第34話 水面下
廊下に『A』の遺体を放置した後、隣の部屋の扉を軽くノックをしてわざと物音をたてて、その場から立ち去る。後は天に成り行きを任せるのみ。最悪、朝になれば誰かしら起床して、部屋から出れば廊下に放置された遺体を発見するはずだ。
けれどそんな心配は杞憂に終わり、几帳面な性格だった『B』達がドアスコープ越しに異変を察知して、扉を開けて確認した瞬間に『B』の悲鳴が通路に響き渡った。
彼女の悲鳴を合図にして、次々に部屋の扉が開いて客達が顔を覗かせ、その騒ぎは一気に広がり、『ベータ』の棟の客が気が付くほどになった。
結果として、招待客達は早々に異変に気が付き、警戒をして団体行動をするか部屋に閉じこもるようになった。
儀式開始直後は本調子ではないアレらは、下手に手を出す事が出来ずに手をこまねく事になった。招待客達の得体の知れない状況への恐怖を呼び水として、アレらは徐々に活発に動くようになっていく。
客達に警戒を促せたことは良かったのだが、代わりに予想外の面倒ごとが起きた。
—―ホテルマンが早々に発見された事だ。
本来ならば既に退避している筈のスタッフが、拘束されている状態で発見されてしまう。宿泊客達の関心は自然とホテルマンへと向かってしまう。もしかしたらこの状態の説明や、収拾がつくかもしれないのだから、それに期待してしまうのは仕方がない事だ。
不幸中の幸いと言っていいのかは分からないが、ホテルマンは目を覚ますことなく数日間眠り続ける事になった。
——のだが、本当にずっと眠り続けていたのかどうか、今となっては怪しいものなのだが。
怒涛に夜が明け、招待客達は皆眠れぬ夜を過ごし、差はあれど精神的にも肉体的にも疲労が蓄積していた。
得体の知れない力でホテル内に閉じ込められてはいたものの、幸いにもインフラ設備と食料の備蓄があったおかげで、表立って客同士で争う事は無かったが、それでもやはり不安と疑心が漂っていた。
とはいえ初めて顔を合わせたばかりの集団が、恐慌状態に陥らなかっただけでも十分だろう。少なくとも気が狂って自棄になる人間が出ない程度には、全員に精神的な強さがあったという事だろう。理解の及ばない現象に頭がついていかなかった事も影響してはいるのだろうが、結果的に良ければ大した問題ではない。
昼は他人の目がある大部屋で、夜になれば皆が自室へと引き上げて閉じこもる。得体の知れない状況下で、単独で部屋の外を歩きまる人間などそうはいない。
——この場合には居たわけなのだが。
防水加工のされたコートを着込み、ハルバート片手に夜のホテルの中を徘徊する。客の誰かが目撃すれば、悲鳴を上げるか速攻で逃げ出し、数時間後にはほぼ犯人だと断定されかねない。
だが、招待客達は基本的には成人済みで社会の荒波に揉まれているので、自分から危険に突っ込むような真似はしない。そのお陰で、夜に客が出歩く心配は殆ど無い。可能性としては、スイートルームでホテルマンを見張っている客達が、何かの用事で部屋の外を移動する可能性はあるが、その時はその時だろう。
そもそもこの状況下で単独行動をしていて、危険に襲われたとしても自己責任だ。
—―生憎と鏡を見ろ、と突っ込みをしてくれる相手は居ない。
気配を消して周囲を警戒しながら、昨晩も訪れた『A』の部屋を訪れる。用件は昨日に拘束して転がして置いた死者。
素早く『A』の部屋の鍵を開け、音立てずに扉を閉める。部屋に入ってすぐに薄暗い部屋の中、ベットの上の死者がこちらを見ているのを感じた。
死んだ魚のように生気が無いのに、まるで生きているかのように澄んだ目をしているのが、ちぐはぐで不気味だったが、それよりも予想通りに再び活動を開始しているソレを見据える。
いつ、活動を再開したのかは分からないが、ホテルマンのように暴れたりもの音をたてたりせず、大人しくじっとしている。こちらとしては助かるのだが、それがなおのこと人間の姿をした別のモノだと知らしめてくる。
映画などでゾンビを見た登場人物が感じる嫌悪感とは、こういうモノなのだろうかと考えてしまう。
生きているのに生きていない。
死んでいるのに生きている。
人間とは矛盾だらけの生き物ではあるのだが、生物としての矛盾は気分が悪くなる。
思考の海に沈んでいると、自然と集中力が高まっていき、感覚が研ぎ澄まされていく。
鋭敏になった感覚が、壁越しに違和感を感じ取って。我に返って意識を集中させ、隣室の気配を探ると妙な気配がする事に気が付いた。すぐ傍に居るソレの気配に紛れてしまい、周囲の他の嫌な気配に気が付かなった。
『B』は体調を崩して部屋に籠り、その連れの男もそれに付き合っている状態。つまりは二人しかいないために、何かをする際は単独行動をせざるおえない。
おそらくは『B』達は他の宿泊客達を疑っており、共に行動する方が危険だと考えている節がある。それでも部屋から出る時は警戒をして、厨房に現れるのも誰か複数人の目がある時を狙っていたようだが、どこかに穴は出来てしまう。
そこを狙われた可能性は十分にある。
さすがに全ての客達を監視することは、到底無理な事だ。
『B』の部屋に面した壁を睨み、少々危険だが強引にいくしかないと考えつき、一旦部屋を出ようと歩きだす。
数歩進むと、壁越しに聞こえる振動や微かな音が、微妙に響き方が違う事に気が付いた。屈んで壁の一部を指先で軽く叩き、音を確かめながら横にずらしていくと、微妙に音に違いがある事に気が付く。
壁の材質や厚みなどは一緒だが、何らかの仕掛けがあって、形や部品との組み合わせ、そこに出来た隙間などの違いで響き方に違いが出来ていた。
壁の板が組み合わさっている所を触り、音や振動の違いを確かめながら動かすと、小さな音がして板が外れた。慎重にずらして中を窺うと、どうやら二人とも既に生者ではないようだ。
それを確認し終えると、ゆっくりと息を吐く。神経を研ぎ澄ませて、自分が此処だと思った瞬間を狙い、壁の板を完全に外して通り道を作り、隠し通路の高さと幅ギリギリで通る事のできる身を屈めた体勢で、一気に飛び出した。
ハルバートは隠密行動をする際には、流石に邪魔になるので隣の部屋に置きっぱなしだ。
真夜中に眠る事も無く、無言でそれぞれのベットに腰かけていた『B』達は、突然の侵入者に狼狽する事も無く立ち上がり、そのまま力づくで抑え込もうとしてきた。
だが、伸ばされた男性の腕をかいくぐり、懐に潜り込んで喉にスタンガンを押し当てる。
そのまま男性の体がベットに仰向けに倒れ込むのを横で、女性が手短にあったスーツケースの持ち手を両手で掴み、体を捻って勢い良く横側からぶつけてくるのを屈んで避ける。
大振りで無防備になった女性の肌にスタンガンを押し当てると、ビクッと体が震えてその場に崩れ落ちる。
国内で販売されている防犯グッズとしてのスタンガンは、あくまで相手を怯ませて一時的に動きを止めるもので、気絶させたりするのは難しい。けれど今使っている物は諸事情により、人間を気絶させるだけの威力が出るので、心臓の弱い人には決して使ってはいけない。
相手は死者であり、正直言ってスタンガンが利くのかどうか怪しいとは思っていたが、『A』の同行者には聞いたのでそのまま使う事にした。
けれど、スタンガンが利くのは亡くなってすぐ、取り込まれても人間としての我が残っている状態だけだという事が、後に実体験として判明する。
女性を行動不能に持ち込めたのは良かったが、大ぶりで遠心力によって勢いづいたスーツケースが彼女の手から離れ、勢いそのままにガラス壁へとぶつかる。
けたたましい音をたてて割れたガラスと、ぶつかった際にスーツケース内の荷物がそこら中へと飛び散る。運悪く飛んだ荷物に当たり、そのまま床へと転げ落ちる光景に、一瞬固まってしまったが、すぐさま気を取り直して、動かなくなった『B』達を抜け道を使って隣の『A』の部屋へと運び出す。
さすがに二体同時は無理なので、早急にそれぞれ足と脇を掴んで引きずって移動させる。部屋の外で客達が騒いでいるのが聞こえ、どんどん人が集まってくる気配を感じ取る。
何とか二体とも運び終えると、隠し通路を再び壁板で元の通りに塞ぐ。この時に、少しだけズレてしまっていたのだが、それに気が付く事は無かった。
ガンガンと隣の部屋の扉を破壊する音が聞こえる中、念のために『B』の二人を縛り上げようとしたが、その前にいつの間にか復活をした『B』の同行者が急に動き、襲い掛かってきたので傍にあったハルバートで容赦なく喉元を突く。
ビクッと男性の体が震え、ガクッと膝から崩れ落ちた。物音できづかれないかとも思ったが、隣室は扉を破壊している真っ最中なのでその音に紛れてしまう。
瞬きひとつしない男性の目からの視線を鬱陶しく思いながら、ハルバートの穂先を引き抜くと、少しドロッと粘度がある血液があふれ出す。
おそらくは生命活動を停止してから時間が経ち、血液が鮮度を失ったせいだろうとは予想がついたが、なら死後硬直はしないのだろうかと疑問にも思ったのだが、怪物の都合など分からないので流す事にした。
男性は喉を突かれて黒ずんだ血を流しながらも、腕を突いて立ち上がろうとする。痛みに対して人間らしい反応を見せはするが、やはりすでにその法則から逸脱しているのが良く分かる光景だった。
ハルバートの柄を少し短く持ち、天井や壁にぶつからない様に気を付けながら、両手で大きく振り上げて、うつ伏せで藻掻く男性の首に躊躇う事無く振り下ろす。骨と肉を断つ感触が刃越しに伝わってきたが、平静のまま切り落とした頭部に目もくれず、ソレの活動が停止したのを確認する。
やはり人間の形を保っているのには理由があるのだろうと思い至り、手早く残った二体の処分し終えた頃、隣室に人が雪崩れ込んだ。
念のために、人の気配が無くなるまで部屋の中で息を潜めて様子を窺う。もし、誰かが扉を壊して入ってきたら、顔を隠して強行突破をするしかないと考えていたが、幸いにもその必要はなかった。
部屋の傍でこそこそと宿泊客が「順番」「次は『C』」という会話がなされているのが聞こえてくる。
確かに『A』『B』と続いたが、本当にそうなのか確証は無い。たまたま単独行動をする同室者が居ただけで、偶然なのではないだろうかと首を傾げる。最初の『A』はともかくとして、『B』達は他の宿泊達を遠ざけてしまった事が、その一端を担っている気がする。
——そもそも、なぜこのホテルの部屋はアルファベット表記なのか?
数字の発音が悪いとの理由で、験担ぎでその番号を飛ばす事はあるが、アルファベットを部屋番号代わりに割り当てる意味が分からない。
棟に関しても、『アルファ』と『ベータ』というギリシャ文字が割り当てられており、むしろ番号を避けている気すらしてくる。
ホテルのオーナーの趣味と言えばそうだが、それを考えると、わざわざ招待客達を名前で呼ばせない事にも意味があったりするのだろうかと思案してしまう。
招待客の名前を把握しているのはスタッフだけだろうし、同行者ついてはホテルについてから宿泊名簿に名前を記入している。
数日かけて、凡その宿泊客の人数を把握できた。わざわざ積極的に他の客と関りにいくのも、それはそれで面倒であるし、わざわざ人の目を引くような行動は慎むべきだ。
『B』の部屋の前から人気が無くなり、それぞれが自室へと戻ったり、大部屋に複数人で固まって夜を過ごすために移動したのを確認して、人目のない内に移動を開始する。
残念ながらハルバートは『A』の部屋の中でお留守番だ。さすがにこれを持ち歩いているところを目撃されれば誤魔化しようがない。
コートとハルバートを部屋の中に残し、人の気配が廊下にない事を確認して、扉をほんの少しだけ開いて再度確認してから、素早く部屋から出て扉から出てしまえば問題ない。
『A』の部屋から出てくるところ、を見られるのが一番面倒な事になる。
どうやら『C』と『D』の両名は部屋を移るらしく、ドアスコープ越しに『C』と『L』が荷物をまとめて通り過ぎるのが見えた。五人で現れたので、『D』の部屋には残りの三人が残っている状況の様で、荷物をまとめるのに手間取っているようだ。
今の内に部屋に戻って、とりあえず汗を流して、とっととベットで休みたいとため息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます