第8話 投函された噂

 考えても仕方のないことだ。いまは何も恐れることはない。

 別にいまは氷華が人間に対して直接危害を加えているわけではない。派手に動くことさえなければ、見つからないはずだ。少しくらいは大人しくしていた方がいいだろう。それは氷華にとって、この日常を過ごすことに他ならなかった。


 その日も一日が終わり、氷華は生徒会室に向かった。

 この数日、怪異の報告は無かった。久保田の事件のせいでそれどころではないのだろう。しかし、以前のものがまだ少しだけ残っていた。ひとまずはそれを片付けるのが先決だろう。

 生徒会室の前にある箱を覗き込むと、意外なことに一枚だけ報告書が入っていた。

 ――おや。

 意外にも提出した生徒がいたらしい。氷華は箱を回収して中に入った。荷物をソファに置くと、会長机のレザーチェアに座る。箱を開けると、ごく普通の紙が一枚入っていた。

 ――さて、この報告書はどうでしょうね。

 何気なく文章に目を通す。読み進めるうちに、氷華の表情には戸惑いと困惑が浮かんでいく。


――――――――――――――――――――

 この街で起きた強盗殺人事件はもう知っていると思います。

 久保田先生とその家族が全員殺された事件で、報道では闇バイトによる強盗殺人事件とされているものです。

 しかし実はそれはブラフで、この一家は全員、凍死していたという噂があるのです。

――――――――――――――――――――


 氷華は呆気にとられた。

 ――……凍死、ですって?

 この紙をいったい誰が入れたのか、誰がそんな噂を報告してきたのか――クラスメイトや教師の名前は覚えたが、さすがに字の特徴まで覚えているわけじゃない。わかりやすい特徴があるならともかく、なんの変哲もない白い紙に書かれているだけだ。さすがに確かめようがなかった。

 しかし、こうして生徒会長宛に「奇妙な噂」として投函されている。あるいは悪戯か。いままでも噂かどうか微妙なものがあったが、ここまでのものはなかった。

 ――凍死って。どうしてそんな噂が……?

 そもそも警察の発表もマスコミの報道も、闇バイトによる強盗殺人だった。強盗殺人と凍死ではずいぶんと遠い。それに闇バイトは偶然集められた素人の集団であり、殴打や刺殺が原因になることがほどんどだ。それなのに、凍死とは。確かに事件のあった日は、雪が降り始めていた。全員が凍死するほど久保田が追い詰められていたわけでもあるまい。

 氷華は紙をもう一度読みながら困惑していた。

 ――まさか。

 考えたくないが、もうひとつ理由はある。

 それを氷華はよく知っていた。

 ――……久保田先生を襲った犯人の正体が、怪異だったから……?

 それならつじつまがあう。

 凍死した状態で見つかり、それが怪異の仕業であると断定されたことで、表向きのストーリーとして闇バイトの強盗殺人が報道された。

 喉元にナイフを突きつけられたような緊張が走る。

 ――よりによって……。

 よりによって、氷を扱う怪異なんて。

 いまだ正体不明の退魔師がいるかもしれない状況で、怪異による事件が起きたというのか。考えられなくもなかった。もしかして退魔師がこの街へ来たのは、強盗殺人ならぬ凍死事件を解決するためだとしたら……。

 氷華は紙を机に置き、自分の両手を握った。目を閉じて考える。

 既に学園を掌握したとはいえ、頭が痛い。自分の存在が知られれば、少なくとも嫌疑はかけられてしまう。

 ならば、自分がすべき事はなんだろう。

 ――……。

 ゆっくりと目を開ける。

 退魔師に見つかる前に、自分が解決する。それしかなかった。ふと気がつくと、自分の握った両手が小さく震えているのが見えた。


 まずはどこから始めるか。

 怪異が二度と現れない可能性もあるが、そんなことはないだろう。久保田の事件が実際に怪異の仕業だというのなら、今後も誰かが襲われる可能性はある。なぜなら、怪異というのはそもそもそういうものだし、人間を捕食することで力を増す場合があるからだ。

 人間は弱い。だが、その一方でとてつもない力を持っている。

 存在承認の力だ。

 雪女もそうだった。小泉八雲によってその存在を公にされて以来、雪女という怪異は多くの人間に知られることになった。存在を知るものが多ければ多いほど――強大な存在承認は、怪異に実体と強大な力を与えてくれる。それこそ雪女のように、個人レベルではなく人間社会に溶け込める能力を獲得するほどに。もっとも、湯に弱いだの焔に弱いだの――克服するまでに百年以上を費やし、雪女と約束してはならないという禁忌だけを残すだけになって、ようやく新たに氷華が生まれたわけだが。

 いずれにせよ。

 知られること。

 伝達されること。

 そして――喰らうこと。

 人間の力を手に入れるには、人間を喰らうのが一番手っ取り早い。

 ――問題はどこに現れるか、ということ、だけれど……。

 この怪異が自分に似た――つまり、氷や雪の――性質のものなら共通点が必ずあるはずだ。

 つまり、季節外れの雪の降る日に。

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2024年11月24日 21:00
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2024年11月26日 21:00

雪花火奇譚 冬野ゆな @unknown_winter

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