第二十八話 あだ名
光量を落とした蛍光灯と、強力なテレビ光が照らす室内。テレビのモニターに本日十数回目の採点画面が表示され、ネネ先輩が本日四度目の90点代を叩きだした後、ひとしきり二人で喜び終えたところ。
そう広くはないけれど、壁際に並べられた座り心地の良いソファーのおかげで、それなりに快適なスペース。現在、予約欄に新たな曲は無く、テレビ画面には新曲宣伝用のVTRが流れるだけになった空間で。ネネ先輩が部屋の最奥、僕が扉の傍という形で、僕たちはお互い、背もたれにもたれている。
「はあ……もう歌えそうにないわ」
時間いっぱい、フリータイム終了の三十分前まで歌えたら十分だとは思うけど、まあそんなことはさして重要じゃない。重要なのは、この約五時間の間、ネネ先輩がずっと元気でいてくれたということ。少なくとも、僕に気を遣って、空元気をふりまいてくれていた訳じゃないって分かっただけで、ここを訪れる価値はあったというものだ。
「そういえばCRR、貴方、バインさんにクラリって呼ばれてるわよね」
「はい」
「どうしてクラリなの?」
「えっと……」
困ったな。どうしてと言われてしまったところで、僕は名付け親じゃないからわからないのだけれど。まあ、たしかに予想はできるのだけれど、それでいいのだろうか。なんなら今からバイン先輩に電話して聞いてみてもいいけど……
「まあ、CRRだから当て字でクラリ……じゃないですか?」
「……やっぱり?」
「多分、はい」
結局のところ、これはあだ名みたいなものだと思うし。たしか、流れ的には「CRRって呼びずらいな。クラリでいいか?」って感じだったハズだし、僕が新人エージェントだったから、これから馴染みやすいように付けてくれたんだろうと思う。
多分だけど、それ以上の理由はないと思うんだよな。
「そっか……ふふふ」
「上機嫌ですね」
「ふ……なによそれ。あなたがそうさせてくれたんじゃない」
おっと、なかなか嬉しいことを言ってくれるじゃないか。ついついにやけてしまいそうになるけれど、一旦は首を横に振って誤魔化す。
そう、別に僕は、デートがしたくて彼女をカラオケに誘ったわけではないのだ。
「ネネ先輩。一つ、おかしなことを聞いても?」
今の僕には一つ、彼女に確認しなければならないことがある。
「何よいきなり。朝一番から人のパーソナルスペースを侵害するよりおかしなことがあるわけ?」
「ああ……今朝はすいませんでした」
「いいのよ。怒ってないから」
背もたれに持たれるのをやめて、平らなソファーの上で涅槃のようなポーズを取りながら、半笑いでこちらをからかってくる先輩を見ていると、ますます心の中の想いが確信を帯びてきてしまう。
「ただ、一つ確かめたいことがあるんです」
確かめなければならないこととは、この奇妙な感覚についてのことだ。あの日、猫形態のネネ先輩にぶっ飛ばされた時。彼女と初めて出会った時に感じた、あの感覚は、最近になって無視が効かないほどに、ふつふつと熱を帯びてきてしまっている。
だからといって、廃熱機構にガタが来たり、運動機能に障害が生じたりとかはしていないのだけれど。ただ、ずっと心の中にどこか引っかかる物がある感覚が、気持ち悪いだけで。
だから、これを聞くのはただの……自己満足だ。
「あなたは、僕の大切な人だったんじゃないですか?」
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