紫燐ノ森 3
天空には白雲がそびえ、
目下の森が陽光を浴びて青々と広がる中、白く目立つ一画があった。――その一画は大輪の白花を思わせた。
それこそが
それに、『白ノ宮』は組織の名でもあった。大巫女の束ねる不可侵の巫女組織。その側面こそが白ノ宮の本質であろう。
沙耶は小鳥のさえずりの中、鏡の前で正座していた。鏡は磨き抜かれた銅製。その中に緊張した顔の少女が映っている。
そこは巫女たちの宿舎の二階で、他にも巫女たちが掃除や身支度をしている。
巫女たちはいずれも似た格好をしており、白い小袖の襟元に朱の掛け襟をのぞかせ、よく伸ばした緋袴を穿いている。髪は銀色の水引で後ろに留めている。
なにしろ、あの大巫女に謁見し、そこで新たな
沙耶は宿舎から外に出た。
辺りには白い石畳が続き、宿舎の隣の外宮――
そこかしこに、花から花を渡る蝶のようによく働く巫女たちが舞っていた。――いつもなら沙耶も蝶の一匹だったが、今日は違う。本宮に参らねば。
沙耶は巫女たちに申し訳のない気持ちで頭を下げ、歩いていった。
「こんにちも、お日柄のよく」
「天に
そんな挨拶を交わしながら、掃除したばかりの石畳を踏み締めて進む。
やがて本殿の大階段の正面にたどり着く。
天上世界へ続くかのような大階段も、楢の白木の
木のふくよかな匂いの中、白花のほのかな甘い匂いもする。――四人の巫女たちが階段を登ろうとしていた。木の高杯に白花を載せて、端然と歩いてゆく。きっと森の吉方から摘んできた白花だろう。
ところどころに、武器を手にした男たちが見える。馬稚国から派遣されてきた守護たちだ。いずれも黄色味を帯びた鎧兜をまとい、剣や鉾を持っている。
沙耶は深呼吸をしてから、白花を運ぶ巫女たちの後ろに続いて、大階段を登ってゆく。
二階に入り、荘厳な白木の内装を横目に、閉ざされた
両脇にはいかめしい守護が鉾を立てていた。沙耶は襖の前で正座して、呼ばれるのを待った。
やがて襖の向こうから、ゆったりとした声が流れてきた。
「三位巫女の、沙耶、お入りください」
沙耶は立ち上がると、緋袴を手で伸ばした。目の前の襖がすいと開いた。
正面には目隠しの
巫女の顔には覚えがあった。――沙耶の姉ともいえる、
雪凪は一度だけ微笑むと、格式ばった朗々とした声で云った。
「お座りください」
沙耶は頭を下げてから床に座り、頭を深々と下げた。するとまた、雪凪の声が聞こえた。いくらか平静な抑揚になった。
「大巫女様のお言葉を、この雪凪が代理します。――沙耶、あなたは先日、ついに
沙耶は平伏したまま、「左様でございます」
「よろしい。して沙耶、そなたは、かの神より浄めの術を授かったと。そのように聞いていますが、間違いはありませんね」
「間違いございません」
「よろしい。そこでそなたに、申し渡すべきことがあります。よくお聞きを。――そなたには、次なる鎮め巫女のお役を与えることになりました」
沙耶はびくりと体を震わせたが、それでも心のどこかで、半分覚悟していた。
雪凪の声が、一瞬だけ詰まった感じがした。しかし、気のせいかもしれない。
「そなたは……。西のはての地である日暮ノ峡に赴き、瘴気を抑えるための人柱と相なるのです」
世界に満ちる瘴気を、三年ごとに鎮めなければならないことは、常識だった。また、その役目は白ノ宮の巫女から選ばれた。それに、この儀式は白ノ宮が群雄割拠たる一帯に権威を示す、重要な手段のひとつでもあった。
地に溢れてくる瘴気の制御。これができなければ、いずれ人や生き物は存在を続けることができなくなるのだから。
旅立ちの日、白ノ宮の門の近くにゆくと、ひとりの男と出会った。甲冑ではなく、代わりに黒い着流し姿だ。横には旅行李。左腰には見たこともない、大きな太刀の鞘が見えた。
「おまえが、人柱の巫女か」
沙耶は足を止めて、両手を握って答えた。
「は、はい。鎮めのお役目の、沙耶と申します」
すると、男は云った。
「まったく、こんなガキの世話たぁ、益体もねェ。まあ、せまっ苦しい甲冑地獄よりは、ましだろうが。――さて、俺がおまえの護衛兼監視だ」
「か、監視……」
「むろんだ。逃げられねえように、な」
「逃げは、しません。――ありがたい、お役目をいただいたのですから」
男は一瞬、意地悪く笑ったように見えた。
「ありがたい、か。――それじゃ、俺も役目を、ありがたく頂戴するとしよう。八百万の褒賞金にかけて」
男は旅行李を右手に掴むと「蓮二だ」と云った。それがどうやら男の名だったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます