第37話 あくまでアイデアの一つ

 なんで深山先生がここにいるの……。


 そのおおよそ想定外の事態に俺は、逃げなきゃいけないことはわかっているにも関わらず足を止めた。


 そして、深山先生の登場が予想外だったのは桜田大臣も同じだったようで。


「次から次へと変なのが入って来よってっ!! 守衛は何をやっとるっ!!」


 と憤りの様子である。が、そんな俺や大臣、さらには秘書たちの驚きもなんのその、深山先生は靴を脱ぐと桜田家のリビングへと上がってきた。


 そういえば俺……土足のまんまだわ……。


 なんて今更そんなことを思い出しながらも、先生を眺めていると彼女はなにやらニコニコと微笑みながら俺……ではなく桜田大臣の方へと歩み寄る。


「桜田先生、お久しぶりです」


 なんてにこやかに挨拶をする先生に、大臣は驚き……というよりは若干引いたような顔で彼女を見つめる。


「ひ、久しぶりだと? お前のような下品な小娘は知らん」


 まあそりゃそう返すだろうよ。が、久しぶりってどういうことだ?


 ニコニコ笑顔の先生と大臣の顔を交互に見ながら首を傾げていると、そこで彼女は「覚えておられないのは当然かと思います」と返す。


「先生と前回お会いしたのは10年前の帝政会のパーティでのことですから、覚えているはずもないですね」

「パーティで一度や二度あっただけの娘のことなどいちいち覚えておらん。で、貴様は何者だ? 私に何の用だ?」

「私、深山奏と申します。聖桜学園で教師をしております」

「だったらなんだっ!!」

「それとも深山継男の娘だと自己紹介した方が良かったでしょうか?」


 なんて相変わらず笑顔で肝っ玉の据わった深山先生だったが、それとは対照的に大臣は彼女の言葉に表情を凍りつかせた。


「み、深山継男ってのはアサカワ飲料の?」


 ん? アサカワ飲料? アサカワ飲料ってビールとかジュースを作ってる?


 と、そこまで考えたところで思わず俺は「ああああああっ!!」と声を漏らしてしまう。


 そ、そうだ。そう言えば深山先生、やたらとビールを飲んでたよな? それにビールは実家がいくらでも送ってくれるとかなんとか……。


 おいおい前からお金持ちだとは思っていたけど、まさか先生、アサカワ飲料の社長令嬢なのか?


 先生が社長だったことに驚き、さらにアサカワ飲料が深山をもじったクソしょうもないネーミングだったことにも驚愕する。


 その衝撃的な事実に大臣以上に驚きを隠せない俺。


 が、そんな俺をおいて先生と大臣の会話は続く。


「あ、あぁ……あんた深山さんのお嬢さんか……。それは失礼なことをしたな」

「いえいえこちらこそ突然押しかけてしまい申し訳ありません」

「で、深山さんのお嬢さんが今日はなんの用だね?」


 そんな大臣の質問に、それまで笑顔だった深山先生の顔から表情が消える。


 そして、冷め切った目で大臣を見つめると「単刀直入に申し上げます」と言った。


「先生は当然ながら三船先生の別荘の噂はご存じかと思います。その上でご息女である桃さんを別荘にやるというのは人道的な観点からも甚だ疑問に思うのですが」


 そんな深山先生の言葉に大臣は露骨に狼狽したようで目を泳がせる。


「それは……その……彼女の社会性を身につける意味でも……」

「なるほど、ご息女を三船先生の性奴隷にすることが桜田家の教育方針だということですね」

「別にそう言っているわけではない……」


 と、たじたじのご様子の桜田議員。


 お、どうしたどうした? さっきまでの威勢の良さはどこにいったんだ?


 と思う俺だったが、同時にこうも思う。


 いくらアサカワ飲料の社長令嬢と言っても、彼女は一民間企業の社長の娘である。そんな彼女の言葉に国務大臣である彼がどうしてこうもびくびくしているのだろうか?


 そんな疑問を抱いていた俺だったが、そこで深山先生は「はぁ……」とため息を吐いた。


「先生、このような虎の威を借る狐のようなことは申し上げたくはないのですが……」


 そう前置きをした上で彼女は語る。


「私の父は経体連の理事を務めております。それとは別にアサカワ飲料としても国務党に少なくない献金をしていることはお忘れですか? 大臣であればご存じかと思いますが表に出ているものだけでもアサカワ飲料は国務党とともに歩んできました。そんな国務党の大臣が党首になるために娘を性奴隷として政争の具に使っていたなんて知ったら大きなショックを受けるでしょう」

「ご、誤解だっ!! 別に私は彼女を性奴隷になどっ!!」

「ごもっともな意見です。おそらく三船先生の別荘の話は根も葉もない噂なのでしょう」

「そ、そうだ」

「ですが、噂をただの噂だと切り捨てられない理事も経体連にも多くいるかと。大臣はこの事実をどうお考えでしょうか?」

「…………」


 深山先生の言葉に大臣は口ごもる。


 そんな二人の会話を聞いてようやく俺は事態を理解し始めた。


 経体連、それは国務党の支持母体であり国内屈指の大企業が加盟する巨大な経済団体だ。


 俺もあまりニュースには詳しくないが、経体連は国務党に大きな影響力を持ってるとかなんとか……バカっぽい説明でごめん……。


「そのように黙っておられるだけでは、埒が明きそうにありませんね。この問題は早急に父に報告を行い、経体連でも共有した上で改めて大臣に質問状が届くかと思います」


 深山先生はそう言って大臣に深々と頭を下げた。


「大臣、突然ご自宅に押しかけてしまい申し訳ございませんでした。私が申し上げたいことはこれで全てですので、これで失礼いたします」


 そう言って桜田邸を後にしようとする深山先生だったが、そんな彼女を慌てて大臣が呼び止める。


「ちょ、ちょっと待ちたまえ」

「いかがいたしましたか?」

「き、きみは何か勘違いをしとらんか?」

「勘違い……ですか?」

「そうだ。あ、あくまでこれは一つの案だということだ。具体的な話は何も進んでおらん。もっともこれは秘書の出した案の一つで私はこの案には鼻から懐疑的だ」


 俺は秘書官を見やった。30代ぐらいの若い秘書官は驚いたように目を丸くしていたが、すぐに凜とした顔をして「あくまで私が先生に提案した案の一つでございます。三船派との友好を模索する上であらゆる可能性の一つを提案したまでにございます」と答えた。


 何だろう。今、俺は政治の闇の一つを見たような気がする。


「では、桃さんが学園を中退し、三船先生の別荘に行くという話は?」

「あくまでアイデアの一つだ。さっきも言ったが私は懐疑的で他の方法を模索している段階だ」

「そうですか。それは安心いたしました。では、ごきげんよう」


 改めて先生は頭を下げると今度こそ桜田邸を後にした。


 なんだろう……今の深山先生、めちゃくちゃかっこいい……。

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