第53話 「覚悟って何?!」

 これから話すのは少し真面目で、な話。だからなんとなく、座り直して凛々夏へと向き直った。彼女の猫目は真っ直ぐ私を見つめてきていて、興味があるって事を私に物語っているみたい。やっぱり喋らないって選択肢をとる訳にはいかなさそう。


 ……凛々夏がどういう反応をするのか、それがわからなくって、ちょっと緊張する。だからわたしは、梅酒を一口呷って、それからようやく口を開くんだ。



「あんまり、楽しい話じゃないけど良い?」


「……そうだと、思ってます。聞かせてくれますか?」


「うん。……大した話でもないんだけどね」



 そうして話すのは、今日のライブが終わってからの事。


 仲のいいオタ友であるむーにゃ千月なるさんやげっこー千月弘大くんと交流する為に、エス=エスのオタクが集まるオフ会に私は足を運んだ。そうしたらその中の1人、ホークアイさんが私に対して男女の関係を求めて言い寄ってきた。


 むーにゃさんのおかげでオフ会の最中はあしらう事が出来たけど、事件は帰り際に起きる。


 凛々夏からの連絡を受けて帰ろうとお店を出た私の後を、あの人ホークアイは追いかけてきて、そこでも私の事を口説いてきたんだ。


 その時、オタクやエス=エスのみんなを侮辱する様な事をあの人が口走ったものだから、私は我慢できなくなって、そして……自分でもびっくりして泣いちゃうくらい、怒ったんだ。


 凛々夏が連絡してくれたから、私は少し冷静になって、彼女が待ってくれていたタクシーに乗り込んで……それで、一連のお話はおしまい。


 “件の動画”は私が怒ってる姿を撮影したもので、私は撮られてる事に気づく事も出来なかったとは、一応話として添えておいた。


 ……これが事の顛末。改めて話してみると、大した内容じゃないとは思うよ。実際、話終わるまでに、数分と時間もかかってないから。


 それにこれはもう終わってしまった事。次にまたあの人に会って同じ様な事をされたらと思うと、確かに悩ましいところではある。けど、そんなことは考えたってしょうがないし、タクシーで待っていてくれた凛々夏が優しかったから、私はもう大丈夫なんだ。


 ……話し終えたなら、またお酒を一口。凛々夏も一緒のタイミングでジュースを飲んで、なんだか気持ちが通じ合ってるみたいだね。



「こんなところかな。タクシーでは、取り乱しちゃってごめんね」


「……いいえ。話してくれて、ありがとうございます」


「こっちこそ、聞いてくれてありがと、凛々夏」



 大したことじゃないとは思う。けど、話してみるとすっきりはするものだね。……ああでも、大好きな人に愚痴みたいな話を聞かせちゃったのは、良くなかったかも。ちょっと反省。


 でも凛々夏は、話を冷静に受け止めてくれ……あ、あれ?



「……とりあえず出禁にしますか、その人」



 ……な、なんか凄い、怒ってらっしゃるぅ?!



「で、出禁?! いやいや、お、落ち着こう?!」



 オタクにとって、現場への出入り禁止はそのままイコール死の宣告みたいなものである。それをアイドルである凛々夏が口にしたなら、その重みは冗談では済まされないものがあるわけで。


 ……さっきソファに押し倒されてる時、私は凛々夏がどうしてか怒ってると思ってた。問い詰められる様な事にもなっていたし、彼女が不機嫌……というか、私に対してやっぱり何かの思うところがあるんだって、そう思ってた。


 けど、全然違った。


 今の凛々夏からは、もう視線を送るのも憚られるくらい明確な、怒りの感情が全身から溢れているのを感じるんだ。


 グラスをじっと見つめる彼女の目は据わって、顔に浮かぶのは無の表情で。……こ、こわいよぅ……!



「落ち着いてますよ。落ち着いた上で、妥当な処罰だと思います。わたしのユキさんに手を出そうとしたんですから、カクゴはしてもらわないと」


「覚悟って何?!」


「それはもう、地獄すら優しく感じられる程の罰を受けるカクゴです。……ああ、安心してください。ユキさんの目の届かないところで済ませますから」


「安心できるわけないでしょ?! わ、私なんかの為に、そんなことしなくていいってば!」


「私なんか?」


「ひぃっ」

 


 その言葉がきっかけで、そんな恐ろしい表情を浮かべる凛々夏の視線が私に向けられる。も……漏らしそう。



「……ユキさんに怒るつもりは、全くないんです。けど、ユキさん」


「は、はい」


「なんで、怒らないんですか?」



 矛先が自分に向けられてるって、わかっちゃうと、空気が私の喉から逃げていく音が聞こえた。こ、こわいって。もうちょっと、ホラーだってば。



「え、あの……怒ったよ? ほら、それがあの動画だし?」


「怒ってないですよね、“ユキさんが言い寄られたコト”について。……まさか、あの人のコト、庇ってたりします?」


「そ、そんなまさか! 庇ったりなんかはしてないよ! けど……私の事について怒るっていうのは……」



 ……私には、難しいんだよ。


 今をときめく素敵なアイドルである凛々夏なら、同じ事をされて怒っていい価値があると思う。けど、私はどこまでいっても私。だから、自分の為、誰かに怒りを向けるっていうのは、結構な力が要ることなんだ。


 それに、今回の場合は怒れなかった理由もある。



「……だって、私が怒ったりしたら」


「ユキさんが怒ったら、どうなるんです?」


「凛々夏を困らせる事になる、かもしれないし」


「……どういうことですか?」



 あの人はトップオタを自称するだけあって、エス=エスに対して結構な額の金銭を費やしてる。それは私がエス=エスに、凛々夏に使ってあげられるお金よりずっと多い。


 もし私が彼を拒否して、そして彼がその事に癇癪を起こして、私から離れる為にエス=エスのオタクをやめたりしたら。……そうなると当然、エス=エスの収入が少なくなってしまうわけで。


 たかが1人、されど1人。ただ、私の為にそのリスクを生じさせる事を、私は良しとは思えなかったんだ。


 ……そういう話を、凛々夏に伝える。かなり辿々しくなっちゃったけど、どうして私が怒れないのかを説明してみたんだ。


 聞いてくれた凛々夏は……じっと私をみた後に、盛大なため息を吐いて、それからまたジト目を私にぶつけてきたんだ。怒ってはいるみたいだけど、さっきみたいな恐ろしさはちょっと控えめになってる。いや、怖いんだけどね。


 ……何が怖いって。


 凛々夏に嫌われる事が、私には何より怖いんだよ。



「ユキさん」



 そう言って凛々夏が、頭突きするみたいにして私の胸元に飛び込んできた。ぽふ、と受け止められたので、痛かったりすることはない。けど、そこにはなんとなく、私への怒りが込められてる気がした。



「……ユキさんっ」


「は、はい、なにかな」


「ユーキーさーんーっ」



 私の胸で、凛々夏は大暴れだ。頭をぐりぐり押しつけたり、ぽふぽふと叩いてみたり。可愛いんだけど、そこには凛々夏の不機嫌さが込められてるってわかる。



「……色々と言いたいコトがあります。けど、何から言っていいのかわからないから、一つだけ」


「……うん」



 最後にまたぐりぐりと頭を押しつけて、それから凛々夏が顔を上げてくれる。つやつやな黒髪が少しぐちゃっとなってしまったけど、それでも凛々夏はやっぱり可愛い。


 まだ怒ってるみたい。だけど……ちょっとだけ、和らいでもいるみたい。



「ユキさんは素敵な人です」


「それは……」


「今は、聞いてください。……ユキさんは優しくって、可愛くって、ふわふわで、友だち思いで、包容力があって……わたしは……とにかくユキさんは、素敵な人なんです」


「……そんなこと」


「ありますっ!」



 謙遜しようとした私の言葉を、凛々夏はぴしゃりと打ち切ってしまう。それってつまり、今言ってくれた事は……凛々夏が、本当に思ってくれてる事、なのかな。


 ……なんだか、泣いちゃいそう。でも今日はもう泣いたし、我慢しなきゃね。



「……そんなに褒められたって、おつまみくらいしか出ないよっ」


「ユキさんの自覚を促す為なので。おつまみが出てくるならむしろ上々ですよ」


「そう言われると、言葉がないよぅ」



 恥ずかしくって、泣きそうで。そんな自分を隠す為に、グラスで口許を隠してみる。そうすれば中に入れたロックアイスの冷たさが、火照る私の顔を嗜めてくれた。



「そういう事なので」


「……なので?」


「ユキさんはああいう時に、まずは自分の為に怒ってください。いいですね?」


「……ふぁい、努力するよ」


「そうしてください」



 私の答えは、とりあえず凛々夏を満足させられたみたい。ようやく怒りを収めてくれたのか、凛々夏は私にぴったりと寄り添うように座り直した。


 少しだけ体重を私には預けるようなその仕草は、あったかくて、可愛らしくて。そんな事をされちゃうと、私はまたドキドキしちゃうんだ。……単純だなぁ、私。


 そのうちに、凛々夏がジュースの入ったグラスを差し出してくれた。



「しきり直しです」



 なるほど。それなら私もと、手にした自分のグラスを、凛々夏のそれに合わせるよう持ち上げて。



「じゃあ、えっと……素敵なアイドルと素敵なオタクに?」


「なんだか恥ずかしいですけど、そうですね」


「じゃあ……かんぱいっ」


「カンパイです」



 かちり、とグラスが涼しげな音を立てたなら、もうさっきまでの不穏な空気は影も形もなくなるんだ。



「それにしても……やっぱりわたし、あの時ユキさんのところに行けば良かったです」


「あの時っていうのは……いやいや! オタクが喧嘩してるところに凛々夏アイドルが来たら、絶対ややこしくなるよ!」


「ですよね。まぁそれ以外にも色々考えちゃって……結局タクシーで待つ事にしたんですけど。でも……なるほど」



 そこで凛々夏は、ちらりと彼女のスマホに目をやった。



「わたし、わかっちゃったかもです」


「何がわかったの?」


「それはおいおい、ユキさんにもわかると思いますよ。どうしてあの動画が投稿されたのか。……わたしが気を揉む必要も、そんなになかったみたいです」


「それは……? でも、気を遣わせちゃって、ごめんねぇ」


「ユキさんが謝る事ないですよ。……いいえ、そうですね」



 そうしてまた、凛々夏は私にいたずらっぽい笑顔を向けてくれる。


 うん。やっぱり、怒った顔よりずっと可愛くて、私は凛々夏にはずっと笑っていて欲しいって思うよ。


 ……ただ、あんまりいじめるのは程々にしてほしい。私の身体はおばかなので、簡単に喜んじゃって、期待しちゃうから。



「……アイドルに心配かけたんですから、オタクとしては労いがあっても良いと思いませんか?」



 ……ほどほどに、して欲しいんだけど?!

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