エピローグ
「あ、美緒ー」
「ここここんにちは皇先輩っ! わたし今日日直なので、失礼しますねっ!」
「え」
学校の廊下でばったり会った皇先輩に、くるりと背を向けて逃げ出す。
残された皇先輩がとまどっている気配がしたけど、振り向けなかった。
だって、だって、なんだか。
(顔が、見られない……!)
初めて声優としてお仕事をしたあの日。
皇先輩に、キスをされた。
キスって言っても、おでこだけど!
わたしには初めてのことで、なんだかずっとどきどきしている。
前から、皇先輩にはどきどきすることが多かったけど。
いっしょにいない時も、ずうっと顔が浮かんじゃって、なんだか他のことが手につかない。
こんなこと、初めてだった。
わたし、どうしちゃったんだろう。
「はぁ……」
部活の時間。
資料を取りに来た部室の隅で、つい溜息を吐く。
すると、誰もいないと思っていたのに、入口の方からくつくつと笑い声が聞こえた。
「わかりやすい溜息」
「さ、相良先輩!」
びっくりした!
気さくな先輩だから、部活の時間に何度かおしゃべりもしているけど。
こうやって、2人きりで話すのは初めてかもしれない。
「どうかしたか?」
「う……うーん……」
部長に恋愛相談って、どうなんだろう。
部活と全然関係ないし。
しかも相良先輩は男の子だし、なんかちょっと、気まずいかも。
「話しにくいことなら聞かないけど。俺で力になれるなら、部活以外のことでも相談にのるぞ」
さすが、面倒見のいい相良先輩。
みんなが頼りにするの、わかるな。
言うのはちょっと恥ずかしいけど、1人でずっとぐるぐる悩んでいても、どうしたらいいのかわからなくて。
相良先輩なら、もしかしたら、わかるのかな。
部室には2人しかいないのに、わたしは気持ち声をひそめて、こそこそと相談した。
「あの、ある人のことがずっと頭から離れなくて、考えないようにしてもすぐ顔が浮かんじゃって。顔を見るとすごくどきどきして、わーってなっちゃって、逃げたくなっちゃうんです。今までこんなことなかったのに、わたし、どうしちゃったんだろうって」
「ああ。間宮のこと?」
「ふえっ!?」
名前を出してないのに言い当てられて、どきっとした。
すごい。
なんでわかったの!?
「だって小鳥遊、間宮と付き合ってるんだろう? あの宣言はびっくりしたから。そうそう忘れないよ」
「き、聞こえてたんですか!?」
「間宮の声通るからなぁ。すぐ噂になったし、少なくとも放送部のやつらは、みんな知ってるんじゃないか」
は、恥ずかしい……!
放送部に入部してすぐ、皇先輩、付き合ってるってみんなに言っちゃったけど。
あれは三森さんの質問に答えてだから、C班以外の人たちはそんなに聞いてないと思ってた。
まさか全員知ってるなんて。
顔を赤くして俯くわたしに、ふと思い出したように相良先輩が付け足す。
「でも、お試しって言ってたっけ?」
「そう、そうなんです!」
わたしが身を乗り出すと、相良先輩が驚いたようにその分引いた。
いっぱいいっぱいだったわたしはそれに構わず、勢いのまま言葉を続ける。
「皇先輩から、お試しでいいって言ってくれて。わたし、それに甘えてて。でも、正式に付き合わないかって聞かれて……迷っちゃって」
キスされたことは、言おうかどうしようか迷って、言えなかった。
そこまで言うのは、やっぱり恥ずかしいし。
「なんで迷ってるんだ? 小鳥遊も、間宮のこと好きだろ?」
「好き……なんでしょうか」
「だって、さっき言ってた『顔を見るだけでどきどきする』とか『いつもその人のことが頭から離れない』って、恋してるってことだろ。違うのか?」
恋。
初めて自分に起こる変化に、本当にこれがそうなのかどうか自信がない。
黙ってしまったわたしに、相良先輩は「んー」と考えるように声をもらして。
「例えば、もし小鳥遊が間宮と別れるなら、間宮は他の女子と付き合うかもしれないけど。小鳥遊は、それを見て嫌じゃないか? 応援できる?」
「や、やだっ!」
ほとんど反射的に声を上げた。
皇先輩が、他の女の子と、手をつないだり、抱きしめたり、キス……したりするのは、嫌。
すごくもやもやして、胸がぎゅってなる。
「なら、そういうことなんじゃないか?」
相良先輩がにっこり笑った。
わたしは、まいった、というように顔を覆った。
「好き……うん、好き、だと、思います。でも、お付き合いって……なにするのかなって」
「そりゃ……デートとか?」
デート。
そういえば、学校で話したり、スマホで連絡を取ったりするけど、2人で遊びに行ったことはないかもしれない。
友達と遊びに行くのとは、やっぱり違うんだろうか。
「わたし、お付き合い、ってよくわかってなかったのかもしれません。皇先輩がいっしょにいてくれるのは嬉しいけど、デートとか……キ、キス、とか。そういうの、自分にできる気がしなくって」
きっと迷っているのは、不安なのは、そこなんだ。
今までは、どちらかというと、皇先輩のことを憧れとして見ていたように思う。
声優のことをたくさん知っていて、大人っぽい考え方をする、年上の男の子。
でも皇先輩だって、中学生の男の子なんだ。
それが急にはっきりした気がして、混乱してしまった。
皇先輩は、わたしにたくさんのことをしてくれた。
でも、わたしは、皇先輩になにができるんだろう。
皇先輩は、なにをしてほしいんだろう?
それを考えると、答えが出なくて、頭がぐるぐるする。
「それはきっと、間宮と相談することだな」
「……え?」
顔を上げたわたしに、相良先輩は迷子に語りかけるような口調で答えた。
「付き合ったらなにがしたいのかって、それは間宮にしかわからないことだろ。案外、小鳥遊と同じように、ただいっしょにいるだけで嬉しいのかもしれないし」
「そうでしょうか。いっしょにいるだけなら、お付き合いをしなくてもできますよね?」
「でもそれだと、他の人も同じようにいっしょにいられるだろ。さっき小鳥遊だって、間宮が他の人とお付き合いするのは嫌だって言ってたじゃないか。他の人と同じじゃなくて、1番近くにいられる特別な存在になりたいから、友達じゃなくて恋人なんじゃないか」
相良先輩の言葉は、意外なほど、すとんと落ちてきた。
たしかに、1番近くにいられるっていうのは、あるかもしれない。
他の人じゃなくて。
皇先輩の、1番近くがいい。
「デートとかキスとか、そういうのはひとまず置いといて。どうするのかは、小鳥遊のペースに合わせてもらえばいいんじゃないか? 小鳥遊が嫌がることするようなやつじゃないだろ」
「そ、そんなことしません!」
「うん。だったら、心配することはないな」
そうなのかな。
そうなのかも。
わたしが考えすぎちゃっただけで、そんなに、難しいことじゃないのかもしれない。
1番好きな人と、1番いっしょにいたいだけ。
そう思ったら、もやもやが晴れた気がした。
「ありがとうございます、相良先輩」
「どういたしまして」
すっきりした気分で、資料を持って部室を出た。
部長って、やっぱり頼りになるなぁ。
わたしも3年生になったら、あんな風になれるかな。
その日の部活に、皇先輩は最後まで来なかった。
早く返事をしたかったけど、直接会って話したかったから、わたしは次会えたら話をしよう、と決めて過ごした。
けど、しばらく皇先輩とはすれ違いが続いた。
スマホで『忙しいですか?』とメッセージを送ったら、1日たってから『今ちょっと仕事がたてこんでる』と返事があった。
忙しいなら、あんまり連絡とかしない方がいいよね、と思って。
結局、話もしないまま数日が過ぎた。
*~*~*
「あれっ間宮、久しぶり!」
「久しぶりです、相良先輩」
ある日の部活、唐突に皇先輩が顔を出した。
わたしは、来るということを知らなくて、びっくりした。
別に、今までだって必ず連絡があったとかじゃないけど。
お仕事、落ち着いたのかな。
「仕事大丈夫なのか? 学校も休んでたって聞いたけど」
「はい、いったん落ちつきました。それに学校はたまに欠席ありましたけど、基本来てましたよ」
「あれ、そうなのか」
聞こえた会話に、わたしは驚いた。
部活に出る余裕はなくても、学校に来てたなら。
わたしが会いたいって連絡したら、休み時間とかに会えたのかも。
忙しいのにそんなわがまま、という気持ちと、ほったらかしにしてしまったのでは、という気持ちで複雑な表情をしていると、皇先輩と目が合った。
次の瞬間、ふい、と視線を逸らされて、わたしはショックを受けた。
いつもだったら、目が合えば、笑ってくれるのに。
この前避けてしまったせいかな。
全然連絡しなかったからかな。
なにかやらかしてしまったのだ、という思いだけはあって。
部活の間中、わたしは気が気じゃなかった。
いつもより長く感じる部活の時間が終わって、みんなが帰り支度を始める。
「皇先輩っ!」
1人で帰ってしまいそうな皇先輩に慌てて声をかけて呼び止めると、少し元気のなさそうな皇先輩がこちらを向いた。
「あの、いっしょに帰りませんか」
「ああ……うん」
歯切れの悪い返事だったけど、それでも皇先輩が拒絶しなかったことに、わたしはほっとした。
帰り道。
無言の時間が続いて、わたしは口を開いたり閉じたりしていた。
なんて切り出せばいいのかわからなくて、でも話しかけるなら自分からだろうという気もして。
情けない顔をしているわたしに気づいたのか、皇先輩が重たい口を開いた。
「ごめんな」
「えっ!?」
なにがだろう。
皇先輩が謝るようなこと、なにかあったっけ。
おろおろしていたら、しょげたように皇先輩が続けた。
「前に、正式に付き合おうって言ったやつ。あれ、1回なかったことにして」
自分の気持ちが固まって、ちゃんと返事をしよう、と考えていたわたしには寝耳に水だった。
驚いて、思わず問い詰めるような声が出る。
「ど、どうしてですかっ!?」
「あのあと学校で会った時、美緒、オレのこと避けただろ」
どきっとした。
やっぱりあの時のこと、皇先輩、気にしてたんだ。
「オレ、なんかしたかなーって考えてさ。心当たり、あの時のことしかなかったから、ちょっと人に相談したんだ。そしたら、卑怯だって言われてさ」
「卑怯?」
「あの状況で聞いたら、相手が断れないだろうって。オレの紹介で仕事した直後なんだから。言われて初めて気づいたよ。あれじゃ取引みたいだよな」
「……え?」
今までずっと強気で押してきてたのに。
急に引いた皇先輩に、思わず不安げな声がもれた。
「美緒の気持ちが追いつくまで、待つつもりだったのに。あの時の美緒が、あんまり眩しかったから。だれかに取られるんじゃないかって、心配になったんだ。それでちょっと焦った。美緒がオレのこと好きだと思ったのは間違いないけど、考えてみたら、声優の先輩として頼ってただけで、男としてのオレが好きとは限らないもんな」
苦笑した皇先輩に、ずきりと胸が痛んだ。
違う、そんなこと、ない。
「安心してよ。断ったからって、もう声優のことは教えないとか、そんなことはしないからさ。たしかにオレは美緒が好きだけど、美緒に声優の才能があると思ったのもたしかだから。そっちはそっちで、ちゃんと分けて相談にのるよ。だから、オレのことが好きになれなかったら、遠慮せず断って」
寂しそうに笑った皇先輩に、ぐっと喉が詰まった。
なんで、そんなこと言うの。
いつも自信満々のくせに、こんな時だけ。
ずるい。
でも、そんな風に思わせたのは、わたし。
わたしが、はっきりしなかったから。
覚悟を決めて、ぎゅっと皇先輩の手を握った。
「美緒……?」
「わたし、皇先輩のこと、す……っ、す、すぅ」
どうしよう。
ただでさえ声が小さいのに、こんなんじゃ届かない。
ぎゅっと目をつぶると、お仕事をした時のことが頭に浮かんだ。
そうだ。
わたしの一言には、お金を貰える価値がある。
価値がある言葉に、わたしが、する!
「好きです!」
言えた、と思ったら、そのまま言葉があふれてきた。
「学校で避けちゃったのは、キスされたのが恥ずかしくて、皇先輩のこと、男の子として意識しちゃったから、どんな顔すればいいのかわからなくて」
わたしの言葉に、皇先輩が目を丸くする。
届いてる? ちゃんと、伝わってる?
「わたしちゃんと、皇先輩のことが好きです。いつもわたしのこと考えてくれるところも、普段甘やかしてるのに声優のことになるとちょっと厳しくなるところも、でもそれもわたしのためだってところも、みんなの前ではかっこいいのにわたしの前だとたまにかわいくなるところも、全部、全部好きで……っ」
「わ、わかった、美緒、わかったから」
制止されて、嫌だったのだろうか、と慌てて顔を見ると。
「ちょっと、待って……」
皇先輩は、真っ赤な顔を、手で隠すようにしていた。
(皇先輩が、照れてる……!)
いつもわたしばっかりやられっぱなしなので、珍しい表情に、わたしは調子にのってしまった。
「皇先輩、照れてます?」
「照れてない」
「じゃぁ顔見せてください」
「あのな……」
めったにないチャンスなので、からかうような言葉をかける。
すると、皇先輩は覗き込もうとしたわたしの顔を両手で包んで、ぐっと顔を近づけた。
「これで見える?」
(きゃああああ!?)
いじわるく笑った皇先輩の顔が、真正面にある。
おでことおでこがくっつきそうなくらいに近くて、わたしはすっかりパニックになってしまった。
主導権を取り戻した皇先輩は、楽しげに笑った。
「オレも美緒が大好き。これからは正式に恋人として、よろしくな。美緒」
こつりとおでこを合わせられて、わたしの頭はふっとう寸前だった。
恋人になっても、わたしの心臓、もたないかもしれません!
わたしの声が届きますように 谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中 @yuki_taniji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます