じっと感じる。

 熱はなかった。季節柄、やや寒いくらいだ。向きは北。突風と言うほど強くはないが、肌を撫でる感触はある。

 唐突に――。

 頭の中に映像が浮かんだ。

 緑色の長い縄のようなものがうねっている。その後ろは青だ。

 竜だ――と小太郎はすぐに察知した。

 見たことはないが、緑色のものが竜だと、なぜか小太郎にはわかった。背後の青色は、どうやら空のようだ。

「ここからが本番だ」

 背後からイカリの声がした。

「今から俺が言う言葉をそのまま繰り返せ」


 けまくもかしこ出雲いずもの神よ。幽冥かくりごと主宰しろしめ大神 おおかみよ。真日長まけながえしふずくみを力として我が身に与えたまえ。


 小太郎はその言葉を繰り返した。今まで口にしたことなどない言葉なのに、つかえることなくなめらかに言葉が出てきた。

「今だ小太郎。目を開けて腕を思いっきり前に振れ」

 その通りにした。

 空気がうなりをあげた。

 胸の前の空気が膨れ上がるような気配がしたその直後、強烈な突風が前方に向かって吹き抜けた。

 邑人たちがその場にしゃがみ込む。地面に伏せて頭を手で覆い、悲鳴をあげる。

 ごう、と風がたける。両脇に見える山肌を風が乱暴に撫でる。山肌を覆う森が波打つ。木々はしなり、撓りに耐えきれない木から折れていった。

 熊が一頭飛ばされていった。岩もいくつか飛んでいった。

 しばらくして、ようやく風はおさまった。

 地面に伏していた邑人たちが、おそるおそるといった様子で頭をあげる。

 小太郎は背後を振り返った。思ってもいなかった結果に、言葉も出ない。

 やるじゃねえかとイカリが言った。

「さっき唱えた言葉は神から力を授かるための言葉――神言しんごんだ」

「神言」

「そうだ。はじめてにしては大したもんだ。頭の中に竜の姿が浮かんだだろ。それは俺と心がかよっていからだ。俺と心が通っている限り、この力はいくらでも使える。慣れればもっと強い風も起こせる。反対に弱い風も起こせる。狙いを定めることだってできる。どうだい、この力がありゃあ泉邑くらい簡単に倒せるぜ」

 そうかもしれないと小太郎は思った。この力があれば、まず敵を寄せ付けずに済む。万が一寄ってきたとしても、斬り殺してしまえば良い。日緋色金の剣はこっちにもあるのだ。対抗できる。一振りしかないが、一振りで充分じゅうぶんだ。

 今までに感じたことのないたけりを、小太郎は感じていた。やろうと思えば、ここにいる全員をまとめて殺してしまうことだってできる。

 小太郎は横に控えていた従者に手を差し伸べた。

 言葉は発さなかったが、従者はその意図を読み取ったらしい。持っていた暖暖丸の袖を小太郎の腕に通した。

 手際よくもう片方の腕にもそでを通す。

 小太郎は暖暖丸を着た。

「弥次郎」

 次に弥次郎に向かって手を伸ばした。やはり言葉に出したわけではないが、弥二郎はその意を組んだらしく、預けていた日緋色金の剣を差し出した。

 小太郎はそれを受け取った。

 剣を抜く。

 その切っ先を、小太郎は天に向かって突きあげた。

 中天に差し掛かった太陽の光を照り返して、刃が赤く輝いた。

 雛若の怒りを、邑人たちの恨みを、すべてを背負って立つ覚悟を、小太郎は固めた。

 誰もなにも言わなかったが、邑人たちは喚声かんせいをあげた。

 小太郎は――。


 邑長むらおさになった。


 されたわけではない。望んだのでもない。

 そうなるのが当然であったかのように、小太郎には感じられた。

戦支度いくさじたくを」

 小太郎は言った。鼓舞するつもりはなかった。誰かに向けて訴えたのでもなかった。言葉が勝手に、喉から漏れたのだ。ほんの小さな呟きだった。

 にも関わらず――。

 邑人は湧いた。拳を突き上げ、叫び、ねた。


 戦が、始まる――喜三郎は懸念をいだいた。防衛にとどまらない、さらに凄惨せいさんになるだろう戦いが。

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