ヴァレンフォード公爵家
「ねぇ、ルークくん……ルークくんのルークくんに触らせてとは言わないけど、昨日一日我慢したからルークくんにおっぱいしてあげるぐらいは良いでしょ?」
朝ご飯を食べ終わった直後、セシフェリアがそんなことを言ってきた。
相変わらずなセシフェリアに呆れを抱きながらも、僕は口を開いて言う。
「昨日、少しの間はそういうことをするのは禁止だって話したばかりじゃないですか」
「そうだけど!でも────」
「大体、一日我慢したからという理論が適用されるなら、二日に一回はそういうことをすることになります」
「本当は毎日してあげたいところを、私はそのぐらいで我慢してあげても良いって言ってるの!だから、今日は良いでしょ?」
「ダメです」
「お願い!ちょっとおっぱいさせてくれるだけで良いの!」
「ダメです」
千歩ぐらい譲って、別の日ならともかく。
今日は、僕がエレノアード帝国に来てから一番重要な日になるとも言える、あのマーガレット・ヴァレンフォードの屋敷。
ヴァレンフォード公爵家に潜入する日。
仮にセシフェリアの不和を買うようなことになってしまったとしても、そんなことで体力や精神を消費してしまうわけにはいかない。
……今日次第で、サンドロテイム王国が救われるかどうかが決まるかもしれないんだから。
「……」
僕が、心の中で重たくその言葉を放ち、覚悟を固めていると。
目の前のセシフェリアはそんな僕の心の中での覚悟など全く知らないため、普段通りの調子で頬を膨らませながら拗ねた様子で言う。
「もう!こんなに私のこと我慢させて、いつか暴発しちゃっても知らないからね!」
そう言うと、セシフェリアは僕の前から去って行った。
暴発は怖いところだが、今日次第でサンドロテイム王国とエレノアード帝国の戦争は終わり、僕はサンドロテイム王国に帰ることができるようになる。
そうなれば、セシフェリアが暴発する前に、僕はセシフェリアと別れてもう今後一生会うことは────
「……そうか」
もう今後、一生会うことは無くなるのか。
「……」
会えなくなって良いはずだ。
敵国の女性で、性格も冷徹。
セシフェリアのせいで今までどれだけ大変な目に遭ったかなんて、考えるまでもない。
はず、だが……仮にも、約二ヶ月の間一緒に過ごした相手だからか、僕は────
「なんて、こんなことを考えてる場合じゃない」
今は、目の前のヴァレンフォードのことに集中しよう。
ということで、僕は夜の20時までの間。
余計なことは考えず、頭の中で今日の計画の確認とシミュレーションをして過ごし。
20時になると、レイラの居る教会へと向かった。
今日は幸い、セシフェリアが夜に出かけている。
昨日も出かけていたから、近いうちに何かあるのだろうかと少し気になったりもするけど、今は余計なことは考えない。
「ルーク様!」
教会前に到着すると、扉前で待ってくれていたレイラが僕の方に駆け寄って来た。
「もう、ヴァレンフォード公爵家行きの馬車は準備しております」
「ありがとう、じゃあ行こうか」
「はい!」
二人で馬車に乗ると、馬車はヴァレンフォード公爵家へと向けて走り始める。
ヴァレンフォード公爵家へは、大体21時前に到着するという計算らしい。
「……アレク様」
窓から外の景色を眺めていると、レイラが僕に話しかけてきた。
「どうしたの?」
「本日は、私ではなくアレク様が屋敷に潜入し、自ら危険な役割を担われるということですが……それを実行する前に、一つ約束して欲しいことがあるのです」
「約束……?」
僕が聞き返すと、レイラは僕の右手を自らの両手で握って言った。
「生きて私の元に帰って来てくださることを、私にお約束ください」
「あぁ……もちろん、死ぬつもりなんてないよ、そのための潜入────」
「違います、私が心配しているのはそういうことではなく……仮に、ご自分の命一つでサンドロテイム王国を救えるという状況が来たとしても、その時はご自分の命を選んで欲しいのです」
「っ……!」
僕の命一つで、サンドロテイム王国を救うことができる。
……もし、そんな状況が来たなら、僕は────
「お約束ください!そのような状況が来ても、ご自分の命を優先してくださると!」
「それは……」
「アレク様!!」
力強く、今にも涙を流しそうな様子で訴えかけてくるレイラ。
僕の命だけで、サンドロテイム王国の全てを救える。
そんな状況が来たなら、僕は迷いなく自らの命を捨てることができる。
それだけ、サンドロテイム王国が大好き……だけど。
僕は、僕の手を握っているレイラの両手に自らの左手を重ねて言った。
「わかった……約束するよ、サンドロテイム王国が助かっても、レイラが悲しんでいたら意味無いからね」
「アレク様……!ありがとう、ございます……!」
それから。
僕は、涙を流し始めたレイラの隣に移動すると、レイラが僕のことを抱きしめてくるのを受け入れた。
そして、馬車がヴァレンフォード公爵家に到着する頃には。
レイラの涙も収まっていて、僕たちは馬車から降りると門の前までやって来る。
すると────
「せ、聖女様!?」
門兵が話しかけて来たため、レイラが応対する。
「中に入らせていただきたいのですが、門を開けていただいてもよろしいでしょうか?」
「す、すみません……今日聖女様がいらっしゃると言う話は届いておらず、公爵様にアポイントの無い方は入れるなと強く言われているので、いくら聖女様でも────」
「こちらを」
申し訳無さそうに話していた門兵に、レイラは一枚の紙を渡した。
すると、門兵は驚いたように声を上げる。
「こ、これはっ……!」
「ペルデドール侯爵による招待状です」
「し、失礼しましたっ!すぐにお開け致しますっ!!」
そう言うと、門兵は慌てた様子で門を開けた。
「ありがとうございます」
レイラがそう言うと、門兵は「はっ!」と声を出し、僕たちが門の中に入るのを見届ける。
やがて、広い庭を超えて大きな屋敷の前までやって来ると、僕は口を開いて言う。
「レイラは、この屋敷の入り口付近で待機して欲しい、それで一時間経っても僕が戻ってこなければ中に入って様子を見に来て」
「承知しました……どうかご無事で」
「うん」
短く返事をすると、僕は屋敷から少しだけ距離を取って見渡した。
「……よし」
そして、距離を取った目的を達すると、早速屋敷の中への侵入を開始した。
屋敷の主であるヴァレンフォードが就寝時間の前だからか、屋敷内には電気が付いていなかった。
けど、僕にとっては好都合。
足音を立てないように、気配を消しながら目の前にあった大階段を登る。
────そして、先ほど屋敷から距離を取った時。
一室だけ、仄かにだが灯りがついている部屋があったため、僕はその部屋の前までやって来た。
「……」
できるだけ音を立てないように、ゆっくりドアを開く。
姿勢を低くすると、足音を立てないよう部屋の中に入り、音を立てないようにドアを閉め前を向くと────そこには。
「やはり、あの防衛体制の要は……」
高身長で深紅の髪で、背を向けられているせいで顔は見えないが、チェス盤と向かい合っている女性の姿があった。
部屋には小さなランプしか灯っていないが、あの特異な雰囲気を纏っている女性を見間違えるはずがない。
────ヴァレンフォードだ。
「王都を崩すには、やはりこちらの駒を削ぐべきなのか……」
余程戦略を考えるのに集中しているのか、僕に気付く気配は一切無い。
それでも、僕は油断せず、一歩一歩慎重に足を進め……
完全にヴァレンフォードの背後を取ると、首元に剣を添えて言った。
「動くな」
「……」
僕がそう伝えると、ヴァレンフォードは完全に動きを止めた。
ヴァレンフォードは、以前見た時と同様。
胸元の開けた服に、黒のタイツと黒のヒールの靴を履いている。
そして、足を組んでおり、その姿からは相変わらず威圧感を感じられたが……
この状況では、そんなものも関係ない。
「マーガレット・ヴァレンフォード……これより、あなたに要求を開始する」
────僕が、サンドロテイム王国を救ってみせる!!
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