第9講義:ブルー・ジャスミン(2013、ウッディ・アレン、アメリカ)

 今回は映画盛りだくさんの講義をします。ウッディ・アレンの話はしません。ビクトル・エリセの寡作さと対称的に、彼は年に2~3本制作しています。完全に薄利多売です。映画界の赤川次郎といっても過言ではありません。気ちがいですよねホント。

 ブルー・ジャスミンは主役のケイト・ブランシェットを観たかったからで、ウッディ・アレンのことなんか考えてません。とはいえ、この映画の冒頭は『欲望という名の電車』に似ています。夫の死後、元教師である姉ブランチが妹ステラと兵隊上がりの工場労働者スタンリーのところに居候しますが、お高く留まったように見えるブランチを乱暴で粗野なスタンリーがずけずけとものを云って、ただでさえ神経質のブランチの精神が蝕まれていきます。

 元ソーシャライトのジャネット(ジャスミンと勝手に改名)が、サンフランシスコにいる異母姉妹のジンジャーのところに転がり込んできます。かつてのジャネットは富裕層でマンハッタンに住んでいました。夫のハルは何でもダイナミックな人でしたが、ある日詐欺罪で捕まり、あっさりと自殺しました。夫の仕事には関心のないジャスミンもまた借金が膨らんで資産はパーになり、歯科医の受付係をやりながらオンライン授業でデザイナーの資格を取るという遠大な計画をたてましたが、どれもこれも挫折。ジャスミンは学校を出て以来、ちっとも働いていない世間知らずなお嬢さんで、夫の大失敗に巻き込まれたいまでは「カクテル」と呼ぶ6種の抗鬱剤をウォッカで飲むという「神経症ぎりぎりの女(たち)」だったのです。うつ病かな? とにかくケイトの演技が観たくて買いました。ぶつぶつ独り言をつぶやいたり、目は泳いでどこを見てるのか不安定な表情もまた、ヴィヴィアン・リーのブランチ役を思い出させます。ケイトったら、あんたまで真似してるの? なんてこと!

 役者なら、一度は『欲望という名の電車』という古典的名作を観ないといけないものです。仕事としても使命としても。

『こわれゆく女(1974、ジョン・カサヴェテス、アメリカ)』のメイベル役のジーナ・ローランズも、それは見事な“こわれ女優”演技を見せてくれました。原題は“A Woman Under the Influence”といって、AI翻訳すると「麻薬に溺れる女」「惑わされる女」「影響下にいる女性」などなど、土木作業員のニックの奥さんのメイベルはもともと神経が弱いから、ガサツで自己中心的なニックはどう扱っていいのかわからず、家でパーティーをやったり作業員を大勢呼んでスパゲッティをふるまったりしてかえって病気が悪化して入院してしまいます。彼女のバラエティ豊かな顔芸といったら、志村けんも真っ青です。道ですれ違うと「危ない女」と思われるでしょう。入院中、毎食薬を服用し、電気ショック療法をして、“本物の精神疾患患者”になります。

 話は堂々と脱線します。いまから二〇数年前、わたしは江戸川区に住んでいました。江戸川区は広大な荒川があって、天気のいい日は荒川の土手で寝転んで、ぼんやり空を眺めていました。ら、何やら水銀状のものがねらねらと動き回り、しまいにはカプセル状になって一瞬で空から消え去りました。あれを未確認飛行物体と呼んでいいのでしょうか。

 またある日、わたしは平井駅のホームで電車を待っていました。そのとき「@*=?$!%#&!」という判別できない言語(わたしはこれを「宇宙語」と呼びます)が聞こえて、その声のするほうに顔を向けたら、スタイルのいいお姉さんが本を読んでいるのです。わたしは怖くなって、お姉さんの顔を見るのをやめ、素知らぬふりをしました。それが二回あって、二回とも素知らぬふりをしました。江戸川区は宇宙人に支配されています!

 精神疾患の場合、女性のほうが多いわけではありません。前回も話したように『カッコーの巣の上で』のマックマーフィー役であるジャック・ニコルソンがいます。彼は『シャイニング(1980、スタンリー・キューブリック、アメリカ)』のジャック・スタン役も演じており、人気のない冬場のホテルのなかで亡霊が乗り移ったか影響を受けたのか、徐々に精神が破綻していく描写を見事に演じています。ついでにいうと『ブルー・ベルベット(1986)』のローラ・ダーン、『シャイニング』のシェリー・デュヴァル(母親役)とダニー・ロイド(ダニー役)は“アホ顔クィーン”です。“アホ顔クィーン”とは誉め言葉ですが、ホラー映画で観客がより恐怖を感じる俳優の顔です。観客は鏡映しのように“アホ顔クィーン”の顔を見ます。名前で検索すればすぐわかりますよ。

 先述したジーナ・ローランズのことですが、『グロリア(1980、ジョン・カサヴェテス、アメリカ)』にも主演しています。実はこの映画をパクったのが『レオン(1994、リュック・ベッソン、フランス)』です。中年女グロリアと少年フィルのペアと、中年男レオンと少女マチルダのペアを変えるだけでOK。でもわたしは『グロリア』を断然推します。10代のナタリー・ポートマンはすっごくキャワイイですが、それでも『グロリア』推しです(ね、頑固でしょ?)。わたしが推す理由は、名優ジーナ・ローランズのおかげか、名監督ジョン・カサヴェテスのおかげか、ふたりが出会って結ばれた運命なのかわかりません。1989年、ジョンは肝硬変で59歳で死に、ジーナはアルツハイマー型認知症で94歳で死にました。2024年8月のことです。

 女優と映画監督のカップルは日本にもいました。伊丹十三と宮本信子です。最初に観たのは『お葬式(1984)』でした。伊丹自身が経験した葬式を元にしたそうです。次がラーメン・ウエスタン形式の『タンポポ(1985)』です。モデルは八王子の『春木屋』ですが、コロナ禍で潰れました。わたしは食べに行ってません。ラーメンは雪の降る寒い時期に食べるのが美味しいとわたしは思っているので、温い東京ではラーメンを美味しく食べられません。その他、伊丹作品シリーズ『マルサの女(1987)』『スーパーの女(1996)』『ミンボーの女(1992)』はYouTubeで視聴可能なので省略します。英語で検索して「full movie」と打てば観られます。

『ミンボーの女』公開後、伊丹は暴力を受けて頭に包帯を巻きながら「敵とは堂々と戦う!」と記者会見していたのを憶えています。ところが『マルタイの女(1997)』公開後、伊丹は飛び降り自殺します。伊丹を知っている関係者は「自殺するなんて彼らしくない」と云ってますが、わたしも同感です。いつも洒落た洋服を着ていた伊丹が、グレーのスウェット上下とサンダルで飛び降りたなんて信じられません。伊丹は、暴力には屈しないが新興宗教には屈するんだ、と思ってわたしは震撼しました。

 ここ十数年、わたしは東村山市に住んでいましたが、この東京郊外の田舎町にも『ツイン・ピークス』みたいな黒い謎があります。まず、民家に多いのが公明党のポスターです。あれはどういうシステムで貼られているんでしょうか。公明党員なら貼れるとか、ポスター掲載料を党に支払ってもらえるとか、ちょっとわかりません。

次に、東村山市議会議員が飛び降り自殺したニュースやブログが、検索するといまでも出てきます。その市議会議員は若年性認知症で、万引きが多く、それを苦にして飛び降りたのではないかという疑惑ですが、謎は解決していません。飛び降り自殺した市議会議員の娘さんが選挙に当選して、現在の東村山市議会議員の任務についているのです。その娘さんの実家は東村山市民に向けた新聞を発行しており、市の疑惑を追及しているのではないかというのがわたしの推測です。

 そして、わたしの推測は、創価学会員が飛び降り自殺の偽装をした真犯人ではないかというものです。伊丹の飛び降り自殺も、東村山市議会議員の飛び降り自殺も、具体的にはわかりませんが、手口は似ていると思います。宗教って、暴力団よりもマジでこわいですよね。

 大学時代、学生自治会が主催して麻原彰晃が講演会をやるといって宣伝しました。そのうちテレビにも頻繁に出演し、10代の信者が家出してまでオウム真理教に入会しました。大学卒業後、わたしは高円寺に住みましたが、杉並道場が近いことも、オウム系の花屋や飲食店が商店街にあることも知っていました。でも、わたしは入会したいと思ったことは一度もありません。あんなデブでヒゲもじゃのおっさんがなぜ人気あるのかと疑問に思ったことはありますが。

 難病で藁にもすがる思いが新興宗教に入れ込むのかもしれません。たとえば、オウム真理教幹部の元死刑囚・中川智正は「巫病」という解離性障害に苦しみ、オウムに出会ってしまいました。わたしは流行に弱いのかもしれないし、鈍感で無神経かもしれません。実際、インフルエンザやノロにもかかったことはありません。風邪にかかったことは十数年に一回です。

 さて、話を強引に戻して、ケイト・ブランシェットのことを話します。最初に観たのは『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』でした。ヴェロニカ・ゲリンは、アイルランドのダブリンで麻薬犯罪を追及し続け、1996年に犯罪組織に銃撃され命を落とした実在の女性ジャーナリストで、彼女の半生を描いた実話です。

次に観たのは『あるスキャンダルの覚え書き(2006)』でした。ケイトのセクシーさ、怒鳴り声にも大いに魅力的でしたが、それよりも何よりもまして、ジュディ・デンチの演技の魅力にハマってしまいました。このときからわたしは「フケ専」「枯れ専」のけもの道を自力で開拓したのです。

「フケ専」という言葉にピンときた人は『八月の鯨(1988、リンゼイ・アンダーソン、アメリカ)』『ドライビング・ミス・デイジー(1989、ブルース・ベレスフォード、アメリカ)』『フライド・グリーン・トマト(1991、ジョン・アヴネット、アメリカ)』をぜひご覧ください。特に最後の作品はキャシー・ベイツの怪優どころがわかるかと思います。

 話は飛びに飛んで戻り、岡本太郎『岡本太郎の宇宙3 伝統との対決』から引用します。「縄文土器論ー四次元との対話」は、一万五千年続いた縄文文化と次の弥生文化とは生活様式も異なり、人間の思考も行動も空間把握も違っている、縄文文化とは、狩猟民族における四次元との対話ではないか、という問題提起です。少し長い引用です。


***


[…]私はその空間性を強調した。だがしかし単に三次元の身体として、彫刻的に美学的に観賞しようとするならば、それはまた素朴な現代的観念である。むしろこの土器の異様な神秘性に注目し、皮相な現実を超えた四次元的性格に考察を進めなければより適確にこの文化を理解することはできない。実はここに縄文土器の真の面目が躍如としているのである。

 原始社会に於ては全てが宗教的、呪術的であるということは、既にデュールケイム学派をはじめとして社会学者が認めている処である。前述した如く全く偶然性に左右される狩猟生活は未開な心性に超自然的な意志の働きを確信させる。全てに霊があり、それが支配している。この見えない力に呼びかけるのが呪術である。

 例えば猟に於て、実際に獲物を捕えるという作業は別に重要ではない。むしろそれ以前の儀式が遥かに大切である。呪術によって獲物に魔力をかけ、猟場におびきよせる。もし呪術が成功しなければ獲物は見つからないだろうし、矢は外れてしまうだろう。あらゆる努力は無駄になるのである。だから不猟の場合は、彼らは直ちに種族の誰かが呪術の掟を破ったからだと考える。つまり呪術は最大の条件であり、狩猟そのものでもあるのだ。狩猟後もまた結びの呪術がおこなわれる。それによって殺した動物の精霊をなだめ、その復讐を避けるのである(この一見因果律を無視した原始的思惟様式は、だが今日でも猶残存している。鰻供養、針供養などはじめ、先日の新聞によると新たに鶏屋さんの鶏供養まで出現したという)。

 (中略)

 我々には既に四次元との対話はない。しかし、宛も彼らが超自然の世界と交渉したように、同じく不可視ではありながら極めて現実的に迫って来る切実な問題にふれている。それは単なる美学には関りはない。原子爆弾が炸裂し、二つの世界の対立があり、奇怪な経済恐慌が起る。それはさながら原始社会に於ける精霊のごとく、よきにつけ悪しきにつけ、極めて現実的に我々の生活に関って来ているのである。それが一応芸術に無関係なように、切り離して考える処に今日の芸術の為の芸術の不幸がある。単なる趣味、嗜好を土台としたオプティミスティックな味の美学は芸術家が職人として、真に社会的な現実と遮断されていたマニュファクチュアー時代の遺物なのである。

 今日、此ののっぴきならない現実の中で、芸術家意識を固辞するあまりに精神主義に陥り、殆ど全ての芸術家たちが如何に戸惑い、それをひた隠し、非力を糊塗して過していることであろうか。この不可視であり、だが極めて現実的なるものに正面からぶつかり、己自身を引き裂かない限り、現実に対して、また芸術に於ても決定的に無力である。だがこの交渉を神秘化してはならない。それこそ堕落であり、退廃である。


***


 みなさんにも好きな漫画家さんやアーティスト、アイドルがいると思いますが、その憧れの対象を「推し」としてはならない、「神格化」してはならない、ということです。憧れの対象に少しでも近づく方法は「お金」を支払うしかない、これは金を払っているのではない、「お布施」である。ぜんぜん違います。お布施することと対価を支払うことはまったく別です。普段の行動を根本から考えてみてください。お金を払うことは、それなりの対価を期待すること、利潤を求めることではありません。自分の払った対価を自分で受け取ろうとしてるじゃありませんか。違うんです。お布施は、未来への投資です。自分たちが死んでしまった未来に対する希望です。しかし現代人は「お布施する」ことができないのです。この人を愛してしまったら、お互いに会ったり喋ったりセックスすることくらいしかできません。実際、恋愛映画もそうです。わたしたちは恋愛について映画に洗脳されています。「愛=セックス」という狭量的解釈しかできないのです。

 芸術家の作品でもそうです。いずれこの作家の作品は価値が出るから今のうちに買っておこうとするのは投資そのものです。現代の芸術家はといえばイギリス在住のバンクシー以外にありません。政治活動家・映画監督・「芸術テロリスト」でもあるバンクシーはグラフィティ・アート、ステンシル・アートといわれてますが、そこらへんにあるもの、たとえば壁とかアスファルトとか標識とか屋根とかにスプレー状のものを描いて反資本主義的な作品にします。人気があって彼の作品を持ち帰りたいと思いますが、誰もできません。バンクシー自体そのことがわかってるからです。


 何云ってんだかわたし自身も混乱してるので、急遽この辺で講義を終わりたいと思います。尻切れトンボで本当に申し訳ありません。ひらに。

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