第88話

「んじゃ、いくよぉ~」


 独特なイントネーションで、気合の入らないガルムの声を合図に、フェンがニーズヘッグの首に飛びつくと、ニーズヘッグは暴れて首を上向けた。

 背中に乗っていたガルムが縄を投げて引っ張ると、縄の先端の輪がニーズヘッグの上顎を引っ掛かった。そこへガルムが体重をかける。すると、ニーズヘッグは強制的にあんぐりと口を開けるかたちになった。

 少しかわいそうだが躊躇う方が苦痛は長いはずだ。ロキはニーズヘッグの鋭い歯に感じる恐怖を振り切って、その口の中に右手を入れた。


「フゴォッ! フンゴォッ!」


 手を突っ込まれたニーズヘッグは驚いて体をぶるぶる震わせている。


「ギャァ!」


とガルムの叫び声が聞こえ、その体が縄を握ったまま左右に振り回されているのが見える。フェンは必死にニーズヘッグの首にしがみついていた。


「ロキ! 危ない、早く!」

「わかってる!」


 ロキはうんと腕を伸ばし、肩まで中に入れ込んだ。挟まっていたのは奥歯のあたりだ、ねっとりとした唾液と、ニーズヘッグの口内粘膜の感覚をたどり、指先が堅い何かに触れる。


「コレだ!」


 ロキはそれを握りしめた。隙間から覗き込むと、自分の手のひらがキラリと光る何かを掴んだのが見える。ロキはその手を一気に引き抜いた。


「ピュォォォォッ!」

「「「ギャァッ!」」」


 三人と一匹の悲鳴が冥界に響き渡った。

 直後体が投げ出され、フヴェルゲルミルの泉が飛沫を上げる。

 我に帰ったロキが真っ先に確かめたのは、自分の右腕の存在だった。

 

「と、取れた」

「えっ! 腕とれた⁈」


 フェンがロキの声に驚き顔を上げる。しかし、ロキが取れたと言ったのは、腕ではなくてニーズヘッグの歯に挟まっていたものだ。


「これ、なんだ?」


 それはちょうどロキの手のひらで握れるほどの大きさの鉱石だ。朝の日差しのような穏やかな光を放っている。反射しているのではなく、自ら発光しているようだ。


「ピュォッ」


 暴れて尻餅をついていたニーズヘッグが、体を起こした。ロキの手元をじっと覗き込んでいる。


「おまえ、これ何かわかるか?」


 言葉は通じないとわかっているが、それでもロキはニーズヘッグが何かを言いたげな気がして尋ねた。

 ニーズヘッグはロキの手元の石を覗き込んだまま、しばし動きを止めていた。深緑の瞳孔がゆらゆらと蠢いて、かと思ったら、瞳の横からぽたぽたと水滴がこぼれ落ちている。


「泣いてるのか?」

「詰まってたのが取れて嬉しいんじゃない?」


 フェンはそう言って泉から立ち上がり、良かったなとニーズヘッグの頭を撫でた。

 しかし、ニーズヘッグはまだボロボロと涙を流したまま、大きく首を振り乱した。

 途端に鼓膜を劈くかと思うほどの、激しい咆哮が響き渡る。

 ピュォッピュォッと言っていたのは、ニーズヘッグの鼻息で、本当の声はこちらの様だ。

 一同は驚き両手で耳を押さえながら、音圧で吹き飛ばされない様にと体を屈める。

 長く尾を引いた咆哮が鳴り止むと、泉の水がまた飛沫をあげ始めた。

 ロキが何事かと顔を上げると、風が髪を強く揺らした。ニーズヘッグが広げた翼をゆっくりと前後に揺らしている。前足をあげ、その鼻先はユグドラシルを見上げていた。


「え、こ、こいつ、飛ぼうとしてないっ⁈」

「うっそ!」


 ほとんど無意識に、ロキはニーズヘッグの背中に飛び乗り、ぎゅっと首に腕を回した。フェンもそれを見て慌てて背中に飛び乗ると、背後からロキの体を抱えて、もう一方の腕をニーズヘッグの首に回した。






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