第6話 日常と異変

 生徒会の執行部の手によって、下駄箱の掲示板に数枚の紙が貼られていた。

 学校近辺で目撃されている不審者の注意喚起だ。生徒たちの反応は様々だ。じっくりと見る者もいれば、ちらりと見ていく者もいる。そうかと思えば掲示板の存在になど目もくれずに教室に急ぐ者。

 教師陣には評判は良かった。生徒会という組織を通してではあるが、変な噂になるより先に学校周辺の情報が入ってくるし、警察にも相談しやすいという理由だった。生徒会も別に捕まえようとしているわけではないから、自治的な活動としては了承されていた。

 氷華が学校に着くと、掲示板の前でだいぶ見慣れた後ろ姿が突っ立っていた。ボサついた髪ですぐわかった。


「……」


 夏樹だった。

 掲示板を無言のまま見つめている。あまりにじっとしているので、少し不思議に思ったくらいだ。氷華はそっと後ろから覗き込んだ。こっちに気付いていない。


「……おはようございます」

「おわっ!」


 夏樹はびくっと体を跳ねさせると、振り返った。


「な、……なんや、びっくりしたぁ。おはよう!」

「何か知っていることでも?」


 注意喚起を指さしながら言う。

 夏樹はああ、とかいや、とか言っていたが、急に真面目な顔になった。


「もしかして片っ端から異変として報告すれば合法的に氷華とやりとりができるんやないかと……」

「絶対やめてくださいね」


 冗談なのか本気なのかいまいちわかりにくい。

 人間社会に溶け込むといっても、氷華に対する反応は人によって様々だ。単なるクラスメイトだったり、高嶺の花として見ていたり、仲良くなろうとしてきたり――。夏樹の場合はそれがこういう風に出ているのだろう。心の中では苦笑いしか出てこないが、好かれているという点においては悪い気はしない。


「私は先に行きますね」

「ああ待て、オレも行くから!」


 夏樹が後ろから追ってくるのを感じながら、氷華はいつも通りに教室へと向かった。

 廊下を歩きがてら、夏樹が口を開く。


「しかし、事件と事故はわかるけど……、なんでオカルトめいたものまで集めとるん?」

「変な噂が立つと困るでしょう。危ない空き家やらの情報源にもなりますから、必要かと思いまして」

「……ふうん」


 違和感を持たれても困るが、ひとまずは納得してもらえたようだ。


 普段通りの日常が始まるはずだった。

 だがその日、担任は少し遅れてやってきて、いつもならホームルームを十分ほど始めるはずだった。


「今日はこれで終わるから、教室で待ってるように」


 そう言って足早に出て行ってしまう。教室のなかはざわめいた。


「そういえば、さっき先生達が言ってたんだけどさ。隣のクラスの久保田先生がまだ学校に来てないんだって。なんか、連絡もつかないらしくて」

「じゃあ、それかな?」

「なんだろうねえ」


 なんとなく正体が掴めないまま、待つしかなかった。

 病気か、それとも連絡不足か。久保田が担当する二時間目までには落ち着くかと思われたが、結局、代わりの数学教師がやってきて自習プリントを配布していくだけだった。そのプリントも一枚だけなせいかすぐに終わり、終えた生徒たちが好き勝手に動き出す。


「今日一日こんな感じかなあ」


 陽葵が氷華の横にまで椅子を動かして、話しかけてくる。


「もう終わったんですか?」

「うん。さっき提出してきた~」


 見ると、既に教卓の上にはプリントが何枚か載せられていた。提出しに来た女子生徒がばらばらになったプリントを整えてくれている。


「……ね、ところで私、ずっと思ってたんだけど」

「はい?」

「私、神宮寺さんって呼んでるじゃん。氷華ちゃんって呼んでいいかな」

「いいですよ。……というか、そういうことは授業中ではなく休み時間に言うべきでは?」

「えー? いいじゃん、いま自習中なんだし~」


 陽葵は人好きのする笑顔を見せる。


「なんかさ、氷華ちゃんってこのクラスにずっといるのに、あんまり知らないなあって」

「……」


 手を止めて、陽葵を見る。


「なんかさ、急にポンッて現れたみたいな、そんな感じ? なんかおかしいよね!?」

「……あの、私も生徒会長の仕事で忙しかったので……、クラスの皆さんとあまり話せていないな、という実感はありましたが」


 氷華は苦し紛れに言ったが、それは二つの意味で事実でもある。

 それでも陽葵は納得したらしく、にやりと笑った。


「だよねえ! だからさあ、もっと話そうよ!」


 身を乗り出した陽葵は目を輝かせていた。


「……。はい」


 氷華は少しだけ笑った。


「やった! 私のことも陽葵とかヒナちゃんって呼んでいいからね!」

「あー! 陽葵だけずるい!」


 女子達が集まってくる。


 その様子を見ながら、夏樹はいまにもシャーペンを折りそうになっていた。


「なんで……なんでオレはあそこに混ざれへんのや……!」

「そりゃお前がまだプリント終わってないからだろ」


 こっちはこっちで、とっくに終わった男子達が横から茶々を入れる。


「別にええねん、オレは許可なんて無くても氷華って呼んどったし……!」

「張り合うなよ、女子と」

「まあでも神宮寺さん可愛いからなあ」

「ぐぬぬ……」


 眉間に皺を寄せる。

 そのときだった。ポケットの中からバイブ音が響いた。メールやSNSではなく電話らしく、夏樹は鳴り続けるスマホを取り出した。画面を見た途端、微妙に顔が暗くなる。


「……バイト先からや。電話出てくる」


 すぐさま立ち上がり、目線を扉に向ける。


「マジかよ。学生にこの時間に掛けてくるとか、とんだブラックバイトじゃねぇか」

「せやな。ちょっと便所まで行ってくるわ」


 そう言うと、あっさりとプリントを見捨てて教室を出て行った。


「あれ生徒会とか教師とかに報告した方がいいんじゃねぇか」

「でもあいつ、あれで授業料自分で払ってるらしいからなあ」

「へえ、そうなのか」


 夏樹はしばらくして微妙な顔で帰ってくると、プリントを提出して「なんか緊急事態とかって頼み込まれた……」と苦い顔をしながら荷物を持った。


「それ本当に辞めた方がいいぞ」

「おう。そのうち辞めるわ」


 夏樹は少し笑いながら、教室を出て行った。


 結局、それ以降も久保田は学校に来ていないらしかった。多くの生徒たちは落ち着いたもので、気にしながらも自分の生活を優先させていた。特に受験を控えた三年生は、気にしているくらいならと受験勉強に力を入れている。学園は普段通りに見えていた。

 だが、教師陣の動向を探っては報告する生徒というのは居るものだ。そうした生徒達がかわるがわる教師陣に探りを入れていた。それでも、せいぜいが急病くらいだと思っていた。


「ねえ、大変!」


 それから一報が駆け込んできたのは、四時間目が終わってすぐの事だった。


「久保田先生んち、強盗入ったんだって! いま大変みたい!」


 あちこちのクラスがざわめくまで、時間は掛からなかった。


 久保田昌義とその家族が殺されたことはあっという間に広まった。

 警察の発表によるとどうやら強盗殺人で、闇バイトが絡んでいるらしい、とのことだった。聞きつけたマスコミが生徒に接触を図ろうとしたが、教師陣たちが常に校門前に見張りを立てて阻止していた。それでも学校外に出てしまった生徒まではどうにもできずにいた。多くのお嬢様やお坊ちゃまが通う学校での惨劇――などと、事実とは無関係に面白おかしく報道されたのも関係者や保護者の怒りを買った。少数ではあるものの、学校内部で強盗殺人が起きたと勘違いしているSNSの書き込みも見受けられたからである。

 ――闇バイト。

 氷華にとっては聞き慣れない単語だったが、陽葵のおかげで把握できた。


「闇バイトって、普通のバイトだと思って行ったら強盗とかやらされるんだよー。で、逃げたくても既に個人情報とられて逃げられない……って怖くない!?」

「なるほど……」

「このあたりって事は、うちの学校から逮捕者とか出たら怖くない?」

「そうですね……。怪しいアルバイトへの注意喚起は作った方がいいかもしれません」

「最近はちょっと給料のいい普通のバイトみたいな感じで募集されてるみたいだから、それも書いといたほうがいいかも」


 氷華は少しだけ目を瞬かせた。


「ほかは……?」

「そうだなー。例えば個人情報渡しちゃった後でも……」


 陽葵はそう言ってから、氷華が真剣な目をしているのに気付いた。

 ぽかんとしたように目を瞬かせてから、ニッと笑う。


「よし、こうなったら私も手伝うよ!」


 氷華は少し目を丸くしてから表情を綻ばせた。


「それにしてもさー、氷華ちゃんちって大きいんでしょ。大丈夫?」

「うちは、大丈夫ですよ。多分」

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