第7話 九年越しの再会

「つかキヨだって、どうせ組むなら心底認められる奴がいいっしょ? そうじゃなきゃ楽しくないし、評価してないのに誘うんじゃ相手にだって悪いしさぁ」

「そりゃぁ、まぁ……」


 春親の言葉に対し、清史に否やはない。全面的にその通りだと思う、が。


「けどエントリーは明日までなんだって……」

 清史は呻くような声を漏らした。


「お前の言いたい事はわかるし、気持ちもわかる。けどダンジャンはマジでデカいチャンスだろ? ダンスで食っていく為に、ここで結果出してぇんだよ」

「そりゃ、俺だってそうだけど……」

「ならもうちょいマジになってくれねぇと困んだわ。エントリーで躓くとか意味わかんねぇ、もう悠長にしてる暇ねぇんだって。変に拘って何もできずに終わるより、多少ポリシー曲げてでもスタートライン立つ方がマシだろうよ、違うか?」


 そう投げ掛けると、春親は暫しじっと考え込んだ。その顔には複雑そうな色が浮かび、心底悩んでいるのが窺える、が――現状が如何に切羽詰まっているのか、さすがに理解したらしい。彼はやがて、長く大きく息を吐くと。

「……わかった。じゃぁ後でもう一回動画見て、候補選ぶわ」


 ようやく了承の言葉を口にしてくれたので、清史は大きく安堵の息を吐いた。


 全くおかしなものである。窓ガラスに映る自分達は、片や金髪の、何処か儚げな雰囲気すらある美男子で、対するこちらはドレッドヘアのワイルド系だ。一見したら清史の方が破天荒で話の通じないタイプに見えるだろうに、この己に正直過ぎる春親と長年付き合っている内に、すっかり保護者役が板についてしまった。ダンサー仲間の間では密かにオカンと呼ばれているらしい。全く不名誉な話である。


 だがなんにせよ、春親が納得してくれて良かった。これでなんとかエントリーまでは漕ぎ付けられる。この後のスタジオ練習も心置きなく打ち込める……と、落ち着いたところで。


 清史はふと気が付いた。


「つか……スタジオ空くの遅くねぇか?」

 スマホ画面に目をやれば、時刻は九時十五分。清史達の予約開始時間を、既に十五分も過ぎている。

 このスタジオは、利用者が自分達で利用時間を管理している。特にスタッフを通す事なく、各々の予約している時間に従って出入りするのだ。だから清史は、時間になれば前の枠の利用者が出てくるだろうと時計を確認していなかったのだが、まさか十五分もオーバーされるとは。


 もしや自分が予約時間を間違えていたか? 念の為、予約完了時のメールを探してみる。と、その間に春親が動いた。彼はすたすたとDスタジオのドアへ向かい、硝子の小窓から中の様子を覗き込む。

「あっ――コラ馬鹿、やめろって!」

 清史は慌てて春親を制止した。もし中にいるのが女子だったら覗き込むのは絵的にまずいし、万が一着替え中だったら大惨事だ。スタジオ内にはカーテンで仕切られた更衣スペースが設けられているのだが、室内だからと油断して、カーテンに隠れず着替えてしまう女子もいる。かつてスタジオ入れ替えの時にそういうシーンにかち合ってしまい、痛い目を見た清史である。


 ただでさえ大会エントリーの事でバタついている時に、覗き容疑を吹っ掛けられるのは非常に辛い。例え相手が予約時間を超過してスタジオに居座っていた不届き者だとしても、着替えシーンを見たとなればこちらの分が悪いのだ。故に清史は慌てて春親をドアから引き剥がそうとしたのだが、その手が肩に掛かる前に。


「キヨ、ヤバイ。人が倒れてる」


 振り向いた春親が強張った顔でそう告げた。たちまち空気が緊迫し、清史も急いで小窓を覗く――と、確かにスタジオの中、ワイシャツ姿の男性が俯せに倒れているのが見える。

「これって結構緊急だよね? 俺、とりあえずスタッフ呼んでくる」

 言い置いて春親が駆け出す。使用中のスタジオのドアは内側からロックが掛かるようになっている為、スタッフを呼ばないと開けられないのだ。


「っ、マジかよ……おい、あんた! 大丈夫か⁉」


 清史はドアを叩きながら中の人物に声を掛ける。だが相手は一向に動かない。どうやら意識を失っているらしい。というかそもそも防音の為、こちらの声はほとんど聞こえないのだろうが、それでも清史は「しっかりしろ」と呼び掛け続ける。やはり男は動かない。


 緊張感が膨れ上がる中、春親がスタッフを連れて戻って来た。それに清史はひとまずの安堵を得るが――……なんだか様子がおかしかった。

 この状況に対し、スタッフの動作が余りにも遅いのだ。春親の後を付いては来るが慌てた様子が一切なく、マスターキーで鍵を開ける時には「ったくしょうがねぇなぁ」と悪態まで吐く始末。


――は? なんだこの親父。人が一人倒れてるってのに、この態度?


 清史は思わず顔を顰める。いつも受付に座ってスマホを眺めてばかりいる、この中年スタッフ。不機嫌なブルドッグのような仏頂面で愛想が良いとは言えなかったが、この局面でこの対応は酷過ぎる。まぁ彼にしてみればスタジオ内での急病人なんて面倒以外の何物でもないかもしれないが、それでもまずは誠心誠意救助するのが当然だろうに。


 清史はそう考えるが、このスタッフ、更に信じられない行動に出た。ようやくスタジオの扉が開くと、ずかずかと大股で倒れた男に近付いて、あろう事か。

「おい、いつまでそうしてるつもりだ? 予約時間過ぎてんぞ!」

 そう言って男の脇腹を足の先で小突いたのである。


「ちょっ……あんた何してんだ!」


 これに清史は堪え切れず、スタッフを羽交い絞めにして男から引き剥がす。

「倒れてる人間に対してそんな……っ、あんたには人の心ってモンがねぇのかよ⁉」

「あぁ? 倒れてる?」

「倒れてんだろ、どう見ても!」


 清史は激昂したのだが、どうにも両者の間には温度差があった。義憤に駆られる清史に対し、スタッフは心底鬱陶しそうな顔をして。

「あのなぁ、熱くなんねぇでよく見ろっての。こいつぁ倒れてんじゃねぇ。ただ寝こけてるだけだろうが」

「は? 寝てるだけ?」


――って、ンなわけあるか。


 清史はスタッフの言葉に反論する。だってここはダンススタジオであって仮眠室じゃない。わざわざこんな所を予約して寝こける奴などいるわけがない。

 だがスタッフは鼻を鳴らして言い返す。

「それが実際に居るんだからしょうがねぇだろ。こいつは体力ねぇのに踊りに来て、そんで時間一杯踊り切れなくて最後はぐたっと寝ちまうの。おい拓実! いい加減に起きろ!」

 スタッフは再度足を伸ばして男を小突く。と、その瞬間。


「ん……んんっ⁈ しまった、寝過ごした!」


 それまでぴくりともせずに倒れ伏していた男が、突如ガバリと身を起こした。

「あーっやばい、もう九時……二十分⁉ あっ、キミ達が次の利用者⁉ うわうわうわすいません、すぐ出ます!」

 男は慌ただしく立ち上がると、部屋の隅に置いてあった荷物へと駆け寄った。その素早い動きには体調の悪さを思わせる要素はない。どうやらスタッフの言う通り、本当に眠っていただけのようだ。


「――って、なんつぅ人騒がせな……!」


 清史は一気に脱力する。羽交い絞めの力が緩むとスタッフは清史の腕を振り払い、「だから言ったろうが!」とドカドカとスタジオを出て行った。


 いや、確かに彼には悪い事をした。だが無駄に焦ったり怒ったりした分、清史はどっと疲労感に見舞われて、謝りにいく余裕もない――と、その眼前に、ワイシャツ男が恐縮しながらやってきて。


「あの、本当にすいません、貴重な練習時間を無駄にして……超過した分のお金、払います! えぇと、ちょっと待ってくださいね、このスタジオでこの時間だと、料金は……」

 男はスマホで料金表を調べ出す。予約時間を超過してスタジオに居座り、あまつさえ寝こけていたなんてなんたる不届きと思ったが、どうやら常識的な人物ではあるらしい。


 そうして計算の完了をじっと待っていた清史だったが――ふと、既視感を覚えた。この男をかつて何処かで見たような気がしたのだ。


 だがすぐに、そんなわけないかと考え直す。清史にはこの年代の知り合いはいない。もし見覚えがあるとしたら、過去にこのスタジオか何処かですれ違ったからだろうと結論付けようとしたのだが――


「――タック」

「ん?」


 それまで黙っていた春親が不意にそう呟いた。かと、思ったら。

「タック……タックだ!」

 突如大声を上げ、春親は男の前髪を無遠慮に掴み上げた。

「いっ、いだだだだ!」

「ちょっ、何してんだお前!」

 この奇行に、二つの叫びが同時に上がる。だが春親は気にも留めず、男の前髪をぎゅっと握って離さずに、そのまま清史を振り返ると。


「ねぇ、ほらこの顔! キヨも覚えてるっしょ⁉ 眉毛太目でちょい垂れ目のさぁ!」


 春親は興奮した様子で捲し立て、それに清史もハッとした。前髪を上げ、はっきりと顔を見てみると、やはりそこには、ただすれ違っただけとは違う、もっと強烈な記憶が結び付いているような気がしたのだ。それにさっきから繰り返される、タックという呼び名――清史はまさかと思いつつ男の顔をまじまじ見詰め、そして大きく目を見開く。


「は、マジか……」


 押さえた口元から驚愕の声が出た。

 前髪を掴まれ悶絶するその男。当時の溌剌とした雰囲気が失われくたびれた印象になっているので見過ごしてしまったが、あろう事か、それは正しく、かつて春親と清史にわくわく感の呪いを掛けた、あのダンサーだったのだ。

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