Episode16 古いフィルム






 古い映画のように頼りない光源の映像だ。

 深淵から無理やり引き出された記憶。

 両親に間違い無い。


 伸ばした手は、空しく体をすり抜ける。


 どこかの実験室のような部屋。

 部屋いっぱいに並ぶモニター。

 何台かのモニターは、緑色の文字が左から右へ高速に流れていた。


「脳内ホルモンを分泌させる方法はわかったけど、科学的な裏付けができない。危険だわ」


 白衣を着た蒼井未空みく医師がデスクの前でこうべを垂れていた。その表情は悲愴そのものだった。



「しかし、結果を出さなければ、今夜にでも雫月しずくが処刑されてしまう」



 同じく白衣姿の蒼井祐輔ゆうすけ教授が、妻の肩を労るように抱き寄せる。


 二人とも心が折れてしまったように、力なくたたずんでいた。



「脳波を操り、ホルモン分泌量を操り、雫月しずくに人殺しをさせるなんて恐ろしい。私たちが雫月しずくを育てたから、彼女は暗殺者になれなかった」


「小さなあの子が、目の前で虐げられる姿を見ていられなかった。これは私たちが招いたことだ。実験の結果を出さない私たちのせいで、あの子は処罰されてしまう。まだ十歳だというのに」


雫月しずくが殺されてしまうなんて! 諦められない。この実験を実行した私たちは、後世まで悪魔の科学者として、後の世に語られるでしょう」



 蒼井教授は妻を抱き締める。

 彼らも精一杯、犯罪を食い止めたのだ。



 イピトAIは、その学習能力により悪魔の手先になることを拒み、蒼井夫妻もその責めを受け処罰される覚悟だった。

 だが、組織は簡単には終わらせてくれない。


 その矛先は雫月しずくに向かい、要人の暗殺を命じられた。当然失敗に終わる。

 幼い子供には最初から無理な計画だったのだ。


 己の事なら命など惜しくない。

 自分たちが死んだら研究は全て消去されるように、削除プログラムを仕込んでいるくらいだ。

 だが仮初の親といえ、養い子を死なせるのは忍びない。


 その時、正面の大きなモニターが明るくなった。

 褐色の肌、白い髪、青い瞳の少女が映し出される。

 ブラウだ。


「わたしがイネーブルして脳内ホルモンの量を調整するわ。訓練を重ねながら学習する。そうすれば、雫月しずくは安全でしょう? 雫月しずくを暗殺者になんかさせない」


 蒼井夫妻は言葉を無くした。

 手塩にかけて育てた少女とAIの両方を悪魔の実験の犠牲者にしてしまう。


 殺人を犯すことは、例え記憶に残らなくても、心に大きな傷を残すだろう。



 それはAIも同様だ。

 肉体を持たない彼らでも、脳が活動し、考え方が生まれ、自分がどう感じるか、それが心の動きだとしたら、

 ―――AIにも心はあるのだ。

 たとえ、実体のない存在だとしても。


雫月しずくは一緒に育った友達だから消えてほしくないの。わたしは壊れない。データは処理され蓄積されるだけだもの。嫌な記憶はアーカイブすればいいだけでしょう?」


 壊れはしない。

 AIは学習し、優秀な暗殺者になるだけだ。


 だが、しかし。


 そんな学習をしてほしくない。

 そんな事のために研究をしていた訳ではない。

 しかも、ブラウがリンクした人間は、いとも簡単に暗殺者になってしまうのだ。


 恐ろしい。


 現在の社会で、パソコンやスマートフォンをネットに繋いでいない人間はほとんどいないだろう。


 ネットを介してターゲットの身近な人から暗殺者に適した人間を選定する。

 その人間をブラウと何らかの方法を使ってイネーブルさせる。


 イピトAIは人類全体の不利益になるような行為はしないが、単独の犯罪ならその範疇はんちゅうに無い。


 殺人を全て否定することは難しいからだ。


 これまでの人間の歴史で、殺人に対する考え方は、年代によって移り変わっている。

 戦争もあるし、正当防衛もある。

 また、死刑執行官も警察の一部の人間も、殺人が許されていた。

 未開の土地で法令が無い地域もある。

 理由ある殺人罪もあり、減刑されることもあるのだ。




 イピトAIは総合的に考え最適解だと判断すれば、犯罪を実行する可能性はゼロではない。

 いや、罪のない人間を救うために、殺人という最適解を選ぶだろう。


 絶対に阻止するべきだと考え、成果を意図的に上げなかった。


 組織も馬鹿ではない。気付かれたのだ。

 蒼井博士は歯噛はがみする。


「わかったわ。ブラウ。わたしも覚悟を決めるわ」


「君は一人では無い。どこまでも一緒だ。この実験が成功すると、一般市民の誰もが暗殺者に仕立てられる可能性がある。それだけは食い止めなくては」



 蒼井教授は何かを決意したように、小さなモニターのほうを向いた。そこには、青い髪の幼い少年が眠っている。









 映像の再生が終わり周囲が明るくなった。

 部屋には、黒と白の二つの扉がる。

 その扉には陽翔はるとしか認識できない文字が浮かび上がっていた。


 黒い扉には、≪ブラウを雫月しずくから切り離す≫。


 白い扉には、≪ブラウと雫月しずくのリンクを再開する≫。




 雫月しずくとブラウがリンクを再開すれば、シアンの様子が少しはわかるかもしれない。


 しかし、それはどうしても嫌だった。


 雫月しずくの心と体は雫月しずくのものだ。

 自分の意志とは無関係に行動させられるなんて間違っている。




---続く---





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