第8話 で、俺が神ってどういう事?

 ◆◇◆


 拓実はストレスの蓄積が許容量を超過すると、ガス抜きの為にスタジオを訪れる。学生時代に趣味としていたダンスによって汗を流し、身心のデトックスを図るのだ。


 しかし、二時間の枠で予約を取っておきながら、最後まで踊り切れる事は滅多にない。ごくたまにしか踊る機会がない為に体力が付いて行かず、いつも途中でフロアに倒れ、ぐぅぐぅと眠ってしまうのである。


 だが、まさか自分の予約時間を超過して眠りこけてしまうとは。次の客の予約時間を侵害するなんてとんでもない失態だ。だから厳しく糾弾されても仕方ない……とは思ったが。


「あ、あの、本っ当に痛いんで! 手離してもらえないですかね⁉」


 拓実は必死になって訴えた。むんずと前髪を掴まれて、頭皮が悲鳴を上げているのだ。これはさすがに「仕方ない」と思える範囲を超えている。


 すると前髪を掴んでいた金髪男子は、意外にもあっさりと「あ、ごめん」と手を離した。その様子からすると、利用時間オーバーに腹を立てての無体ではなかったようだ。

 なんにせよ、髪が抜ける前に解放されホッとした拓実だが、それも束の間。その金髪男子は今度は拓実の両肩をガッと掴み。


「ねぇ、あんたタックでしょ? タックだよね⁉」


 高揚した様子で尋ねてくる。その勢いに圧倒されるように、

「え? あ、あぁ……昔はそう呼ばれてましたけど……」

 拓実はそう答えるが、しかし頭上には多くの疑問符が舞っていた。だって、意味がわからない。何故自分の昔のあだ名を、初対面の若者が知っているのか。見たところ相手は二十歳そこそこのようだが、この年代の知り合いはいなかったはずである。


 しかし相手は拓実を確かに認識しているらしく。

「すご……やっぱ本物だ……!」

 そう感激の声を漏らすと、辛抱堪らんという様子で思い切り飛び着いて来た。

「えっ――な、何何何⁉」

 突如のスキンシップに拓実は動転するのだが、相手は一切お構いなしに、もう一人のドレッド男子へ語り掛ける。

「ねぇキヨ、俺決めた! つかこれ絶対運命だわ! キヨもそう思うっしょ⁉」

 そう問われたドレッド男子は信じられないという様子で拓実の顔を見詰めていたが、やがて「そうだな、決まりだわ……」と頷いた。


 どうやら彼らの間ではなんらかの話が進んでいるようなのだが、拓実にはなんの事やらわからない。なので一先ず、話を戻す事にする。

「あの、すいません。とにかく俺はお金払って出て行くので、まずは離してもらっていいですか?」

 そもそもはそういう話だったはずである。相手が自分を知っているらしい事には驚いたが、なんにせよ拓実のすべき事は支払いだ。

 すると金髪男子は即座に身体を離したが、真剣な顔で首を振った。


「いや、もう金とかいーよ。その代わり、ちょっと話聞いてくんない?」

「へ? 話?」


 拓実は眉間に皺を寄せる。スタジオ代の支払いを断ってまで、一体なんの話があると言うのだろう。そもそも今は彼らのスタジオ予約時間だろうに、練習しなくて良いのだろうか……訝しみつつ相手の顔を眺めていた拓実だが、そこで一つ、気が付いた事があった。


 それはこの金髪男子が誰なのか……という話ではない。

 ただ単純に、彼がとんでもなく整った顔の持ち主だという事に気付いたのだ。


 きゅっと小さな顔の中、気怠げな目、高い鼻、薄い唇……美しいパーツ達が最も魅力的に見える位置に配置されている。肌のきめ細かさは手入れの行き届いた女の子と張り合える程だし、佇まいにもなんとも言えない雰囲気が漂っている。


「うわ……キミ、物凄いイケメンだなぁ」


 余りにも感心してしまい、思考がそのまま滑り出る。大人として余り褒められた事ではないだろうが、拓実は本当に感激屋で、良いと思った事は深く考えず口に出してしまうのだ。


 そうして男子の顔に見惚れていると、とんでもない事が起きた。その金髪男子がギシッと固まり、かと思うと次の瞬間、白目を剥きそのまま後方へ倒れ込んでしまったのだ。

「わ、わぁぁっ! どどどどうしたんだ⁉」

 突如の事に拓実は慌てふためいたが、金髪男子の身体はドレッド男子によってしっかりと受け止められた。これに拓実はホッとして、「良かった、ナイスキャッチ……」とドレッド男子を労うが、こちらもまた改めて見ると、イケメンと呼ばれるべき男子であった。ガタイが良くワイルドで、少し粗野な雰囲気のある顔立ちは、男が惚れる男と言った風情である。

 彼はボリュームのある髪をわさつかせながら頭を下げて。


「あー、すんません驚かせて……でもコイツにとって、あんたに褒められるってのはそれ程とんでもない事なんスわ」

「へ――え、なんで?」

「コイツにはあんたって、神みたいなモンなんで」

「神……って、はぁ?」


 拓実はぱしぱしと目を瞬く。だって……神様? 自分が褒めたから倒れ込んだ? ……駄目だ、説明される程に意味がわからなくなってくる。


 拓実が困惑していると、ドレッド男子は金髪男子を床に寝かせた。そして改めて拓実の前へと進み出ると。


「つか、覚えてないスか、俺らの事」

「え?」


 問われて拓実はギクリとした。この言い様、一方的に知られているだけではなく、自分達には面識があったという事だろうか。もしそうならば、思い出せないのは失礼になってしまう。


 拓実は慌て、もう一度記憶を浚ってみた。古いものから最近のものまで、あらゆる記憶の引き出しを開け、この若者達二人の事を思い出そうと試みる……が。

「うーん、ちょー……っと、わからないかも……?」

 非常に気まずいが正直に白状する。こんなにも華のある二人組、一度会ったら忘れないと思うのだが、どうにもこうにも記憶にない。


 こんな回答で申し訳ないが、しかしドレッド男子には、気分を害した様子はなかった。むしろそりゃそうかというように肩を竦めて。

「や、謝る事ないスわ。会ったのはもうずっと前だし、覚えてなくても当然……けど、俺らはあんたを覚えてる。俺ら、九年前のダンスバトルで、あんたと戦って負けたんスよ」

「九年前……?」


 そこまで言われて、拓実はようやく思い出してきた。

 如何にも自分は、かつてダンスバトルに出場していた事がある。タックというのもその時の呼び名だが、当時、そう言えば一度だけ、少年達のチームと戦った事があったような――……成る程あの子達が、今、目の前にいる彼らなのか!


「そう……そうかぁ! うわーごめん、ここまで成長されちゃうとさすがに全然気付けなかった! それに今でも俺の事を覚えてる人が居たなんて……と言うかこんな風に再会するなんて事があるんだなぁ⁉ あ、もしかして話って、当時のバトルの事とかか?」

 相手の正体がわかると懐かしさと親近感がこみ上げて、拓実は畏まった態度を放り捨てて問い掛けた。彼らが聞いてほしいと言う「話」とは、当時の思い出話かと。


 だがドレッド男子は、わさわさとかぶりを振った。

「や、まぁ当時俺らが受けた衝撃を伝えたいのも確かにあるけど……聞いてほしいのは、この先二カ月の話っス」

「この先二カ月?」


 拓実は鸚鵡返しして首を傾げる。思い出話ならば自分にも関わりがあるが、そうではなく、この先の話? それがどう自分に関係するというのだろう……?

 拓実は怪訝に思ったが、しかしスタジオ使用時間超過という負い目がある以上、それがどんな話にしろ、素直に聞くより他にはなかった。

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