第44話 祭る

 迷宮からの脱出に必要なのは糸玉。迷宮の入り口から伸ばした糸を伝って迷宮を脱出する。

 この糸玉を『テセウス』に渡したのは、『ミノス』王の娘である、王女『アリアドネ』。『アリアドネ』は『テセウス』に一目ぼれをして、彼を助けるために、迷宮を製作した名工『ダイダロス』に相談をした所、この方法を教えてもらった。


 よくよく考えてみると、『アリアドネ』が直接描かれた絵が、この屋敷内には見当たらない。玄関ホールに飾ってあった絵画は、『テセウス』が『ミノタウロス』と『アリアドネ』から渡された短剣で戦ったいる光景だった。彼の手には糸玉が握られていたが、それは絵画の枠の外へと伸びていた。

 おそらくは玄関ホールの絵画も連作になっており、あの糸の先を描いた『アリアドネ』が居る絵画が存在しているのだろう。それがどこにあるかは、今の所はアリスには見当はつかない。


 ……『アリアドネ』の絵が此処にはない。けれど、この絵画に全く意味が無い事は無い筈だ。


 少年曰く、儀式には決まりごとがあり、それを守らなければ求める結果は得られない。

 始まりがあるのであれば、終わりがあるように、儀式の終了条件が存在する。

 少年はおそらくは月の満ち欠けと、生贄達が全て殺されてしまう事だろうと語ってはいたが、儀式の制限時間である前者はともかく、後者は少々何かが足りない気がしてならない。


 ……この儀式の参加者は、生贄の人間達だけではなく、少年と、それを喰らおうとする紛い物。


 少年は儀式が繰り返されるにつれて、力を失っていったという。

 少年と紛い物が混同され、生贄を捧げた結果、それを受け取った紛い物の方が力を増していった。

 けれど、それにしては少年はしっかりとした自我を持ち、意識もはっきりとしているのに比べ、紛い物は犠牲者達の助かりたいという願いの下、人間だった時の行動を真似てはいるが、下手をすれば獣以下の弱い自我しかない。


 ……始まりと終わりがあるのであれば、成功する条件と失敗する条件の両方がある筈。


 ……この場合の成功は、誰にとっての成功だろうか?


 アリスは目の前にある絵画の中の牛の瞳をじっと見つめる。

 そもそもの始まりは、『ミノス』王が『ポセイドン』との約定を守らず、白い牡牛を自分の物にしてしまった事から始まっている。

 『ミノス』が王となる後ろ盾を示すために、『ポセイドン』は白い牡牛を送った。それを王になった後に、生贄として『ポセイドン』へと返すはずだった。

 けれど、白い牡牛を気に入った『ミノス』はそれが惜しくなり、偽物を捧げた。

 その結果の呪いだ。


 ……約定。決まり事。


 —―少年は人の願いを聞いて、彼らを手助けするモノだ。


 ……少年は間違った祭り方をされ、信仰が弱まった結果、気力を失い、長い事休眠状態になった。


 ……理由はあるにしろ、少年は、捧げられた願いを無下にした。


「自らの役割を放棄した。その代償か……」


 —―成功と失敗。


 —―本物と偽物。


 ……勝者と敗者?


「この儀式を繰り返すのは、何故だ?年間に行方不明者は多い。けれど、全員が同じ場所に向かって、行方不明になれば、流石に怪しむものが出てくる。今の時代に、完全な隠蔽は難しい。何の根拠もない噂ですら、時には致命的な痛手にだってなり得るのに……」


 それだけの犠牲払ってでも、益がある行為だからこそ、この儀式を延々と繰り返している。


「世を祟る悪霊であっても、祭ればいずれ神になる」


 少年は力が少なくなった事で、自由に動けるようになった。それは彼の力が薄れただけではなく、儀式を繰り返す事で紛い物の方へと移ってしまったから。

 土台になった犠牲者を元に、同じ感情を持つ人間達を生贄として積み上げていく。それでもやはり紛い物は紛い物。けれど、紛い物として高みに至ることは出来る。


 呪いによって『ミノタウロス』という怪物が生まれた様に、怪物を生み出して祭り、新たな信仰対象を作ろうとしている。


 外国の宗教観は、神が堕ちて怪物にも悪魔にもなる。自らが信仰する神以外は全て悪魔だという者だっている。

 逆に日本では八百万の神という概念があり、数多くの神が居る。自然の恵みをもたらす山や川、時には石や木、動物も人間も、悪霊だって、祭れば神となる。

 この国では、全てのモノに神に至る機会が与えられている。


 —―これは、少年と紛い物との試合。


 アリス達は少年というプレイヤー側の駒であり、全滅をすれば敗北。生き残れば勝利。

 生き残る方法は、駒が期間内生き残るか、盤上から脱出するかのどちらか。


「『アリアドネの糸』は少年自身か」



 「叔父様。敵の排除が終わって、隣の部屋を調べてみたのですが、絵画ある事以外めぼしい物は見当たりません」


 扉を押さえていた『J』に挨拶をして、少女が部屋へと入ってくると、絵画に描かれた白い牡牛とにらめっこをしているアリスに声をかけた。

 少女の声で考えに没頭していたアリスは我に返り、視線を少女へと移す。


「そうか……。やはりここから出る鍵は白い牡牛の可能性が出てきたな」


「牛……ですか?『ミノス王』が返却せずに、くすねたという」


 くすねるという言い方をすると、非常に小物感が出てくるなと、アリスはクスリと笑う。


「そちらには男女の絵があると聞いたが、本当か?」


「はい。綺麗な服を着た男女です。それなりに良い身分だと思いますが、女性の方が男性とは違う方を見ているのが気になりました」


 『テセウス』は結局は『アリアドネ』と添い遂げることは出来なかった。見方によっては違う方を向いているのは、道を違えてしまったという事を暗喩していると考えてもおかしくはない。

 けれど、反対側に白い牡牛の絵があるので、おそらくはアリスの想像は当たっているのだろう。


「こうして意味深に部屋に飾ってあるという事は、それが鍵という事だろう。おそらくはそれぞれの絵に該当する役割のモノが必要、という事だろう。おそらくは『白い牡牛』は少年。『ミノス王』と『パシパエ』はこの儀式の主催者—―もしくはこの屋敷の持ち主」


 少年に会わなければ、しらみつぶしに屋敷中を捜索しなければならないが、いずれはこの部屋に辿り着く事もあるだろうが、そもそも少年という糸が無ければ。出口へと辿り着く事が出来ない。


「彼が始まりであり、終わり。この儀式の終わりは、彼が居なくなるか、この迷宮から出る事。彼はもう自分の力は残りが少ないと言っていた。……ああ、そういえば、彼は犠牲者は百人近い、と言っていたな。百はある意味特別な数字だ。百年経てば、物にだって命が宿る。百人積み重なれば、何かになれるのかもしれないな」


 ……それを、犠牲者達が、生贄達が望んでいるとは思えないが。


「……つまりは、彼をこの部屋に連れて来なければいけない、という事でしょうか?」


 少女は少年と妹事を考えると、思わず顔に不安が浮かんでしまう。そういった後ろ向きな空気は人に伝染してしまうからと、不安を押し殺して気丈に振舞ってはいたが、それでもやはり心配になってしまう。

 それはアリスも同じだ。信用も信頼もしている。それでも、いくら少年が人ではなく、妹が人よりも強いからといっても、彼らの身を案じずにはいられない。


 —―絶対なんてものが無い事は、今ある物がどれほど脆い物か、失われない物なんてありはしないのだと、アリスが一番知っている。


「……もとより、あの子たちが来るまで待つか、呼びに行くつもりだったが、脱出に手間取る可能性が高い。出来るだけ早く、あの子達を迎えに行こう」


 本当は脱出の手はずを整えてから、少年と妹、『C』と『G』の連れの青年を迎えに行くつもりだったのだが、今現在この部屋にアリス達が居ても出来る事は殆ど無い。

 その話を聞いていたのだろう『J』が、会話が途切れるのを待って口を開く。


「……私と『H』さんの友人出迎えに居た方が良い。他の人達はこの部屋で待機して部屋を確保し続ける方が良い」


 『J』の声は低く重く、そうした方が良いという確信をもって発言したものに聞こえて、思わずアリスはその理由を問うた。


「私達の家族ですし、—―確かに武力のある姪か、『H』さんの友人のどちらかは、この区画に残るべきだとは思いますが……」


「……—―保育園」


 『J』がとある保育所の名前を口にした事で、アリスは緊張で硬直してしまい、少女は眉を顰めて『J』を見据える。一方の『J』は申し訳なさそうに苦笑してから、徐に扉から体を離して扉を閉めた。おそらくは他の者に聞こえないようにとの配慮だろう。

 それが頭では分かっても、アリスはホテルマンに襲われた事から完全に復活しているわけではないため、密室という状況に不安を覚えて表情が硬くなってしまう。それでもなんとか冷静でいられるのは、姪という味方が傍に居てくれるお陰だった。



「——私は、所謂、公僕でね。久しく現場には出ていないが、若い頃に現場に居た頃に関わった事件があってね。私が本格的に関わった初めての事件だったから、よく覚えている」


 『J』が先輩と組んで初めての事件。

 とある保育所の保育士の女性が、かつてそこに通っていた園児の一人を誘拐しようとした。その時は子供の親がその事に気が付き、未遂に終わり、大事にはならなかった。

 犯人の保育士の女性は精神耗弱とみなされて、親戚の伝手を辿って遠い地へと引っ越して、今も精神科に通院している。幸いにも再発の兆しはなく、いたって平穏な日常を送っていると聞いている。

 その際に、取り調べで対峙した保育士の女性の姿をありありと思い出せる。


—―可愛い、可愛い。私のアリス。


 彼女の言い分はその子供が離れていく事に、会えない事に耐えられない。あの子が欲しい、という趣旨のものだった。

 目は欲望でぎらぎらと鈍い光を宿し、常に微笑みを浮かべていた。その子供の事を話す時は、頬を赤らめて遠くを見つめて、夢を語る様にうっとりとした表情で、まるで恋する少女の様に話す。


 —―明らかに正気ではない。


 暫くの間、精神病院に強制的に入院させられた後に、子供から引き離す方が良いと判断され、子供が両親と共に引っ越し、保育士の女性は遠く離れた田舎での療養となった。


「……この業界は結構狭いし、一度繋がってしまえば、横の繋がりもそれなりに強い。だから、別の管轄区域で、同じ子供の事件が起きれば耳に入ってくる。二度あることは三度ある、とはよく聞くが……それが四度、五度と続けば、否応なしに記憶にも残る」


 酷く穏やかな微笑みを浮かべた『J』が、労わるように柔らかな口調で語っている。

 平時の気難しい表情とは違い、事件の被害者への気遣いを見える『J』からは、温かな人柄を感じさせた。

 一通り話し終えたのか、『J』はゆっくりと息を吐いて、俯けていた顔を上げてアリスと視線を合わせる。


 『J』が初めてアリスを見たのは、彼が小学生になって間もない頃。艶やかな黒い髪と、整った顔立ちの笑顔が眩しい、酷く人の目を引く可愛らしい少年だった。

 かつて慕っていた顔見知りに誘拐されかけた事で、少年は酷く傷つき、体を小さくして震えていた。

 それでも彼が立ち直っていけたのは、両親や知人の理解とサポートがあったからに他ならない。特に両親は子供の事を心配しながらも、社会と切り離す事はせずに、細心の注意を払いながら子供の成長を促し続けた。

 一歩間違えば家に引きこもって、二度と社会復帰が叶わない可能性も大いにあったし、『J』もそういった人間を大勢見てきた。

 だからこそ、立派に成長して、大人になったアリスを見ていると、この職に就いて良かったと心の底から思うのと同時に、もしかしたらアリスは社会復帰を果たすべきではなかったのではないかという考えが頭をよぎる。


 アリスが何度も似たような事件に巻き込まれているのを知った際に、『J』が先輩とした会話を思い出す。


「偶にいるんだよ。本人に悪い所や、勘違いさせるような行動が無くても、そういう素養の人間を刺激してしまう人間は。何と言うか……、ただ可愛いとか綺麗だとか魅力的だとか、優秀だとか優しいとかじゃなくて、もっと、本質的な、本能に訴えかけて、境界線を越えさせてしまう人間。—―本人に何の落ち度もない所が、救われないし、遣る瀬無い」


 どんな優秀な人間でも、相性が良ければ—―悪ければ、容易く間違いを犯させてしまう人間。本人にその気も落ち度がなくとも、ただそこに居て、少し会話をして関わっただけで、人間を堕落させてしまう存在。所謂—―傾国。


「お前も気を付けろよ。この仕事を続けていれば、そういう人間に会う機会は幾らでもある」


 そう言って冗談交じりに笑っていた先輩とは、暫く連絡を取っていないので、此処から出たら久しぶりに飲みにでも誘うかと、『J』は頭の隅で考える。


「君も経験則で分かっているだろうが、ああいった狂った人間は自らを抑制する力が弱い。下手に動いて彼らの目に着いたら厄介だ。……さすがに彼らを進んで救おうとは、私は思えないし、君も思えないだろう?」


 『J』の諭すような声に、アリスは零れそうになる感情を押さえて、無言で頷いて同意をした。

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