第2話

 少年が目を覚ました時、スマートフォンのアラームが鳴っていた。慌てて上体を起こして周囲に素早く視線を走らせた。見覚えのある部屋だった。ここは自分の部屋に間違いがない。少し安堵したように息を吐き出しながら、アラームを停止させた。時間を見ると、六時三〇分だった。少年は立ち上がって大きく伸びをした。身体中の関節が小気味良く鳴った。

 三時間ほど前、夜中に目が覚めた時のことを考えた。妙に現実的リアルな夢を見ていたことを。あのおぞましい記憶を少年は、夢だと片づけてしまうことにした。なにしろ、今この場にいる自分を自覚できているのでそう思うことにした。頭を締めつけるような痛みも今は感じなかった。あの受け入れ難い夢の記憶が、おそらく脳の神経に負荷をかけていたのだろう。そう考えれば、辻褄は合う。

 少年が頷くと、ドアがノックする音が聞こえた。胸騒ぎがした少年は、しばらく返事をせずにドアを凝視した。嫌な予感がしたのだが、どうやら杞憂だった。ドアが外側から内側に向かって開かれ、そこに妹が姿を見せると、頭から足元まで確認するかのように目を走らせた。どこにもおかしなところはなかった。いつもと変わらない妹がそこにいた。

 妹は毎朝、少年が時間通りに起きているかを確認するのが日課となっており、それを済ませてから一階へ下りていく。少年が制服に着替えてダイニングに現れるまでの時間は計ったように決まっていたので、それに合わせてトーストを焼いて紅茶を用意してくれるのだ。少年は朝の挨拶をしながらダイニング・テーブルの決まった席に座り、妹に謝意を述べて朝食を摂る。それが、少年にとっても妹にとっても当たり前の朝の光景なのだが、今朝はいつもとは少し違っていた。いつもよりも少し遅くに一階に下りた少年は、ダイニングのドアを開いた瞬間、無意識のうちにその場で立ちすくんだ。呆然とした六つの瞳に見つめられた少年は、手にしていた鞄が床に落ちたことにも気づかなかった。

 小首をかしげる妹がなにか言葉をかけようとする姿や両親が顔を曇らせている姿を少年は、涙を流して見つめていたみたいだった。妹が心配してかけてくれた言葉で自分が涙を流していることに、ようやく気がついたからだ。父と母は目と目を見交わしてそんな少年に優しい言葉をかけてくれた。それでもしばらくその場から動けずにいた少年は、頬を伝い流れ落ちる涙を拭おうともせずに、よかった、本当によかったと、声をつまらせながら話し、どうしようもなく溢れ出てくる感情を堪えながら嗚咽をもらした。

 母は椅子から立ち上がって少年に駆け寄り、なにがあったのかを尋ねてきた。少年は、なにも答えることができなかった。

 なにがあったのか話してごらんと父が促してきた。妹も大丈夫、と心配そうな表情をしている。涙を拭おうともせずに少年は、大丈夫、本当に大丈夫だからと応えるのが精一杯で、無理やり笑い、母に勧められるままにいつもの席に腰を下ろした。

 妹が鞄とティッシュを少年に手渡してくれた。その時に初めて鞄を落としたことに気がつき、妹にありがとうと声を掛けて、ティッシュで涙を拭き取った。父も母も妹も、そんな少年の様子を悟られないように見ていたのはわかっていた。少年は気づかない振りをしてなにも話さなかった。

 少年は紅茶に口をつけた。暖かくほのかな甘みがあった。これは、いつも妹が入れてくれる紅茶と同じ味だったことに少し安堵した。少年は立ち上がり、ゴミ箱にティッシュを捨てに行き、振り返って三人の様子を窺った。みんないつもと同じ席に座り、いつものように朝食を摂り、いつものように話していた。

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