第五話「開け、ゴマ!」

「何か分かったの? 桜井さん」

 それまで聞き役に徹していたハヤトくんが、私に尋ねてくる。彼も何かを感じ取ったみたいだ。

「うん、あくまでも一つの可能性だけどね。藤原先輩……聞きますか?」

「聞こう」

 リョウマ先輩がどっしりと構えながら聞く姿勢に入る。

 ……どうでもいいけど、「生徒会長」という札の立てられた立派なデスクに両肘をついて拳を組んだ姿勢をしているので、「謎の敵と戦う秘密組織の思わせぶりな司令官」みたい。

「繰り返しになりますが、これは一つの可能性――仮定の話です。私は現場を見ていないし、証拠集めもしていない。私の考えが合っているかどうかは、きちんと検証しないと分かりません。それでもいいですか?」

「無論だ。検証はこちらでやろう。あくまで、参考として聞かせてほしい」

「分かりました。では――」

 息を大きく吸って、吐く。

 頭の中にあるスイッチを切り替えて、私はほんの少しだけ「こども探偵みらいちゃん」であった自分を呼び起こした。

「結論から言います。照山先生は、確認ミスなんてしていないと思います。先生が確認した時には、きっと文芸部室の鍵はかかっていたのでしょう」

「ほう、その根拠は?」

「根拠自体はありません。でも、お話を伺っていると、照山先生という人は随分と信用があるように感じました。もし、信用のない先生なら、この話は『きっと先生の確認忘れだったんだろう』で済みますよね?」

「ふむ。確かに、照山先生は細やかな気配りができる方で、生徒からも先生方からも信頼されている。ケアレスミスをごまかそうとして、言い訳を重ねる人間でもない」

「でしたら、照山先生のミスという線は、この際考えなくてもいいでしょう。さて、次に考えるべきは、『ならば、いつ鍵が開いたのか』ですが……こちらについては、考えるまでもないでしょう。――坂ノ下先輩、分かりますか?」

「え、私ですか?」

 ここで私は、聞き役に徹していた坂ノ下先輩にあえて質問した。

 ――探偵が推理を披露する時に大切なものの一つに、「説得力」がある。

 残念ながら、それはただ理路整然と推理を披露しただけでは得られない。

 時々、こうやって聴衆を状況に巻き込んで、自分の頭で答えを考えてもらう必要がある。

 漫然と聞いている他人の話よりも、自分で考えて導き出した答えの方が、その人にとっては信頼がおけるのだ――。

「ええと、照山先生が確認した時は鍵はかかっていた。警備員さんが確認した時には、開いていた。でしたら、鍵が開けられたタイミングは一つ、ですね」

「ですね。……藤原くんも、分かりますよね?」

「もちろん! 照山先生が見回ってから、警備員さんがやってくるまでの間だね!」

 ハヤトくんに話を振ると、彼は嬉しそうに答えてくれた(可愛い)。

 よしよし、今日の聴衆はノリが良くて助かるね!

「さて、これで『鍵がいつ開かれたか?』という疑問は解消しました。では、次に考えるべきは――」

「『どうやって鍵が開けられた』だな」

「その通りです、藤原先輩」

 リョウマ先輩に目配せすると、彼はこちらの期待通り私の言葉を引き継いでくれた。

 さすがは生徒会長、こういった話し合いの上手い進め方を心得ているらしい。

「ですが、こちらも答えは限られてきます。二つある鍵は、どちらも電子施錠されたキーボックスの中にあり、使用された形跡はなかった……だとすると、鍵を開け閉めする方法は一つしかありません。藤原先輩、お分かりになりますか?」

「そうだな。何かとんでもないトリックでも使った、等という噴飯物の話でない限り、答えは一つしかない。――そう、『内側から開けた』と言いたいんだな?」

「その通りです」

 先輩の答えに、思ず口元がゆるむ。見れば、リョウマ先輩の口元もほんの少しゆるんでいた。

(……へぇ、こんな笑い方をするんだ)

 何故だか胸の奥がムズムズし始めたけど、今は無視する。

「ええっ!? 内側から開けたって? どういうこと?」

「普通に、サムターンを回して」

「サムターンって?」

「ほら、ドアの内側にある、鍵を開け閉めするツマミ」

「ああっ! あれね! ――って、そうじゃなくて!」

 そこでハヤトくんが、以外にも見事なノリツッコミを披露してくれた。

 この人、結構こういうノリもいけるんだね。勉強になる。

「内側から開けたって、誰が? 何の為に?」

「さあ?」

「『さあ』って。桜井さん、犯人が分かったんじゃないの?」

「まさか。私はあくまでも『何故、鍵が開いていたか』の可能性を示しているだけだよ? 『誰がやったか』なんて、さっぱり分からない」

「ええ……」

 ハヤトくんは何やら納得がいかないようだった。どうも、彼は私に「名探偵」みたいな鮮やかな解決を期待していたらしいね。

 ……う~ん、仕方ない。推測に推測を重ねるのは好きじゃないんだけど、今回はサービスだ。

「そうだね。犯人が誰かは分からないけど、『もしかしたら』という推測くらいは言えるよ」

「本当? 聞かせて聞かせて!」

 ハヤトくんがじゃれつく子犬のように期待のまなざしを向けてくる。

 リョウマ先輩に目配せすると、彼は静かに頷いた。「話してやれ」ということらしい。

「分かった。これは、本当にただの推測だから、そういう認識で聞いてね? 先輩方も、よろしいですね?」

「了解した」

「ええ、弁えてますよ」

 リョウマ先輩と坂ノ下先輩が、それぞれ同意する。多分だけど、この二人もハヤトくんも、不確かな推理を鵜呑みにして言いふらしたりはしないだろう。

 私は少しだけ緊張を解くと、再び口を開いた。

「さて、ここで考えるべきことは二つ。『誰が文芸部室内にいて、中から鍵を開けたのか?』、そして『何故そんなことをしたのか?』です」

「『フーダニット』と『ホワイダニット』だな」

「兄さん、何それ?」

「『フーダニット』は『誰がやったのか?』、『ホワイダニット』は『何故やったのか?』だ。他にも、『どうやってやったのか?』という意味の『ハウダニット』というものもある。ミステリー用語だよ」

 リョウマ先輩が、すかさずハヤトくんの疑問に答える。

 ミステリー用語がスラっと出てくるところを見るに、この人その手の作品が好きなのかも。

「解説ありがとうございます、先輩。そうですね、まずは『フーダニット』からですが……こちらは単純に考えれば、文芸部員のどなたかでしょうね。第三者の可能性もあるにはあるでしょうが、ここでは考えないことにします」

 一同を見回すと、それぞれが頷きを返した。どうやら異論はないらしい。

「次に、『ホワイダニット』――何故やったのか? ですが、これは犯人が文芸部員であると仮定すると、ある一つの仮説が浮かび上がります。坂ノ下先輩、お分かりになりますか?」

「ううん……あまり思い浮かびませんね」

「では、藤原くんは?」

「え~と、部室に遅くまで残っていたのをごまかす為?」

「うん、それもあるかもしれないけど。今回の場合、もっと切実な理由があったんじゃないかな」

 坂ノ下先輩とハヤトくんが考え込む。もしかすると、真面目な二人には思い付きにくい理由なのかもしれない。

 すると――。

「そうか。『鍵をかけ忘れたのをごまかす為』か?」

 リョウマ先輩が、ぽつりとそんなことをつぶやいた。――やはりこの先輩、デキる!

「さすがですね、藤原先輩。私も同じ考えです」

「え? え? どういうこと? 桜井さん、兄さん、説明してよ~」

 まだ答えが分からずにオロオロするハヤトくん。

 一方、坂ノ下先輩は「あっ」と何か思い当たったような声を上げた。どうやら、先輩も同じ答えに辿り着いたらしい。

「ハヤトくん。もしも君が、部室の鍵をかけ忘れたまま、鍵を職員室に返してしまったら、どうする?」

「気付いた時点で職員室に行って、もう一度鍵を貸してもらう」

「そうね、君ならそうするよね。じゃあ、職員室に誰もいなかったら?」

「ええと……見回りの先生か警備員さんを探す? あ、でも、行き違ったら大変か。だったら、職員室の前で待つ、かな?」

「うん、ありがとう。普通はそう考えるよね――でもね、ハヤトくん。世の中には、そういう風に考えない人もいるんだ」

「えっ、どういうこと?」

 ハヤトくんは、ここまで言ってもピンとこないらしい。本当に根が善人なんだね。

 ……なんだか、ここから先の話を彼にするのは、「無垢な天使に悪事を教える悪魔」みたいな感じで嫌だなぁ。

 まあ、仕方ないか。

「世の中にはね、失敗してしまった時に『とにかくバレないように隠そう』と考える人もいれば、自分のミスを他人に尻ぬぐいしてもらうことを極端に嫌がる人もいるの」

「ええっ? そんな人、いるかな?」

「だってほら。さっき教室で起こった件だって」

「あっ」

 先ほど、私達は教室で「神崎さんのスマホ行方不明事件」に遭遇していた。

 あの時、神崎さんは禁止されているスマホを持ち歩いていたことを周りに知られたくなくて、限られた人にしか事件のことを教えなかった。

 つまり、ミスを隠そうとした。

 ハヤトくんには、これで通じたらしい。

「さて、ハヤトくん。君が『鍵をかけ忘れたことを隠そうとする文芸部員』だったら、どう行動する?」

「ええと……そうか! 部室の中に隠れて内側から鍵をかけて、見回りの先生や警備員さんが確認するまで待つ! それで、先生がいなくなった後、やっぱり内側から鍵を開けてこっそり出ていく、かな?」

「ご名答! 昇降口はもう閉まってるから、きっと靴を持ってこそこそと逃げるように、教職員用玄関から出て行ったんだろうね。そして――例えば、翌日の朝一番に部室の鍵を借りて、いかにも『今、カギを開けました』みたいな顔で部室のドアを開ければ、バレないと考えたんじゃないかな?」

「なるほどねぇ……。うん? でもさ、施錠の確認は先生と警備員さんのダブルチェックだったんだよね? 先生が確認した後に鍵を開けて出て行ったら意味がないんじゃ?」

 お、ハヤトくん、きちんとそこのところに気付けたらしい。偉い偉い。

 ……なんだかちょっと、弟分の面倒を見ている気になってきたぞ!

「うん。でもね、さっき藤原先輩も言ってたけど、そもそも施錠をダブルチェックしてる話って、全生徒が知ってるわけじゃないかもしれないんだよね」

「あっ」

「だから、その文芸部員も先生さえやり過ごせば、もう確認しに来る人はいないって思っちゃったんじゃないかな? ――もちろん、これは全部推測だけどね。つじつまが合うだけの」

 そこまで言い切ってから、喉が渇いていることに気づいて、お茶を一口含む。少し冷めていたけど、美味しい玄米茶だった。「粗茶」だなんて、とんでもない。

「……見事だユリカくん。まさに『名探偵』だな」

「ウェッ!? や、やめてくださいよ藤原先輩! 私のなんて、ただの推測! 思い付きですから!」

 リョウマ先輩の言葉に、思わずお茶を吹き出しそうになる。

 この人やっぱり、私が「こども探偵みらいちゃん」だってこと、気付いてる……?

「いや、中々どうして立派な『安楽椅子探偵』ぶりだ。もちろん、推測も多いが、現場に行っているわけではないのだから、当たり前だ」

「あんらくいすたんてい? 何それ?」

「アームチェア・ディテクティブ。現場に行かないで、他人から聞いた事件の話だけで真相や犯人を探り当てる探偵のことよ」

 ハヤトくんの疑問に、すかさず坂ノ下先輩が補足を入れてあげる。

 「安楽椅子探偵」も有名なミステリー用語の一つだ。

 もしや、リョウマ先輩だけではなく、坂ノ下先輩もミステリー好きなのだろうか? ちょっと意外だ。

 坂ノ下先輩はもっとこう、「やまとなでしこ」らしく純文学とか詩編とかが似合いそうだし。

「いい話を聞かせてもらった。参考にさせてもらおう。さて――」

 そう言いながら、リョウマ先輩が立ち上がる。

 もしかすると、職員室に行って、今の話を膨らませて照山先生の冤罪を晴らそう、というつもりなのかもしれない。

「あの、藤原先輩。念の為ですけど、私の名前は一切出さないでいただけると……」

「ほう。その心は?」

「私、あまり目立ちたくないんです。平和な学校生活を送りたいので」

 ――もし、リョウマ先輩が私の素性に気付いているのなら、多分この言葉だけで伝わるはずだ。「有名子役だった過去は、この学校ではバレたくない」という私の気持ちが。

 これは一種の賭けだった。もしリョウマ先輩が、私が「こども探偵みらいちゃん」であることに気付いていなければ、ただのヤブヘビだ。

 逆に気付いていても、「そんな立派な過去ならもっとアピールしないと」と言い出したら、その時点で私は詰む。

 でも、この短い時間の中でもリョウマ先輩がいい人だということは、なんとなく分かっていた。だから、賭けたのだ。

 果たして、その賭けの結果は――。

「了解した。ユリカくんにはユリカくんの事情があるのだろう。君の名は伏せておくよ」

 開け放たれたドアの方へ向かいながら、リョウマ先輩が言う。

 その言葉に、私はほっと安堵のため息を漏らす――と。

「ああ、そうだ。ユリカくん、藤原が二人もいるから紛らわしいだろう。俺のことは『リョウマ』と下の名前で呼んでくれていい」

「へっ?」

「あ、ずる~い兄さん! 桜井さんは僕の友達なのに! 桜井さん! 僕のことも『ハヤト』って呼んでいいからね?」

「えっ?」

「そういうことで、俺は職員室へ向かう。坂ノ下くん、すまんが後は任せた」

「かしこまりました、会長。行ってらっしゃい」

 最後にささやかな笑顔だけ残して、リョウマ先輩は去ってしまった。

 ――いや、そりゃ心の中では既に下の名前で呼んでましたけど?

 実際に、あんなイケメンな先輩を下の名前で呼ぶとなると、ちょっとハードルが高いというか?

 ハヤトくんにいたっては、またクラスの他の女子からの視線が痛くなること請け合い!


 いや、本当に私の学校生活、このまま平和に過ごせるの?

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