第五話 無職は仲居と話す
長い山道を一人でゆっくりと歩く。
最寄りの食事処がなんでこんなに遠いんだよと何度も心のなかで文句を言いつつも、旅館のある商店街が見えるところまで帰ってきていた。
日は少し傾いて来て寒いくらいだった。
多少痛む足を引きずりながら、旅館へと歩みを進めた。
旅館の引き戸を開けると受付には、昼頃居た仲居とは違う二十代半ばくらいの女性が帳場にいた。
背は高く、顎下で切りそろえられた暗い茶髪の女性の佇まいは、担当仲居とは違うベクトルで綺麗だった。
帳場に置かれた台帳へ切れ長の目線を落とし静かに何かを確認している。
扉を開けて俺が入ってきたことに気づくと先程までのクールな表情からぱぁっと明るい笑顔を見せてこちらによってくる。
「おかえりなさい」と言いながら笑顔で履物を用意してくれる。
履物を変えると彼女は手前でニコニコしながら待っている。
「さくらの長谷川様でお間違い無いですか?」
顔をチラっと見られたかと思うと初めて合うのに泊まっている部屋を当てられる。
少し驚いている俺の顔を見るとフフっと可愛らしく笑う。
「支配人から聞いてますからね。 それより寒くなかったですか? この辺は夏でも夜は涼しいので、次からは上着を持参したほうがいいですよ」
そうアドバイスを受けながらさくらの部屋に向かう。
今は手が空いているのか部屋を開けて座椅子に腰掛ける。
「私は
側について軽く自己紹介を済ませると、お茶の準備を始める。
「寒い中歩いてきたんですから、お茶を飲んで温まってください」
そう言いながら慣れた手つきで茶をいれる。
その所作は無駄がなくとても美しかった。彼女はこの旅館の中でも相当ベテランなのだろう。
「ちなみにどちらへいかれたので?」
入れ終わったお茶を差し出しながら聞いてくる。
「いち屋という蕎麦屋さんに行きました」
「あそこですか、とても美味しいですよね。店主のおばあちゃんもおしゃべりで優しいから私もよく行くんですよ。 旦那さんが亡くなられてから休むことが多かったんですけど、開いていて良かったですね」
それを聞いてもしあれだけ歩いて休みだったら立ち直れないなと思った。
「ちなみに、支配人からは親戚が来るとしか聞いていませんがどちらから?」
「横浜から来ました」
横浜の二文字が出た瞬間に彼女は瞳をキラキラさせた。
「横浜ですか!中華街とかがある!」
「そうですね、俺は横浜でも端の方なのでちょっと遠いですけど」
「そうなんですね、しばらくお泊りになると聞いているので機会があったらあちらの方のことを教えて下さいね」
そう言いながら茶器を片付ける。
「お夕飯はどうしますか? 二一時までならご用意できますが」
「では二十時頃にお願いできますか?」
「かしこまりました。それではまた」
そう言いながら襖を開けて「失礼します」出ていった。
帳場に居た頃の表情からクールな印象を受けていたが、接客のときはとても明るくとても接しやすい方だなと思った。
時間まで少しあるから風呂にでも行こうかな。
◇◆◇
時計の短針が八を示す頃、俺は窓際にあるチェアへ腰掛け、スマートフォンで近頃人気の縦型動画を流し見していた。
風呂上がりでやや体温が上がっているため、少し開いた窓から吹く風が冷たくて心地が良い。
時計の長針が丁度十二を示したあたりで襖の外から声がかかる。
「失礼します」その声から担当仲居の佐久雪乃が来たのはすぐわかった。
襖が開くと台車を押した彼女が居たので、チェアから立ち上がり浴衣をなおしながら座椅子へと向かった。
「おまたせしました。お夕食のご準備ができましたのでお並べいたします」
そう言うと料理が載せられたプレートをこちらまで運ぶと、横につき丁寧に料理を並べ始める。
筍の土佐煮や御造り、焼き物などが丁寧に並べられる。
一通り説明を終えると俺は食事を始めた。
なぜか彼女は部屋を離れずにニコニコとこちらを見ている。
「今日はどちらにいかれたんですか?」
先に木曽という仲居と同じことを聞かれたのでそばを食べに行ったことも告げた。
「そうだったんですね、どうでした?」
「美味しかったけど、あそこにたどり着くまでが辛かったですね」
その返答に彼女は少し笑う。
「ちょっと距離がありますからね」
いや本当に。
俺は先附の器を取り食べ始める。
筍に味がとても染み込んでいて美味だった。
「そういえば、公園の方で桜が咲き始めたようですよ」
仲居はどこからか高谷公園と書かれたリーフレットを取り出しながら言う。
「この公園なんですけど、桜が全国的に有名でおすすめなんです。長谷川様は二週間滞在されるとのことでしたのでお帰りになられる頃には満開になっているかと」
母からも勧められた公園だった。
桜が満開になる頃、向かうとしよう。
ちょっとした雑談をしながら食事を終え、片付けが済んだあと床についた。
今日は長時間歩いたこともありつかれた。
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