3-2.勘違いの初夜②
夜になり、由羅はそわそわしながら部屋の中をうろうろしてしまう。
(どうしてこうなっちゃったんだろう)
いや、どうしてもこうしても、夜に紫釉が来るからなのだが、まさかここまで準備されるとは由羅の想像を超えていた。
まず、花びらが浮かぶ湯に入れられ、肌には香油を塗り込まれ、
あれほど荒れていた肌も髪もびっくりするほどピカピカに磨かれた。
さらに薄く化粧を施され、鮮やかな紅まで差されてしまう。
極めつけは襟ぐりの大きく空いた衣で、下着も紗のものを身に着けているのでスースーする。
とてもこの格好で紫釉に会う勇気はない。
かといって着替えの襦裙もなく、由羅は途方に暮れてしまった。
(困ったわ……他に着るものはないし。でもさすがにこの格好で紫釉様には会えない……)
どうすべきか対策を考えていると、部屋の外から紫釉の声が聞えた。
「由羅? 俺だけど」
「ひゃい! え、えっと……ちょっと待ってください」
動揺のあまり、声が裏返ってしまう。
「由羅?」
不思議そうな紫釉の声にわたわたとするが、もう何ともできない。
由羅は恐る恐る扉を開くと、顔だけを出して紫釉に事情を話すことにした。
「紫釉様、いらっしゃいませ。お久しぶりです」
「ごめんね。忙しくてなかなか顔を出せなくて。……それで、中に入れてくれないの?」
「えっとですね……ちょっと、蘭香が勘違いして気合いを入れてしまいまして……」
要領を得ない由羅の言葉に、紫釉は首を傾げた。
それはそうだ。この状況を理解しろという方が無理だ。
「あの、ですから少し見苦しい恰好をしているんです」
「別に格好なんて気にしないけど。それで部屋には入れてくれないってこと?」
確かにこのまま紫釉を追い返すわけにもいかない。
由羅は覚悟を決めて紫釉を部屋に招くことにした。
「絶対に驚かないでくださいね」
「分かったよ」
「では、どうぞ」
由羅が扉を開けた瞬間、紫釉は息を呑み、そして硬直してしまった。
「だから驚かないでくださいって言ったじゃないですか!」
涙目になりながら言った由羅の言葉に、ようやく紫釉は弾かれたように我に返り、さっと視線を逸らした。
「あ、あぁ。ちょっと予想外だったから。と、とりあえずこれを羽織って」
視線を逸らしたまま紫釉が
「ありがとうございます」
一瞬、紫釉の白檀の香りが由羅を包むようで、少しだけドキッと鼓動が高鳴った。
(って、なにドキドキしたてるの? それどころじゃないでしょ!)
動揺した気持ちを落ち着かせるために、一つ深く息を吸った後、気を取り直して紫釉を部屋へと招き入れた。
「どうぞ」
「ありがとう」
紫釉が席に着くと、由羅はまず飲み物を準備することにした。
これから長時間に渡って話し合うので、きっと喉が渇くだろう。
「お酒とお茶がありますが、どちらにされますか?」
「……お茶にする」
「分かりました」
心なしか紫釉の声も強張っている気がするが、それには気づかないふりをして由羅は茶器を温めると、茶葉を入れた。
今日のお茶は唐朝烏龍茶だ。
烏龍茶ではあるが、唐朝山でしか取れない貴重な茶葉であり、生産量が少ないため高級品だ。
普通の烏龍茶とは異なり、緑茶で、柔らかな甘い香りと味が特徴的の高級茶葉を由羅は茶器の中にたっぷりと入れた。
そこにお湯を注ぎ、茶葉が開いたのを確認してから紫釉の前に差し出す。
紫釉が香りを楽しむように目を閉じた後、一口飲んだ。
「おいしいな」
「そうですね。さすがは高級茶です」
「いや、由羅が淹れてくれたから、格別美味しいんだよ」
そう言って紫釉は微笑を浮かべるが、誰が淹れようとお茶はお茶で味は変わらないと思うが。
「茶葉がいいだけだと思いますけど……」
由羅もまたお茶を一口飲む。
唐朝烏龍茶特有の甘さの中に爽やかな香りが鼻腔を抜けほっとする。
そして、ことりと茶器を卓上に置いて、真剣な顔で紫釉を見つめた。
今はお茶を楽しむよりも重要なことがある。
居住まいを正した由羅に、紫釉が不思議そうな顔になる。
「どうしたの?」
「紫釉様。私が後宮入りして一週間経ちましたが、怪死事件についての捜査は進んでいるのでしょうか? 犯人の目星はつきましたか?」
「そんなこと聞いてどうするの?」
「どうするって……だって気になるじゃないですか。私が
「そうだけど……」
紫釉の反応からすると、あまり捜査は芳しくないのではないか。
「捜査に手が足りなのであれば、私も手伝います!」
由羅としては一刻も早くここから自由になりたい。
そして黒の狼の仲間の元に帰る。それが今の由羅の願いだ。
「そんなにここを出たい?」
「はい。みんなのところに帰りたいです」
「早く解決したい気持ちは分かるけど、由羅が出来ることはないよ。それに捜査中に危険な目に遭うかもしれない」
「大丈夫です! 私は黒の狼ですよ。危険なんてありません」
「でも万が一がある。……それに実際、由羅は俺に負けたよね」
「うっ、それは……」
事実を突きつけられ、返す言葉もなかった。
「由羅、俺は君を危険に晒したくないんだ」
紫釉の真剣なまなざしに言葉が出せないでいると、紫釉はそっと懐から一つの箱を取り出した。
「そうだ、お土産だよ」
突然細長い木箱を差し出されて戸惑っていると、紫釉が視線で開けるように促してくるので、由羅はそっと木箱を取って蓋を開けた。
そこに入っていたのは、翡翠の簪だった。
翡翠の玉とその周りに花びらのように加工された翡翠が付き、そこに銀細工が施されていた。
一目見てそれが高級品だと分かる。
「これ……え!? お土産って……私にくださるってことですか!?」
「もちろん。由羅のために君の瞳の色に合わせて作らせたんだ」
「私のため!? 作らせたんだって……ええ!?」
この1週間でこれだけの品を作らせるなんて、職人に無茶振りをしたに違いない。
自分のために職人が振り回されたことを考え、そしてあまりの高級品に由羅の顔から血の気が引いた。
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