大逆転敗北
トイレの前に長い列が見えた。これは30分以上並ぶな、と思った。トイレは見たところここにしかないし、我慢できる感じでも無いから、しょうがない。気力を振り絞って、最後尾に並んだ。大体、10分で五分の一くらいずつ進んだ。そして俺の番が来たのは、予想通り並び始めてから30分後だった。トイレは河川敷に付設されたものとあって、綺麗では無かった。花火の音がトイレの中まで響いた。早く戻らないと。そう思って、トイレを出てから速足で三人の元へと向かった。人混みが邪魔をして、上手く前に進めなかったが、大きく枝垂れ桜の様な花火が上がった時には、三人の元へと辿り着いていた。「おーい」と言おうとしたところで、雨宮の言葉が聞こえる。「言ったのは急だけど、ほんとにずっと考えてて」確かにこう言っていた。何のことだろう。雨宮が倉橋に何か言った?ずっと考えてた?何だろう。前からあいつは倉橋のこと好きだったけど、それを言うか?雨宮が?そんな度胸あるかな。ふと足元を見る。二人の手は繋がれている。刹那、「ああそうか」と思った。そういうことか。二人はそういうことだ。いや、手はたまたま当たっているだけかもしれない。二人とも、手が当たって気まずい思いをしているのだ。そうだ。そうに違いない。そう確信して、今度は背後から驚かせてやろうと思って、二人のすぐ後ろに行った。そして大きな声で「おい」と言おうと、口を開いた瞬間、「好きだよ」と聞こえた。「好きだよ」?言葉の意味を一瞬考えた。そしてその時、俺の存在は真っ逆さまに落っこちた。好きな人の口から「好きだよ」と発せられている。もう一度、好きだよの意味を考えた。そうしてその事実に驚きつつ、その対象が何なのか、分からない振りをした。自分自身を言い聞かせた。花火が好きなのだ。倉橋は今上がった花火がその気に召したのだ。そう思った。というか俺は何も聞いていない。そこには何もなかった。そして何でも無い風を装って声を掛ける。
後日、伊藤から二人が交際し始めた、と聞いた。俺は「おめでとうと伝えておいて」とだけ言った。この日は、台風の強風域が町にかかり始めている頃で、空は鈍く曇っていた。
ペトリコール たなべ @tauma_2004
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