第82話 初詣
年が明けてから初めての週末、俺は陽菜と咲音ちゃんと三人で、初詣にやって来ていた。大晦日の夜、陽菜との電話で約束したこの日が、今から楽しみで仕方なかった。年末に向井と話して以来、陽菜への想いはより一層確かなものになっている。
待ち合わせ場所は、近所の大きな神社だ。
普段は静かなその場所も、今日ばかりは多くの参拝客でごった返していた。
鳥居をくぐると、人の波に一気に飲み込まれる。露店からは、甘い香ばしい匂いが漂い、人々の話し声と、太鼓や鈴の音が混じり合って、お正月らしい活気が溢れている。
「わー! すごい人だね、輝お兄ちゃん!」
咲音ちゃんが、目を輝かせながら俺のパーカーの裾をぎゅっと掴んだ。
人混みに圧倒されつつも、その表情は好奇心でいっぱいだ。
「だな。咲音ちゃん、迷子にならないように、しっかり俺と陽菜の手を繋いでな」
俺がそう言うと、咲音ちゃんは元気いっぱいに頷いた。
「うん!」
陽菜は、可愛らしい冬のコートを着て、俺の隣に立っていた。彼女も、人の多さに少しだけ驚いた表情を浮かべている。
「こんなに人が多いんだね。でも、すごくお正月らしくて、楽しいね」
陽菜が、俺に微笑んだ。その笑顔は、まるで神社の境内に咲く花のように、俺の心に温かい光を灯してくれた。
俺たちは、咲音ちゃんを真ん中にして、手と手を繋いでゆっくりと参道を進み始めた。冷たい風が吹くたびに、陽菜の髪がふわりと揺れる。繋いだ手から伝わる温かさが、冬の寒さを忘れさせるほど心地よかった。
参拝する場所までたどり着くのに、ずいぶん時間がかかった。賽銭箱の前には、すでに長蛇の列ができている。俺たちは、列の最後尾に並び、順番を待った。
「お兄ちゃんたちのぶんかさいのときの謎解きゲームみたい!」
そんな風に咲音ちゃんは周囲の屋台を指差したり、陽菜に話しかけたりして、飽きることなく楽しんでいる。
「お姉ちゃん、あっちでおいしいにおいがするよ!」
「あれはたこ焼きだね、咲音。後で食べに行こうか」
陽菜が、優しく咲音ちゃんに応える。その声は、どこか楽しげだ。
ようやく賽銭箱の前にたどり着き、陽菜と並んで手を合わせた。咲音ちゃんも、二人の真似をして、小さな手を合わせて目を閉じている。俺は、陽菜と咲音ちゃんの健康と幸せ、そして、陽菜との関係がこれからもずっと続いていくことを心の中で願った。陽菜も、目を閉じて真剣な表情で何かを願っているようだった。
参拝を終え、三人でおみくじを引いた。
咲音ちゃんは、陽菜の横で、興味津々におみくじの箱を覗き込んでいる。
「どれがいいかなー?」
咲音ちゃんが、箱を揺らして、小さな木の棒を取り出した。
陽菜も、続いて一本引く。俺も、そっと一本引いた。
それぞれそれに書かれた番号の紙を取る。
陽菜が引いたのは、「大吉」だった。
「わー! 大吉だ!」
陽菜が、嬉しそうに飛び跳ねた。
その無邪気な姿に、俺も思わず笑みがこぼれる。
「すごいな。何かいいことあるかもな」
「うん! 輝は、どうだった?」
陽菜が、俺のおみくじを覗き込んでくる。
俺が引いたのは「末吉」だった。
「末吉か……まあ、悪くはないだろ」
俺がそう言うと、陽菜はクスッと笑った。
「ふふ、輝らしいね。でも、きっと大丈夫だよ。私と一緒だから」
陽菜が、そう言って俺の腕にそっと自分の腕を絡ませてきた。その温もりが、俺の心にじんわりと染み渡る。
「そうだな。陽菜がいてくれたら、きっと良い一年になるさ」
俺がそう言うと、陽菜は嬉しそうに微笑んだ。咲音ちゃんは、自分が引いたおみくじを、陽菜に見せながら説明している。
「さきねは、ちゅうきちだったよ! かぞくみんな、げんきってかいてあったの!」
「よかったね、咲音」
陽菜が、咲音ちゃんの頭を優しく撫でる。そんな二人の姿を見ていると、俺の心は温かい気持ちで満たされた。
おみくじを結び終え、屋台の並ぶ通りへと向かった。たこ焼きや、焼きそば、リンゴ飴など、美味しそうな匂いが漂ってくる。
「お姉ちゃん、これ、なに?」
咲音ちゃんが、湯気が立ち上る屋台を指差した。
そこでは、白い液体が煮込まれている。それは甘酒の屋台だった。
「これはね、甘酒っていうんだよ。お米から作ってて、甘くてあったかいの」
陽菜が、咲音ちゃんに丁寧に説明する。咲音ちゃんは、興味深そうに首を傾げた。
「ふーん……どんなあじ?」
「飲んでみる?」
陽菜の問いかけに、咲音ちゃんは「うん!」と元気いっぱいに頷いた。
「よし、じゃあ、温まるし、飲んでみるか」
俺がそう言うと、陽菜も頷いた。
「そうだね。少し冷えてきたし、ちょうどいいかも」
三人で甘酒の屋台に並ぶ。熱々の甘酒を受け取り、一口飲む。優しい甘さと、温かさが体に染み渡る。咲音ちゃんは、陽菜にカップを持ってもらい、警戒しながら一口飲んでみた。
「あまい! おいしい!」
咲音ちゃんが、目を輝かせながら感想を言った。その顔は、初めての味に驚きと喜びを感じているようだった。
甘酒で体が温まった後、俺たちは他の屋台も見て回った。射的の屋台で、咲音ちゃんが景品を欲しそうにしているのを見て、俺は思わず挑戦した。結果は、残念ながら一つも景品は取れなかったが、咲音ちゃんは「輝お兄ちゃん、かっこよかった!」と、拍手してくれたのが嬉しかった。
たこ焼きの屋台の前を通ると、咲音ちゃんが「たこ焼きも食べたい!」と声を上げた。
「さっきお腹いっぱいになったって言ってたのに」
陽菜が、苦笑しながら言う。
「でも、おいしいにおいがするんだもん!」
咲音ちゃんの訴えに、俺はつい財布の紐が緩んでしまう。
「よし、じゃあ、みんなで分けて食べるか」
俺がそう言うと、咲音ちゃんは「やったー!」と跳ね上がった。熱々のたこ焼きをフーフーしながら食べる咲音ちゃんと陽菜の姿は、とても可愛らしかった。
「美味しいね!」
陽菜が、満足げに微笑んだ。
「ああ。こんなところで食べるたこ焼きも、また格別だな」
屋台の賑わいを楽しみながら、俺たちはゆっくりと境内を散策した。普段は静かな神社が、この日ばかりは家族の笑顔と、賑やかな声で満ち溢れている。そんな中で、陽菜と咲音ちゃんと共に時間を過ごすことが、何よりも幸せだった。
帰りの道すがら、陽菜がふいに立ち止まった。
「ねえ、輝! 見て!」
陽菜が指差す先には、小さな絵馬掛けがあった。たくさんの絵馬が吊るされ、人々の願い事が書かれている。
「ねえ、輝。私たちも、書いてみない?」
陽菜が、俺に提案した。
「いいな。何書こうか?」
俺たちは、絵馬を二つ買い、隣り合って願い事を書き始めた。陽菜は、真剣な表情で筆を動かしている。俺も、どんな願い事を書こうか、少し悩んだ。
陽菜との幸せな未来。それから、咲音ちゃんの健やかな成長。そして、何よりも、陽菜がずっと笑顔でいてくれること。
俺は、自分の願い事を絵馬に書き込み、陽菜の隣に吊るした。陽菜も、書き終えた絵馬をそっと吊るす。
「何書いたの?」
陽菜が、俺の絵馬を覗き込んでくる。俺は、少し照れて視線を逸らした。
「秘密。陽菜は?」
「私も秘密!」
陽菜が、いたずらっぽく笑った。その笑顔が、あまりにも可愛くて、俺は思わず陽菜の頭をポン、と撫でた。
「おいおい、そんなに可愛い顔してたら、みんなに見られちゃうぞ」
俺がそう言うと、陽菜の頬が、みるみるうちに赤く染まった。
「な、なに言ってるの、輝!」
陽菜が慌てて俺の腕を叩く。その仕草も、なんだか可愛かった。
神社を出て、駅までの道を歩く。夕日が傾き始め、空がオレンジ色に染まり始めている。街は、まだお正月らしい賑わいに包まれていた。
陽菜の家まで送っていく途中、陽菜がふと足を止めた。
「ねえ、輝」
「ん?」
「今日、本当にありがとう。輝と初詣に来れて、すごく嬉しかった」
陽菜が、俺の目を見つめて言った。その瞳は、真っ直ぐで、とても温かかった。
「俺もだよ、陽菜。最高の元旦だった」
俺がそう言うと、陽菜は嬉しそうに微笑んだ。そして、俺の手に、そっと自分の手を重ねてきた。繋がれた手から伝わる温かさは、俺の心を満たしていく。
「じゃあ、またね。明日から、また学校だけど、会えるの楽しみにしてるね」
「うん。気をつけて帰ってね」
陽菜が玄関のドアを開ける。
「ばいばい、輝」
陽菜が、そっと俺の手に触れた。その温かい手に、俺は名残惜しさを感じた。
――――――――――
※本文が長くなったので咲音ちゃんの日記を入れる予定でしたが、明日に咲音ちゃんの日記のみを公開することにしました。
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