□藤村勇那の話 かぞくになりましょう
恋愛対象が同性であると自覚したのはいつのことだったか。確かまだ、俺が小学生くらいの頃だったと思う。
それでも俺は幼いながらに、これを口に出してしまったら終わりだ、ということは薄々感じていた。
だから適当に誤魔化して、うまくやっていた……と、思う。
その終わりが訪れたのは、中学二年生のときだ。
ある日、俺は手紙で呼び出され、告白された。相手は実家の隣に住む幼馴染の女の子だった。
困ったけれど、その時の俺はどこまでも人の善性というものを信じていた。それに、彼女のことは恋愛感情なしに親友だと思っていた。
だから、俺は彼女に正直に告げたのだ。自分は男しか好きになれないから、無理だと。君が悪いんじゃない、申し訳ないと。
彼女はショックを受けた顔をして、無言でその場を走り去った
……その結果が、目の前で再演されている教室での公開処刑だ。どういう気持ちだったのかは知る由もないが、彼女は俺のクラスメイトにぶち撒けたのだ。……俺の秘密を。
俺は胃の中のものを吐ききってなお、こみ上げる吐き気に口を押さえる。ゲラゲラと嘲笑する声が俺の周りでぐるぐると反響する。
やめろ、やめろ、やめろ、やめろ
これは幻覚だ。そうわかっていても、血管がちぎれそうなほどの憤怒と恥辱が、俺の脳内でぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「藤村さん」
一気に、脳が冷えた。膝をついた俺は、滲んだ視界の先、自分の吐瀉物の向こう側に革靴を履いたスーツの脚を見た。
「……………………みや、した」
平坦な声は、たしかにあの日死んだはずの宮下のものだった。
「はい。俺です」
「お前……何、なんで」
「あ……顔は上げないでもらっていいですか。……俺、飛んだの十階からだったんで、結構酷い顔面だと思うんで」
「……何しに来たの」
「スカウトっす」
「は?」
当たり前のように喋り続ける宮下の言葉に、俺は思わず声を上げる。宮下は少し笑った気配の後、優しい声でこう言った。
「ねぇ、藤村さん。俺たちのかぞくになりましょうよ」
それはあまりに甘い誘いだった。
「同性愛者でもいいんです。普通に結婚なんてしなくていい。かぞくになれば、男も女も関係ない。おれたちは家族一丸となって、なんでもできる。生き物としての価値がないなんて言い腐ったやつに、そうじゃないって証明しましょう? かぞくになれば、だいじょうぶになります。全部、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ」
宮下の形をしたものは、壊れた玩具のように言葉を繰り返す。――そうして最後、唐突に修理されたようにはっきりと、言った。
「かぞくになりましょう」
――あの日、俺たちが大学生のとき、宮下は。
男同士でラブホテルから出てきた俺と出くわして、それを知ってなお全然引かずに、好奇心に溢れる目で俺の隠してた秘密を無神経に暴き立てといて「くだらねぇ」って、切り捨てて、そんな荒療治で俺のトラウマをぶっ壊して
「モブなんて関係ない」――そう言ったんだ。
言わないだろ、そんな奴がさ。そんなこと。
少なくとも――俺が惚れてたお前は、言わない。
「……黙れ」
俺は呼吸を落ち着けて、鞄の中を探る。目当てのものを掴んで、顔を上げて、それの顔を真正面から睨みつけた。
それは、自分で言ったとおり、頭の半分が血にまみれてぐちゃぐちゃだったけれど……残った半分は、確かに宮下の顔をして、俺を見下ろしていた。
「お前は! んなこと! ……ッ、言う奴じゃないだろうが!」
そう言って鞄から取り出した袋を、それに向かって思いっきりぶち撒けた。その中身の粉が辺り一面に飛び散って、宮下の顔をしたものの全身に降りかかる。
それは、銀縁眼鏡の向こうの目を驚きに見開いて……消えた。
それと同時に、周りの風景も教室から殺風景なビルのバックヤードへと変貌する。
「……はは」
俺は尻もちをついたまま、手元を見て乾いた笑いを漏らす。御霊雅代の仕事道具として送られてきた、お清めの塩、一キログラムの空袋が、かさりと音を立てていた。
「……効くのかよ……。粗塩」
それから俺は、袋を握りしめて――少しだけ、泣いた。
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