□藤村勇那の話 呪い

 端中姫香は、自身の下の名前を「キラキラネーム」と自称し、非常に嫌っている。俺としてはそこまでキラキラではないと思っているが。むしろ可愛いではないかと言ったら、視線だけで殺されそうなほど睨みつけられたことがある。

 

「ったく……。で、今、大丈夫?」

「……うん、一応」


 「だいじょうぶ」という言葉選びに、俺の体はぞわりと総毛立ち、その悪寒を振り払うため首を振った。

 

 彼女はスノウ製菓の社員ではない。USBを渡してしまったから、完全に無関係というわけでもないが。だから今の単語は――ただ会話の流れに沿って、自然に出ただけだ。


 ――湊さんとは、違う。


「んじゃ、さっそく本題。……前もらったUSBについてなんだけど」

「なんかわかった?」

「川田の事件については、微妙。やっぱ音が遠くて、手がかりになりそうな音声は拾えなかった。……でも、フェイクではないよ。遺族から、川田の声が入ってる動画のデータもらって、声紋照合したら見事に一致。……あんなのを隠してたのなら、もう一回、スノウ製菓を洗わなきゃいけないかも、って話になってる」

「そっ、か」


 俺は曖昧な返事を返した。もはや、あの音声が本物であることくらいでは驚かないほど、事態は進行してしまっている。

 

「他の音声とか動画も、映ってる人物との付き合わせができた。……一体なんなの、あの会社」

「……ちなみに、データ提供者の俺の後輩と、何回か名前の出てくる『佐川湊』は、飛び降り自殺したよ。佐川の方は未遂だけど」

「はァ?」

「詳しいことは所轄に聞いて」


 俺が管轄署の名を告げると彼女はしばらく絶句した後、気を取り直したように話を続ける。

 

「わかった。……それと、これは個人的な興味で調べたことなんだけど。あのUSBに入ってる……CMソングの音源のこと」

「あれがなにか?」

「他が妙なデータばっかなのに、アレだけまともだったから気になって。音声の速さとかいじってみた。……メールで送ったから聞いてみな。すっごい気持ち悪いから」


 姫香さんはここで少し口ごもると、ぼそりと言った。


「多分……これは警察あたしたちの仕事じゃない。だから、あんたに返す。……じゃ」


 そっけなく電話は終了し、ピコリと音を立て、姫香さんからのメールの到着を知らせる通知が現れた。

 

 本文には「テレビCMで流れてる音には異常なし。社員洗脳用?」とだけ書かれている。

 メールに添付されたファイルをクリックすると、スノウ製菓のCMソングが超スローの低音で再生された。


 そして、その中には、姫香さんが言う「気持ち悪い」ものがはっきりと聞こえた。


 ――それは、女性の声のように聞こえた。そして、抑揚も感情の表現もなく、ひたすら二つのフレーズを繰り返していた。


  

 わたしたちはかぞくだわたしたちはかぞくだわたしたちはかぞくだわたしたちは


 だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ


 

 ――ぞっとした。平和な音声の中に、こんな気持ち悪い声が入っていることにも、これまでおかしくなった人間たちとぴったり一致する符号にも。


 そして俺の脳内は、まるでパズルのピースを得たように動き出した。


 ――木吉湊の話によれば、このCMソングは最近社内で朝の放送に使用されるようになったという。

 

 社員たちはきっと、この音を媒介とした何か――それは呪いと言って差し支えないと思う。それによっておかしくなっていったのだろう。

 音声のサブリミナル効果により呪いが伝播する、という仕組みだ。


 俺は慌ててメールに返信する。


 ――これは、二度と聞かないで。元の音源共々、すぐに消去して。絶対だよ


 送信して、俺は脳みそをフル回転させる。

  

 ……この音を聞いておかしくなるまでの許容量には、個人差があると思われる。

 

 霊感があると言った木吉湊は、呪いの影響に敏感だったのだろう。これを社内放送にするための役員会の準備のために何度か聞いただけで、その影響を受けた。

  

 愛社精神が強かったという芹山翔一は、営業車の中で繰り返しこれを聴いていた。田崎未羽は販促映像の制作のために。だから、この二人はいち早く影響を受けたのだろう。

 

 逆に瑞穂ちゃんは、イヤホンで音楽を聴いていて、朝の放送は聞いていない。その不真面目さが、今回は功を奏した。


 宮下は……この資料を調査する過程で影響を受けたのだろう。きっと。


 宮下優吾。その名前を思い出し、俺は自分の奥歯を強く噛み締めた。

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