第105話

「ロキ、大好き。離れたくない」

「俺も、大好きだよ、フェン」


 ロキはフェンの髪に鼻を押し付け、その背中を優しく撫でた。


「聞いて、フェン」


 甘えるように縋り付くフェンの頬にふたたび両手を添えて、ロキは言った。しっかりと見つめあって話したかった。


「俺の村での生活なかなか最悪でさ」


 ロキは自嘲気味に話し始める。


「前にも言ったけど、じいちゃん以外はほんとにどうでもいいと思ってたんだ。いつか穏やかにじいちゃん見送ってさ。そのあとはもう何していいかわかんないし、大事なものも特にないし、何が楽しいとか、何がしたいとか、全然わかんないし」


 村で過ごしていた日々が遠い昔のように感じる。

 自然に囲まれた小川の流れる穏やかな村だったが、郷愁が湧かないのは、きっとそこには想う人がいないからだろう。


「黄昏なんてどうでもいい、その時がきたら、身を任せるしかないって。それでいいと思ってた」


 薄明かりに映るフェンの唇が何か言葉を呑み込むように結ばれた。


「でもさ、なんか、色々あっただろ? ここにくるまで……ほら、小麦粉で化粧して、フェンがでっかい女の子のフリしてさ、まさかヴァクが騙されると思わなかったよ。あれめちゃくちゃ面白かった」

「あったねそんなこと。その前は、俺が巨人族と腕相撲して勝ったよね」

「いやいや、勝ってないだろあれは。途中で狼になっちゃって、肝が冷えたよ」


 ロキが笑うと、フェンもクスクスと笑いをこぼした。


「大蛇に船壊されて、ロキが放り出されたときの方が肝が冷えたよ」

「お前、追っかけて飛び込んできたよな?」

「うん! 必死だった!」

「お前途端に気を失っちゃったから、俺鮭の姿のまま引っ張ったり大変だったんだぞ?」

「金の糸に助けられたって言ってなかった?」

「うん、お前重いし、あれがなかったら二人とも今頃死んでたな」

「トールのいるところに引っ張られたのも偶然じゃないのかな?」

「かもしれない」

「トールのくれた干し肉さ、美味しくなかったよね」

「あー! わかる! なんか臭いがキツくて最悪だったよ。もらっといて文句言うわけにいかなかったから黙ってたけど、結局怖くて何の肉か聞けなかったし」

「犬じゃないことを祈ってた」

「だな」

「あ、そういえばさ。ロキ馬に乗れないって言ってたけど、俺には乗れたよね?」

「え?」

「ほら、ヨトから逃げる時に」

「あー! まあ、乗ったというよりしがみついてただけだけどな」

「ロキは馬より先に、狼とドラゴンに乗った」

「すごいな俺。狼とドラゴンに乗ったことがあるやつなんて、きっとそういない」

「うん、すごいかも」


 月明かりの中で、フェンの白い肌がクスクス笑う。愛おしくて、ロキはそのまつ毛を指でなぞった。


「フェン、俺さ。どうでもよくなくなっちゃったんだ」

「うん?」

「お前とさ、バカみたいなことも、怖いことも楽しいこともあって。美味いものも色々食べたけど不味いものも食べたり、さっきなんて取っ組み合いの喧嘩もしたけどさ」

「うん」

「そういうの、どうでもよくなくなっちゃって、もっとそういうことしてたいって思っちゃって」

「……うん」

「フェン、お前ともっと生きたいって思っちゃった」


 ロキの言葉に、フェンは静かに頷いた。


「だから、オーディンが黄昏を防ぐつもりなんだとしたら、俺は協力しようと思う」

「ロキ……」


 不安気に名前を呼んだフェンの額に、ロキは音を立てて口付けた。


「だから、待ってて。必ず戻るから。全部終わったら、じいちゃんと三人で暮らそう?」


 フェンはロキの言葉に頷くことも首を振ることもしなかった。ただ切なげにまつ毛を伏せて、頬に置かれたロキの手の甲を撫でている。

 ロキが覗き込むようにフェンに鼻筋を寄せると、ゆっくりと唇が重なった。

 

「フェン。おまえがいるところに、俺は必ず戻ってくる」


 もう一度重ねる。

 フェンが微かに頷いた気がした。

 ロキはフェンの唇をくすぐるように舐める。繋がりたいと、そう伝えるためだ。






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