「隊長。昨日はありがとうございました」


屯所に出勤すると、浅瀬隊員が揚火屋での一件の礼をしてきた。


「一緒に居た女性の方にもとんだ迷惑を……。こちらはお借りした手巾とお礼に意味も込めてお菓子が入っています。勿論、手巾は洗ってアイロンもかけました」


煌龍が受けった包みの中身は白彩の手巾と『百花ひゃっか』の菓子が入っていた。手巾に至っては角がピシッと綺麗に畳まれて、浅瀬隊員の几帳面な性格が表れている。


「ここまで気を遣う必要は無かったのだが……」


「いえ。上司の休暇に水を差したのですから、これくらいは当然です」


そう言う浅瀬隊員は窶れたような顔をしており、更には頬に湿布を貼っている。


「大丈夫か?顔、痛くは無いか?」


精神面でも参っている筈なのに、休むこと無く職務に励む部下を煌龍は慮る。


「……」


しかし、浅瀬隊員は面食らったように顔を強張らせた。


「どうした?黙り込んで……。具合が悪いのなら、今日はもう早く帰れ」


「いえ……具合は特に平気です。ただ……隊長が思っていたよりその……」


言を左右にする浅瀬隊員に怪訝する煌龍だが、そんな両者の間に嘴を入れる者が一人……


「連火隊長が思っていたよりも話しやすい人だったから驚いているのでしょ」


『副隊長』


「おはようございます。隊長殿」


部下が居る手前、敬った言葉使いだが、「浅瀬。隊長は『冷酷な炎』などと呼ばれているが、実際そこまで冷酷無比なお方ではないから、思ったことは素直に言っても大丈夫だ」と砕けた表情で浅瀬隊員に近寄る。普段程ではないけれど、砕けた副隊長の雰囲気にますます困惑する。


「部下にそんなに詰め寄るな。驚いているだろう」


「はい。すみません」


「???」


屯所では、部下の前では、氷のような冷たい炎を宿した隊長とそれに追従するようにただ真っ直ぐ落ちる雷の副隊長であった。慣れ親しんだ友人としての煌龍と愛牙は意外に思えてしまう。






煌龍と愛牙は隊長室で先程のことを話している。


「浅瀬隊員の前であの態度は何だ?」


「いやー、俺以外で邪神討伐部隊の奴が煌龍が冷たい男なんかじゃないってことに気付いてくれたのが嬉しくて」


「そんな理由で腑抜けたような顔をしていい訳がない」


「まぁまぁ。それより、浅瀬の顔、あれってどうしたんだ?」


「あれはだな……」



―他所の家庭事情を勝手に他人に話す訳にもいかない上に、愛牙に話したら浅瀬屋に乗り込みに行きかねない……—


―自身と姉上とのことを重ねて……—



愛牙が手前勝手に撫子との縁談を破棄した伯父と煌龍の父に怒鳴り込んだだけでなく、撫子に持ち込まれた代わりの縁談相手の家に雷を落とそうとした。彼の雷の神力を十分に蓄えた何百発の弾と機関銃を携えて。


数年経ち、愛牙の叔父・稲妻家の前当主も撫子が嫁がされそうになった家も既に失脚してはいるが、副虹が撫子を妻として迎え入れてくれなければ本当に雷ですべてを焼き焦がしていたやもしれない。



―その前に春雷さんが止めていた可能性もあるが、あのときの愛牙の眼は本物の雷が走っているようだった。—


―なのに、どうして俺の父親アイツは許したのだろう……—



煌龍の眼から見て、父・連火炎虎は妻や娘を不幸にした最底辺の男という認識だ。なのに、愛牙は撫子との縁談を破棄されるまで炎虎に立腹したことは無く、撫子と副虹の婚姻後いつの間にか許していた。



―愛牙がさっぱりとした性格とはいえ、姉上とは普通に幼馴染として仲が良かった。—



煌龍からすると愛牙と撫子の関係は幼馴染であるが故に、嘗て利害の一致で婚約していた友人と姉だった。微塵も愛牙が撫子のことを好いていたとは思ってもいない。



―姉上を一度不幸にしかけた俺の父親アイツを簡単に許したときは、俺の方が許せなかった。—



その為、一時期煌龍と愛牙は軋轢が生じていたが、今は昔のこと。それよりも……



―ともかく、親が原因で幼馴染同士が会えなくなっている事案を知ったならば、邪神討伐第一部隊副隊長が火消し屋に殴り込んだという不名誉な新聞記事が出回ってしまう……—



身内から犯罪者を出さない為に揚火屋でのことは秘密にした方がいいが、上手い嘘が思い付けない。


幼い頃から素直であった煌龍は、誰かに嘘を付くが苦手だった。成長するに連れて、職務上極秘裏のことであれば割り切れるようになったが、大人になっても私的な事柄は取り繕うとするとボロが出てしまう。


現に彼の眼は愛牙から逸らされている、その他に表情の変化は無いが、身内ならば会話の最中煌龍が僅かに視線を横に向けるのは、隠しごとをしているときの癖だというのは周知されている。


しかし、それ以上「わかった。無理には聞かない」と愛牙がその先を問い詰めようとはしなかった。


「おまえがそんな反応をするのは、誰かの為を思ってだろ。だから、理由は聞かない」


今隠しごとをしたのは、自分のことを思ってだと愛牙は理解していた。


「す、すまないな。気を遣わせた……」


「いいってことよ」



だけなんだから。—



「それじゃあ、捜索任務に出るからあとよころく~」


愛牙が深紫家の男の捜索任務のついでに、ある所に寄ることを煌龍は知らない。






トキの付き添いで白彩は再び揚火屋にやって来た。昨日と変わらず工房ほどではないが、火薬の匂いが漂っている。


「いらっしゃいませ……って、白彩さん‼」


昨日の翌日に再び来店するとは思っていなかった蛍はとても驚いた顔をしている。


「本日も御来店誠にありがとうございます。本日、連火さんは御一緒ではないのですか?」


「煌龍様はお仕事がありますので」


「左様でしたか。本日も花火を買いに来られたのですか?昨日の分だけでは足りませんでしたか?」


「あの、今日は花火を買いに来たのではなく……」


白彩は今になって蛍と浅瀬のことが心配で来たと言うのが恥ずかしくなった。家族でもなければ、一緒に暮らしている訳でもない、赤の他人にこうして自分から会いに行くのははじめてのこと。


しかし、昨日の浅瀬のことを話している蛍の顔を思い出すと居ても立っても居られなかった。


「本日は、蛍さんとお話しがしたくて参りました……」


震える声で発した言葉を蛍が笑うことは無かった。






「ごめんなさい。また工房に押しかけてしまって……」


「気にしないでください。工房というより、ここは我が家の自宅で今は私以外居ませんから。それに、トキさんにお昼を用意してもらいますし、お互い様だと思いますよ」


最初、話しがしたいと申し出られた蛍は少々面食らったが、店だと他のお客様の迷惑になるということで花火工房の側の自宅に移動した。家に案内され、家に上げてもらったお礼としてトキが昼食を作っている。


「お願いしたのはわたくしなのに、トキさんに任せてしまい……」


「お料理していたら、お話しができませんよ」


「そうなんですけど……」



―でも、料理慣れしていないのに人様に食べてもらえる物を作れるかという問題になる……—



白彩が唯一作れるのは、具がギュウギュウに詰められた特大おにぎりくらいだ。


「ところで、お話しというのは何でしょうか?」


「はい。その……お話しというのは……」


他人であるのに色恋に首を突っ込むことに、やはり躊躇いを感じる。白彩は視線を動かしで緊張を和らげようとしたが、ある物に眼が入った。


「その紙の束は?」


「あっ。これは私が考えた型物かたもの花火の案を描き出してまとめた物です」


型物花火とは、文字や特定の形を星を用いて花火として夜空に描き表現するもの。色彩虹の操作や現在の花火技術で花火の色が単色だけだった昔は、様々な形に花火を破裂させることで独自性を生み出す為に編み出された技巧だと言われている。


「花火で絵が描けるなんて、すごいですね……」


通常の打ち上げ花火も見たことが無い白彩にとっては、未知の世界で感嘆する。


「でも、普通の花火と違い平面の絵しかできなくて難しいんですよ。いつかは造ってみたいと思ってはいるのですけど……」


いつかはと言っておきながら、蛍は諦めた眼をしていた。


白彩はそんな彼女と自身を重ねる。少し前までの白彩は、伯父からの執着から逃れることだけを望み、それ以外の自身の幸福は断念するどころか考えすらもしなかったのだから。


蛍も同じ。自身の幸せ……浅瀬と一緒になることも、自分だけの花火を造ることも諦めてしまっている。


花火の方の理由は知らないが、「造ってみてはいかがでしょうか」。白彩ただ悲しかった。花火を造ることができる環境は整っているのに、やりたいことができない蛍が可哀そうで……


「蛍さんなら、できると思います」



―蛍さんは、わたくしと煌龍様にとてもわかりやすくも詳細に花火のことを教えてくれた。言葉だけで、彼女がどれ程真摯に花火と向き合ってきたのかわかる。—


―直接は関係ないけれど、もしかしたら花火がきっかけとなって浅瀬さんとのことも上手くいくかもしれない。—



白彩が鸚緑に背中を押され、自分の幸せを望まれ、前に進み煌龍の心に寄り添えた。



―だから、蛍さんも……—



彼女を想って紡いだ言葉だったが、「軽々しく言わないで‼」。何処か蛍の不興を買ってしまったらしい。


「あっ……ご、ごめんなさい」


激情から思わず怒鳴ったことを詫びられたが、「いえ。わたくしの方こそ、軽率でした……」。白彩も蛍のことを殆ど知らないのに、無責任な発言だったと頭を下げた。


『……』


二人の間には、燃え尽きた花火のような虚しい灰のような空気が漂う。

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