■宮下瑞穂の話 わたしのかぞく

 ――瑞穂の家族はいいよね。お父さんもお母さんも優しそうで。羨ましいなぁ


 高校生の頃、今や名前も忘れた同級生にそんなことを言われたことがある。そのとき私はどう言ったのだったか、それはもう、覚えていない。


 確かに私の両親は優しい。でもそれは「今の」両親だけだ。

 

 母親にテストの点数を口うるさく言われたとか、父親にスカートの短さを注意されたとか。クラスメイトたちの愚痴を聞くたびに、私はむしろ、それを自慢されているような気持ちになる。

  

 ……私だって、私を産んでくれた人が、最初から優しいのが良かった。

 

 同級生は私の生い立ちなんて当然知るわけがない。だけど話せば、彼女をきっと困らせたことだろうと思う。


 母親には育児放棄され、父親は不明。こんな産まれにしては、運が良かった。親戚に引き取ってもらえて、愛情ももらって、経済的にも不自由なく育ててもらった。

 お父さんとおばあちゃん、そして高校生から「お母さん」になった陽子さんには心から感謝している。

 

 でも、ことあるごと……例えば陽子さんからの過剰な気遣いに触れたりする度に、やはり心の何処かで思ってしまうのだ。絶対に口には出さなかったけれど。


 ――産まれたときから無条件で愛されたかった! 

 ――わがままを言っても、困らせても、叱られた後で、思いっきり抱きしめてもらいたかった! 

 ――甘えて、抱きついて、愛情の限りをもらいたかった!


 ……愛してほしかった


 そんな、鬱屈した感情を抱き続けてきた私にとって、目の前にそびえる、巨大な肉塊の「母」はどうしようもなく魅力的だった。


 薄暗い日本家屋の大広間、田舎らしくだだっ広いその部屋の奥側のおよそ半分ほどを、肌色の肉塊は占拠している。 

 それは畳から天井までみっちりと部屋に収まって、その呼吸にあわせてゆっくりと蠕動ぜんどうしていた。

 肉塊が触れている部分の畳と天井は黒く変色していて、香水のような、腐臭のような甘ったるい匂いが鼻を突く。


 肉塊に埋まりこんだ私の頭ほどの大きさがある無数の瞳が、私たちを見ている。それはいっせいに弧を描くように細まった。――笑っているのだ。


 それはあまりにもおぞましい光景だった。 

 それなのに、私は今すぐにでも、その膨れ上がった肉塊にしがみつきたかった。乳房や腹の肉を思わせる肉の塊に埋まって、抱きしめられたい。

 

 たくさんある目で私のことだけを見ていてほしい。

 たくさんある耳で私の話だけ聞いてほしい。


 おかあさん、おかあさん、おかあさん


 ――織田課長と先輩たちは、立ち尽くす私を置きざりにして、ブルーシートを「母」の前へと引きずり出す。

 すまきにしていたビニル紐をほどくと、側頭部を血で汚した木吉さんが転がり出てきた。

 

 目を閉じていて、おそらく意識はない。でも、胸が浅く上下していた。――生きている。


「あじゃさま、あたらしいかぞくだよ」

「かぞくがふえるね」

「うれしいね」

「ふふふ」

「めでたいねえ」

「うれしいねえ」


 先輩たちが口々に言うと、肉塊から何本ものぶよぶよとたわんだ腕がこちらに伸びてきて、先輩たちの頭を同時に撫でた。

 

 肉塊の下から、ぬらぬらとしたピンク色の穴が現れる。白い歯のようなものが乱杭に並んでいたから、おそらく口なのだろう。

 事実、優しげな声はそこから発せられているようだった。


 ――いいこだねぇ


 そう褒められている彼等の顔は、まるで子供のように屈託なく、それが酷く恐ろしくて――同時に羨ましかった。


 ――おまえもおいで


 たくさんの目のうち、二つが瞬いて、私の方を見る。優しい眼差しだった。


 ――だいじょうぶだからねぇ


 全て忘れて、委ねさせてくれるような。


「……あじゃさま」


 私の中で、何かがぷつり、と弾ける。


 そして幸せな気分で、それに向かって手を広げた。

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