56 トロティの覚醒


 マシロの白い肩口が刃に切れ、鮮血が飛んだ。

 素早く術式をとなえると、右手にある<転移の指輪>が放つ力を秘書官に合わせる。


 トロティとマシロの目が合う。

 皮肉にもそれは、はじめて二人の意志が通い合った瞬間だった。

(逃げ延びてくれ、トロティ……すまない)


 その時、手にしていた指輪の力が発動し、トロティを遙か遠くの空間に弾き飛ばしていた。


「ぐっはっ!」

 トロティが、転移の指輪の魔力で飛ばされた先は、手入れの行き届いた芝生の上だった。






(俺 ——トロティ—— が飛んだ先は、どこだ? ここは)

 寝そべった状態で首を左右に振り、急いで場所を確認する。

 どこか見慣れた樹々に花壇。

(実家か? 実家……、そうだ実家だ)


 見慣れた風景に安堵する。しかし、すぐにマシロの碧い瞳が鮮明に思い出された。


(なぜに、そこまで澄んだ悲しい目を……)


 一度、深く呼吸をし、頬を両手で強く打つ。

(冷静になれ! 俺は負けん、ここで出来る最善の策を考えろ!)


 地面に叩きつけられた腰をさすりながら、上体を起こし頭をフル回転させる。

 混乱している暇はない、愛する者を救うのだ。



 庭の倉庫から縄を持ち出し、父ホークウインド公爵の部屋へと走った。

 窓から侵入すると豪華なつくりの階段をのぼり廊下を走った。扉を蹴り開ける、父は机を前に執事のブラウン爺と、深刻そうな顔をしている。


(兄貴達はいない! まずは勝った)

 この二人しか部屋にいないのは幸運だ。

「ぶ、無事だったか、トゥル! 一体、王国は! 事態はどうなっているんだ? 魔物が暴れていると聞いたが」

 返事を返さず父を椅子に縛り上げると、ブラウンに剣先を向ける。


「兄貴達は?」

「な、何をする!」

 おどろく父にさらに問い続ける。


「答えろ、兄貴達はどこだ?」

「お二人して、領地の視察に行っておいでですが、帰りは早くても明後日かと」

 父の代わりにブラウンが答える。


(よし、兄貴二人が遠方の領地にいるとは、さらに幸運だ)


「父上、説明している時間がありません。我がホークウインド家はグォルゲイから降りて、マシロ・レグナードに乗ります」

「何! 何の話だ? 三男のお前が突然何を言い出す。何も状況が分からんのだぞ、儂は!

 マシロのスパイとして潜入しておきながら、あの妖狐に魅入られたか?」


 一瞬だが頭に血が上った。

 そう言われても仕方ない。実際に俺はあの人のよくわからない魅力にやられたのだ。

 妖狐か、たしかにあの女はバケモノなのだ。

 わめきたてる父を冷静に見つめる。

「何とでも言ってください、時間がありません」


 剣先をブラウンに向け指令を出す。

「父上の名前で、可能な限りツテのある国内外の有力者に密書を出せ! 王族関係者、貴族、軍人、商人、芸人から裏社会の有力者まで全てだ。遠征中の将軍達にも送れ!

 文面はつぎのとおり。

 『聖堂騎士団長マシロ・レグナードの叛逆罪の噂が流れるが、事実無根である』と!


 『王都を壊滅せんと企てる真の逆賊は、大法官グォルゲイ・レグナードと騎士団総帥ゾルディンである』

 と、続けて書け! 良いか? 逆らえば殺す!」

 目を見開き、振り絞れる限りの気迫と殺気と怒気を乗せて、ブラウンに命じた。


 これは賭けではない、自身とマシロとホークウィンド公爵家の命運を背負っての勝負だ。

 勝負であるからには、勝たねばならない。


「ひぃぃ、は、はひぃ」

「ブラウン、早く、執事室へ行け!作業を始めよ!」


「な、何を勝手なことを、フガッ! フガガッ!」

 わめき騒ぐ父の口を布で塞ぐと、ブラウンを執事室へと追いやった。



「やれやれ、坊ちゃんも尋常じゃございませんなあ。マシロ嬢の妖気に頭をやられましたか? ミイラ取りがミイラになる、そんなことわざをご存じですか?」

 高速で文書を作成しながら、ブラウンがぼやく。


 剣は柄に収めてある。ブラウンは俺の教育係であり、実は気心の知れた仲だった。

 父より俺の能力を評価してくれている。


「ブラウン、手短に説明する」

「はいはい、マシロ嬢がグォルゲイ大法官の罠にかかったのでしょ? そんなとこでしょう?」

 ブラウンは笑顔を浮かべるまで余裕を取り戻し、高速で文章を作成している。


「ああ、そうだ。察しが良いのは流石だぞ。俺には、あのひとが、ここでくたばるとは、どうしても思えないんだ。いいか、ブラウン。

 この王都騒乱、勝ち残るのは彼女だ! マシロ・レグナードだ!」

 根拠はない。どう考えても現状はマシロの圧倒的不利で間違いない。


「ほほう、そこまで断言なさるとは、坊ちゃんの勘は当たりますからね。そこまでの天祐(てんゆう=天の助け)をお持ちとみますか? マシロ嬢は」


「そうだな、彼女のもっているもの、彼女の放つカリスマという輝きを俺はずっと見て来た。ずっと見て来たんだ。あれは、ただ者じゃねえ、聖女だ……そして、バケモノだ」


 さらに考えの根拠はあった。考えたくない事なのだが。


(ミハエル・サンブレイドという男)


 マシロが病的なまでに、殺してしまおうとするまでに、激しい恋心を寄せる男。

 この不思議な男がいる限り『マシロの負け』という結末が、どうしても予想できないのだ。


(しかし、な)

 自分の顔が醜く歪むのを感じてしまう。


「許せないんだよ、なんでミハエルの野郎が、あの人の、マシロの騎士みたいになっているんだ。マシロ様の騎士には、物語の主役には、この俺がなるんだ! ミハエルなんかじゃねえんだよ」

「はい? ミハエル? あの第二騎士団の? 騎士サマ? 主役?」

 ブラウンが高速で作業を続けながら、意味が分からないながらも返事をする。


「すまない独り言だ。まったく、ちっ、なさけない、男の嫉妬は見苦しいぜ」

 俺は、両手で頬をはたいた。

「はい?嫉妬?」


「これも独り言だよ、ブラウン」

 思ったより大きな声で言ってしまったようで、恥ずかしい気持ちになった。


「それから、出来る限り金を使って王都の隅々まで噂を流すんだ『英雄マシロ・レグナードを陰で支えているのはホークウインド家だと!』ホークウインド家の特務職をすべて王城から貧民街まで送り込むんだ」

「かしこまりました。やれやれ、仕方ないですな。坊ちゃんのご乱心にブラウンも乗っかりましょう」


「手紙を出して噂を流したら、この家の者すべてを連れて『自治領サーヴァステル港』に避難してくれ。王都はさらにひどい事態になる気がする。

 そこには救助した『ハイネ王女』が送り届けてあるんだ。

 王女を掲げてマシロ様と逆襲するのだ。


 ホークウインド家最速の馬と白金貨を五百枚ほど借りて行く! 時間がない、俺はもう行くぞ、ブラウン、俺は戦争に行く」


「いってらっしゃいませ、坊ちゃま。惚れた姫君の騎士になってくださいませ。白馬は用意できませんが家伝の聖剣『ル・ソレイル』など持ち出されては?」


 ホークウインド家に伝わる聖剣『ル・ソレイル』

 言い伝えによると、大天使アートトゥルースの肋骨より作られたという。


 ふいにミハエルの姿が脳裏に浮かび上がった。

(なぜ、ここでアイツが思い浮かぶ)

 首を振りミハエルを思考から消し去る。


「何かの役にたつかもしれないな、持って行こう」

 ブラウンの言葉を背に、俺は駆け出していた。


 マシロは死んでも救出してみせる。


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