唯と遥

 月曜日の夜、私は遥と通話をしていた。

 今日は何をしたとかって雑談。

 学校での話。

 私の仕事関係の話。

 好きなゲームや漫画の推しがどうのとか、好きな作品の名シーンとかについても話した。

 私はとあるタイムリープものの、忘れないように何度もキスをするあのシーンが大好きだったから、それを推した。

 遥も同意してくれて、そこからは色んな作品のキスシーンの話になった。


 そうして「あの作品のあのシーンが~」って話してるうちに、話題は実際のキスについてに変わる。


 「キスって、実際どんな感じなのかな?」


 遥がぽろっと言った。

 独り言のようだったけど聞こえてしまったし、私は経験があったから、それについて少し喋って。

 でも、最後にこう付け足した。


 「仕事のは断ってるけどね。

 好きでもない人となんてしたくないし」


 結構勇気を出して言ったつもりだった。

 なのに当の遥は


 「へぇ。でもそっか。そうだよね」


 と言って、一人で納得したようだった。


 「好きでもない人となんてしたくない」って言ったんだよ。私は。

 それってつまり……って、なるじゃん。ふつう。


 それで私が、「遥は誰かとキスしたいの?」って聞いたら、あの子、何て答えたと思う?



 「してみたくはあるかな。経験無いからわかんないけど、なんか良さそう」



 それを聞いた私はもう、ふんっ!って感じに切ってやった。


 だって遥は、覚えてないのかなんなのか、私とのキスを無かったことにしてた。

 何事もなかったかのように。なんてもんじゃない。遥にとっては、本当に何事もなかったんだ。


 仲良くなって間もない頃。

 あの頃の私はJKのフリをしてて、遥は女装をしてた。

 オケオールだってことでカラオケに行って、私はぽつぽつと煙草を吸いに喫煙室に行ってたんだけど、それが遥に見られちゃった。

 今思い返しても、あの時の私はちょっと変だった。

 本当は成人してるから問題ないんだけど、遥からしたらJKのフリをしている私は未成年で、そうなると当然、未成年喫煙を咎められる。

 正体がバレるわけにいかなかった私は、遥の私に対する認識を誤魔化すために、エッチな年上のお姉さんを演じた。

 こればっかりはもう、完全に酔った弊害だと思うんだけど、でもそれが功を奏した。

 遥に煙草を吸わせたのはまあ、法律的にはちょっと駄目かもだけど、それからは遥もヤニの味を気に入ったのか、何度も一緒に喫煙室に行っては煙草を吸った。そのおかげで仲良くなれた部分もあるから、まあ、結果オーライ。

 でも煙草が最後の一本になって、私のライターも寿命が来てしまった。ここでお預けは可哀そうだって思った私は、遥の煙草をシガーキスで点けてあげたんだ。

 そのあとはもう、酔った勢い、空気感、流れ。そんな色々に押されたのと、シガーキスで顔を真っ赤にして照れてる遥があんまり可愛いものだから、歯止めが効かなくなって、ついやっちゃった。


 私は遥にキスをした。


 それについては後悔なんてない。

 別にキスくらい、気が乗れば誰とでもする。

 環さんとだってしたことある。


 ……まあ、それ以外は一度も無いけど。

 でもそれは要するに、誰にでも気が乗るわけじゃないってこと。


 遥とは、会って間もなくても、したくなったってこと。



 私は私が好き。



 頭は小さくて、顎はシャープで、後頭部には丸みがあるから、画面に映えてくれる頭。

 さらさらと指通りが良く、ツヤもあって、それでいてふんわりと膨らむ髪。

 瞳は猫のようにくりっとキリッとしていて、可愛くも、かっこよくもなれる。

 真っ直ぐ通った鼻筋も、横から見たら僅かに鷲鼻のように見える高さがあって、のっぺりしてない。

 堀の深さも丁度良くて、横顔なんかは評判がいい。

 桜色の唇も、太くないけど細すぎない、程よい薄さで、両端は自然と吊り上がって見える。

 あんまり荒れないお肌も、綺麗に脱毛出来た全身も、太りにくい体質も、割れてくれる腹筋も、きゅっと引き締まったウエストも、大きすぎず小さすぎないお尻も、すらっと伸びて長い四肢も、胸はもう少しあってもいいと思うけど、それでも、私は私の全身が大好き。


 この、資本に満ちた全身が大好きなの。

 どれも私の財産。

 全身どこでもお金が稼げるような、そんな身体。


 ……エロいことには使う気ないけど。


 なんにしたって、今の私があるのは、この顔が、身体があったから。


 勿論、維持のための努力はしてる。

 でも、そもそもの素材がこれじゃなかったら、環さんにはきっとこの世界に誘って貰えなかったし、それこそ、あの主演の話だって無かったかもしれない。

 これのおかげで、私は今でも私でいられる。

 だから大好きなの。


 それもあって、私に似ている遥のことは、最初から結構好きだった。

 何をしていてもどこか申し訳なさそうで、困ったように笑う子。

 私じゃない私を見ているようで、楽しかった。


 だから、唇を合わせるのにも抵抗はなかった。


 昔、環さんと一度だけした、触れるだけのようなキス。

 環さんが私のコップを割っちゃって、私は別に怒ってなかったし、なんなら、環さんに怪我がなくて良かったって思ってたんだけど、でも環さんは心底申し訳なさそうにしてたから、私はそこに付け込んだ。


 「許してあげるからチューして」


 って。


 キスってものに興味があったし、環さんの色気のある唇が、子供心に美味しそうだと思って。

 環さんは「そんなのでいいの?」って言って、流れるようにサッとキスしてくれた。

 そのあとは、一緒にコップの破片を片した。

 一緒にって言っても、私はほうきとちりとりを環さんに渡しただけだけど。


 環さんも私に似ていた。

 優しいけど、怒るときはしっかり怒って、反省したら慰めてくれた。

 血なんてもうほとんど繋がってないような遠縁なのに、女手一つで育ててくれた。

 だから好き。大好き。


 でも、一つだけ違った。

 私は勘違いをしてたんだ。


 それは、環さんが私に似てるってこと。


 きっと、環さんは私に似てたんじゃない。

 あの頃の私は環さんのことが大好きで、環さんみたいになりたくて、環さんの真似ばかりしてた。

 だから、似てるって勘違いしたんだ。


 それに、顔なんて全然似てない。

 遺影とか、一緒に撮った写真とか、なんで似てるって思ってたんだろってくらい似てない。


 それでも、環さんのことは大好きなままだけどさ。


 だって、私の世界には、環さんしかいなかった。


 私と環さん。

 私の大好きなものしかない、二人だけの幸せな世界。


 でも、ある時突然環さんがそこからいなくなって、私は一人になった。

 寂しくて、息苦しくて、楽になろうとした。


 そんな私の前に現れた、私じゃない私。


 遥。


 手を差し伸べて、どん底のように病んでいた私を救ってくれた人。


 そんなの、普通に気になるに決まってるじゃん。


 わがままに付き合ってくれて、いっぱい遊んでくれて、通話にも付き合ってくれて、趣味に価値観に、ものの好みも合う子。

 外見は私に似てて、性格は優しくて、律儀で、困っていたら助けてくれて、いい奴であろうと健気に頑張っていて……


 そんなの、普通に好きになるに決まってるじゃん。


 そんな遥に、私を見てほしいって思うのって、キスを無かったことにしてほしくないって思うのって、別に普通のことじゃん。

 いい人なんだもん。



 大好きなんだもん……



 初めて遥を家に上げた日、お互いの秘密を暴露し合った。

 あの時の私は、遥に言った。


 『頼りにはしてるけど、困ったら遥に助けてもらえばいいって、何か面倒があったら遥になすりつければいいって、そんな風に遥のいいところに寄生してるわけじゃない』


 遥のいいところに寄生してるわけじゃない──


 今なら思う。

 どの口が言ってんだ──って。


 遥のいいところはたくさんある。

 優しいところもその一つ。


 あんなことを言っておいて、私は、喫煙室でしたキスを思い出してもらうため、意識してもらうため、遥の優しさを利用した。


 キスを忘れてほしくなかった。

 意識しててほしかった。

 なのに無かったことにされてて、ショックで、怒鳴って電話を切った。


 こんな面倒臭くて、わがままで、嫌な女、普通ならとっくに離縁されててもおかしくない。

 仕事仲間にいたら、普通にNGを出してたかもしれない。


 でも不思議なことに、もしそれが遥や舞菜たちだったら、私は全然嫌じゃないなって、ふと思った。

 大好きな子たちなら、そういうところも愛おしく思えるんじゃないかって。


 アニメとか漫画には、そういうキャラがたくさんいるし、私もそういうキャラは嫌いじゃない。

 だから私は、私の好きな子がどれだけ面倒臭くて、わがままで、嫌な子でも、全然気にならないって思えたんだ。


 そして、皆もそうだったらいいなって思った。


 私は思い切って、3人に全部を話した。

 遥とキスしたことも、私の気持ちも。


 全部話して、協力してほしいってお願いした。

 凛々が一瞬にやっとした気がしたこと以外は特に何事もなく、皆喜んで協力を申し出てくれた。


 まあ、愛瑠には春先あたりから私の気持ちがバレてたみたいで、ちょくちょく相談に乗ってもらってたんだけどさ。



 ……なんか私、最年長なのに、一番子供みたい。



 レーゲンボーゲン。ドイツアヤメ、白のカラー。


 レインボーフラワー。ジャーマンアイリス。


 誕生花なんて遥は知らないだろうから、色んな認識、名前、意味に目が向くようにって選んだヒント。

 舞菜から来たメッセージでは、どうやら誕生花には至れて、私の誕生日ってところまでは解けたみたい。

 答えまであと一歩が足りないあたり、遥って感じ。

 可愛い。


 検索したらすぐにわかるから、大丈夫だよね。


 

 5月23日。



 私の誕生日。



 キスの日。





 答え合わせは明日。





 私の家で、煙草でも吸いながら。




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