円形に設けられたバトルフィールドの一端に立つ。その枠線ギリギリまでを三百六十度埋め尽くすのは、期待に満ちたオーディエンスだ。MCが“タック”の名を呼べば地響きのような歓声が沸き起こる。それに拓実は手を振って応えるが、内心は緊張感でいっぱいだ。


 フィールドの向かいからは対戦相手の鋭い視線が突き刺さる。絶対王者の名を冠するようになってから、拓実に向けられる視線は二種類だ。今回の相手のように、お前を潰して名を上げてやるという挑戦的なもの。そして尊敬や憧れといった好意的なもの。対極にあるようなこの二つが、実はどちらもプレッシャーになるのだから、王者というのは楽じゃない。


 そう、大物扱いされる程、拓実には多大なプレッシャーが圧し掛かるようになった。


 もし流れた曲に乗れなかったらどうしよう。

 振りが全く浮かばなかったら?

 動いてみたところで拍子抜けだと嘲笑われたら?

 ブーイングの波に飲まれたら?


 そんな不安が渦巻いて緊張を加速させるが、しかしそんな緊張感が高揚を引き起こすのもまた事実だ。ダンスバトルは磨いてきたスキルに加え、一瞬の閃きが物を言う。そのスリルが溜まらない。怖いはずなのにドキドキしてわくわくして、早く早くと気持ちが逸る。


 そうしていざやってきた自分のターン。フィールドの中心へ勢い任せに踊り出ると、その瞬間に一切の不安は消し飛んだ。

 音楽が瞬時に身体とコネクトする。考えるまでもなく、自然と手足が動き出す。鳴っている音を、詞を、全身に取り入れて表現へと昇華する。

 これに好反応が返ってくれば、アドレナリンが噴出した。ナーバスになっていたのが嘘みたいに楽しくて、この瞬間に命が尽きても本望だと、全身のリミッターを外して踊りまくる。

 音楽と歓声と、フロアを擦るスニーカーの音。歓喜の渦。心臓の鼓動。

 会場は熱狂に包まれて、拓実はこのままいつまでも踊っていられそうだと思ったが――


『間もなく、板橋、板橋。お出口は……』


 拓実のバトルは、女性のアナウンスの声によって唐突に打ち切られた。そして押し合いへし合いの乗降の流れに揉まれ、ここが埼京線の中だと思い出す。どうやら出勤中に眠り込んでしまったらしい。つり革にさえ掴まれれば眠りの世界へ旅立てるのは、社会人になってから身に着けた自慢にならない特技である。

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