第112話

「期待が外れて、逃げ出したいか?」


 トールがロキに尋ねた。

 今、ロキはトールの後について両脇に円柱の柱が等間隔に施された大理石の廊下を歩いている。

 柱の間に壁はなく、すぐ外には中庭らしきものがみえている。どうやら、この外廊下は別棟へと繋がっているようだ。


「探し人がいると思ったからここに来たんだろ?」


 肩越しに振り返ってそう尋ねたトールに、ロキは首を横に振った。


「逃げ出さないよ。目的はじいちゃんだけじゃない、ちゃんと器も創るさ」


 ぐっと表情をこわばらせたロキをみて、トールは「そうか」とだけ言って、前に向き直った。


「オーディンは黄昏に備えて、神殿に力のある神族を集めてるって聞いたけど、みんなどこいるんだ?」


 ロキは周囲を見回しながら、トールに尋ねた。

 この神殿は恐ろしく広く、高く聳え立っているように思えたが、その中身は空虚に感じられた。目の前に姿の見えるもの以外の気配は感じ取れない。多くの者がこの神殿にいるようには思えなかった。

 しかし、トールは集められた神々は皆神殿内にいると言う。


「神は必要なとき、あるいは自らの気が向くまま気まぐれに姿を見せる」


 トールの答えはもっともらしくも聞こえるが、どこか曖昧模糊としている。

 柱の間から覗いた空には暗雲が垂れ込み、土が雨の匂いを立ち上らせていた。

 不意に翼のはためく音がして、振り返ると黒い飛翔物があった。


「鴉だ」


 ロキは目にしたものを、そのまま言葉にした。

 鴉はこちらに飛んでくると、トールの左肩と、トールが持ち上げた右腕にそれぞれ止まった。


「お前の身の回りの細かな世話は彼らがする」

「え? 鴉が?」


 ロキが言うと、トールの腕に乗っていた一羽が飛び上がり、ロキの肩に乗り移った。


「そうだ、前のオメガの世話も彼らがしていた」

「前のオメガ……って、バルドルを冥界に堕とした大罪人の?」

「……そうだ」


 トールは頷いた。


「おまえの部屋はこの別棟の奥に用意してある。何か不足があれば俺に言え」

「何かあればって、トールはいつもどこにいるんだ? トールの部屋も別棟にあるのか?」


 ロキが尋ねると、トールは立ち止まり振り返る。

 雨粒がぽつぽつと庭先の葉を揺らし、やがて雨糸が降り注ぎ始めた。


「言っただろ? 必要なときは姿を見せると」

「そうか、トールも神……だもんな」

「ああ」

「えっと、ちなみに、トールはなんの神様なの?」


 トールは言葉にしては答えず、その代わりとでも言うように、その背後で稲光が瞬き空が低く唸った。

 驚いて身をすくめたロキを尻目に、トールは再び前方を向き直り、「部屋はこっちだ」と淡々と告げてまた歩き始めた。






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