第111話

 天を仰ぐように顎を突き上げ、足をバタつかせ、腹をかかえ、その後は体をしならせ堪えきれないと言うように肘掛けをなん度も手のひらで叩いている。

 その笑い方には威厳などなく、あまりにも軽薄で、「これが最高神?」と言う意図で、ロキはトールに視線を向けた。

 トールはそのロキの視線を受け、僅かに首を傾け肩を持ち上げている。


「おい、チビ、チビスケ」


 ひとしきり笑い終わったオーディンは、どうにか息を整え、目元を拭いながら言った。


「え? チビスケって、俺?」

「そうだ、チビスケ、貧相なチビ。おまえ、笑かしてくれるな」


 かなりの長身のオーディンにしてみたら、誰だってチビスケだろう。ロキは不満げに眉を寄せた。


「何がおかしいんだよ」

「あまりにも無知だな、チビスケ」

「は?」

「その男はここにはいない」


 ロキは立ち上がり、呑気な鴉を睨みつけた。


「嘘つくなよ! あんたの遣いが言ったんだぞ? じいちゃんはヴァルハラに行ったって!」


 ロキの言葉に、またオーディンは笑いを堪えるように口元に手の甲を当てた。


「本来のヴァルハラはここではない。この神殿は、本物のヴァルハラにちなんでそう呼ばれているだけだ」

「は……? じゃ、じゃあ、本当のヴァルハラにじいちゃんはいるのか? それはどこにあるんだ、連れて行ってくれ!」


 オーディンはロキの言葉を聞くと息を吐き出すように短く笑った。


「お前には、まだ行けぬ場所だ」


 どういう意味だ、とロキは眉を寄せた。


「まだ、ってことは、時間が経てば行けるようになるってことか?」

「ロキ、ヴァルハラは……」


 ロキが尋ねると、オーディンの代わりにトールが口を開いた。しかしオーディンがひらりと片手を振ると、トールはその言葉を止め押し黙った。


「いずれ行ける者とそうでない者がいる」

「なんだよ……それ……」

「お前はどちらだろうな」


 そう言うとオーディンは乾いた笑いを浮かべ、足元に視線を落とした。


「そうか、あいつ……ヴァルハラに行ったか」


 オーディンの身なりを整え終えた二羽の鴉が羽ばたき、榻背の上に並んだ。オーディンのしなやかな黒髪は緩るく編んで束ねられ、左肩からたおやかに垂れ下がっている。

 白い肌と相まって、遠目にはまるで女神のように見えそうではあるが、その骨格はしっかりとした男性のものだった。

 

「もういい、下がれ」


 オーディンの体がゆらめき、立ち上がった。思った通りかなりの長身だ。高所の明かり取りから差し込んだ光を背にした影が、ロキの上に伸びていった。


「待ってくれ、ヴァルハラにはどうやったら行けるんだ?」


 ロキが言うと、オーディンは左手で耳を塞ぐようなわざとらしい仕草をしながら、さっさと行けと言わんばかりに右手をロキに向けて払った。


「オーディン! 教えてくれ!」

「知らん、自分で考えろ」

「なんだよそれ」

「あー、うるさい。トール、そのチビをどっかにやってくれ」

「なっ……!」


 ロキはさらに食い下がろうとしたが、トールがロキの肩に手を置きそれを止めた。

 ロキはやむなく言葉を飲み、トールの案内に従った。







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