第51話 「……おいしそうです」



「……気になりますか?」



 私の問いかけに、凛々夏はくすりと微笑んでからそうやって答えてくれる。その微笑みも、いつもの温かなそれとちがって、なんだか……わからないけど、確かに何かが違うんだ。


 そんな凛々夏を見てしまうと、彼女に押し倒されてるってシチュと相俟って、私の心臓はまたうるさく主張し始める。


 気になるか。そう言われたら、気にはなるよ。“そういう事”ってどういう事なんだろうって、思うよ。でも……その先の言葉を、私は聞いても良いのかな?



「え……っと、それは……」



 そんな風に迷ってしまっては、私の口からはロクな返事が出てこなくって。


 凛々夏はそんな私を見て、また楽しそうに笑うんだ。



「そういうコトっていうのは」



 その内に凛々夏は、ソファについていた手の片っぽを離して、私のほっぺに小さな手を添えてくれる。細くて、しなやかで、柔らかい、私の大好きな人の手。でもどうしてか、その手が私の頬を撫でる度に、私の身体は小さく震えてしまうんだ。



「わたしたちみたいな関係の人がする様な、“そういうコト”ですよ」



 わたしたちの関係。オタクとアイドル。抱き枕と持ち主。……頭に“仲良し”って言葉を添えれば、完璧かな。あとは……あとは、何かあるの?


 その何かを、凛々夏は知っているの?


 ……それを聞くことを、不思議と私は怖がってるみたい。



「た……たとえば、どういうこと?」



 だから、関係がありそうで、それでいて大事なところから遠ざかる様な問いかけを投げてみたりするんだ。


 それなのに。


 ふにふに、すりすり。凛々夏は手のひらで私の頬を撫でてみたり、指先で首元をくすぐってみたり。……あぁ、なるほど。弄ばれてるって、こういう事を言うんだなぁ。実際にそうされる事なんてあまりないから、こうなってみて初めて実感したよ。


 ソファの上に倒れた私。その上に覆いかぶさって、その手で私を弄ぶ凛々夏。艶のある黒い髪を、緩やかに流す彼女は、怖くなってしまうくらい魅力的で。……私の、お臍の下のあたりが、不思議な熱をもってる、そんな気がする。



「そう……ですね。食べさせっことかもそうですし」


「……うん」


「あぁ、後はハグや添い寝なんかは、代表的なんじゃないですか?」


「そ、そうなんだ。それは、他の人とはやった事ない、かな」


「……そぉですか」



 凛々夏がさっき話した“私たちの関係”っていうのは……きっと、“ただの仲良し”ってだけじゃ、ないんだね。私が、“他の人とは”って話した時の嬉しそうな凛々夏の表情。それを見ると、そんな風に思っちゃうんだ。



「んっ……ぅっ……」



 ……うーわ。変な声、出ちゃったじゃん。


 凛々夏の手が滑る様に私の喉を撫でてくるから、私の身体が、ばかみたいに反応しちゃった。なに考えてんのさ、私の身体よぅ。


 ……凛々夏もさ、なんでそんなに楽しそうなんだよぅ。おぼこをからかって嬉しいのかよー。


 ちょっぴりの抵抗の意志を込めて凛々夏を見つめてみても、彼女はまるで気にしてない風に、やっぱり薄く微笑むんだ。あー……やばい、かも?



「……で、でもさ、凛々夏」


「なんです、ユキさん」


「確かに食べさせっこは他の人とはしたけど、それ以上に凛々夏とは、“そういう事”をしてるわけだよね?」


「まぁ、そうかもですね」


「じゃあ、その、こうやって私を押し倒して、問い詰める様な事はしなくても、いいんじゃないの?」


「……それは……」



 そこで凛々夏は、少しだけ迷ったみたいに瞳を揺らした。なにを迷ったのかはわかんないよ。でも確かに凛々夏の中で何か、感情の動き……みたいなものが、あったんだと思う。


 ただまぁそれも、二度三度瞬きをしてしまったら、すぐに隠れて。


 私の上にのる少しだけ小柄な彼女は、やっぱり笑って、口を開くんだ。



「わたしって、ユキさんの“何”ですか?」


「好きな人。……大好きな、推し、だよ」



 それだけは、どんな時だって迷いなく答えられるよ。そうすると凛々夏は、嬉しそうに笑ってくれるから。



「……そうですよね。じゃあ、他の人よりちょっと“そういうコト”をしてるってだけじゃ……物足りないです」


「それは……えっと、なんというか、回数とか量とかの話?」


「そうとも言えますし、そうでないとも言えます」



 謎かけみたいな、凛々夏の答え。


 おばかな私にはちょっと難しいけど、でも凛々夏の中ではその答えこそ確かなものみたい。


 楽しげに笑いながら、それでいて、指先は優しく。凛々夏はそうやって、私のくすぐったいところを撫でてくれる。……期待するなってば、私の身体。言うこと聞かない、ポンコツめ。



「他の人が知らないユキさんを知りたいです。他の人が知らないユキさんと、色んなコトがシたいです」

 


 そうして、凛々夏の指先が、私の顎先から、口許へと伸びて。私の心臓は、それはもう馬鹿みたいに高鳴って。身体は、何かの準備をし始めていて。



「わたしだけの、ユキさんが欲しいです」



 凛々夏が親指で、私の唇を撫でたんだ。


 まだ、何もしてないのにね。準備し始めた私の身体は暑くって、呼吸が荒くって、肌を伝うが気になっちゃって。それは辛いのに……幸せに思えてしまうのは、やっぱりどうして?



「……りり、か」


「ダメ、ですか?」


「……わかんない、かも」


「……それで良いですよ。わからないなら全部、わたしのせいってコトにしてくれても、それでいいです」


「そんなこと、するわけないじゃん。私は、凛々夏のオタクなんだから」


「……ユキさんってば、優しすぎなんですって」



 ……唇を、優しく撫でられてるからかな。私の視線も、凛々夏の唇に吸い寄せられちゃう。


 小さくて、形が良くって、つやつやで、柔らかそうな、凛々夏の唇。それに触れられたなら、どれだけ気持ちいいんだろう。



「ユキさんって、唇もふわふわなんですね」


「……まーね。ケアはそれなりにしてるよ」


「女子力、ですね」


「凛々夏のオタクとしては、見た目には気をつけたいので」


「なんですか、それ。……いひひ」



 感触を確かめるみたいに、凛々夏は私の唇を優しく撫でてくれる。優しすぎって凛々夏は私に言うけど、凛々夏の言葉もまなざしも、その手も。結構優しくて、私、いっつも喜んじゃうんだよ?



「……おいしそうです」



 ……何が、なんだろうね。


 確かに私はもちもちしてるけど、実際に食べたところでお餅みたいに美味しいわけじゃないよ。


 ……そういうことじゃ、ないか。


 じっと見つめてくる凛々夏と、静かに視線が重なった。私の中の何かを見透かしては、確かめてるみたいな視線。それに私が応えたりしたら、きっと私たちの関係が変わっちゃう。そんな気がする。


 そうして、ただ静かに、ソファの上で見つめあって。


 ……“ぴぅい”。なんて、口笛みたいな音が、部屋に響いた。


 ……び、びっくりしたぁ。結構な音量だったから、私も凛々夏もビクッとしちゃったよ。なんか修学旅行で悪ふざけしてたところに、先生が来たみたいな、そういう感覚。


 今のは多分……スマホの着信、だよね? 私が使ってる機種でも確か選べたはずの着信音。でも、私はそれを使ってないから、凛々夏のやつかな。それで凛々夏のプライベート用スマホの着信音は、可愛い猫の鳴き声だから……仕事用だ、多分。


 だからか凛々夏も、その音に反応してちょっと拗ねたみたいに目を細めた。そうして私を見て、鞄の方を見て、また私を見て……最後だけやたら長かったけど、諦めた様にため息を吐いて、身体を起こした。


 そうだよねぇ。私の知ってる凛々夏って女の子はすごく真面目だから、仕事用のスマホに連絡が来たりしたら、確認したくなっちゃうよね。うんうん、解釈一致です!


 ……別に、ちょっと残念とか、思ってないから。第一、何が残念なのって話だし。



「あー、もー……誰ですか、こんな時間に」


「あは、はは。ごゆっくり?」


「……むー……ちょっと待っててくださいね」



 立ち上がって鞄へと向かう凛々夏の背中を見送りつつ、私も起き上がって、すっかり乾いた喉をおさけで……はあんまり潤わないので、凛々夏の炭酸水を分けてもらってそれを飲む。しゅわしゅわ。



「……こんなの、いま連絡しなくてもいーのに……」



 これでもかってくらい不機嫌オーラ全開な凛々夏がスマホを手にソファへと戻ってくる。手にしているのは、私が配信で見たことのあるニャンコのスマホカバーに包まれたもの。やっぱりそれが仕事用だ。


 どういう連絡? ……とかは、聞きません。それはオタクが立ち入っちゃいけない領域なので。


 だから、私の隣でスマホを弄り始めた凛々夏を見つつ、適当におつまみを摘んでっと。



“——ふざけないでって、言ったんだよ!!”



 ……おっ、ほ。び、ビビったぁ。



「す、すみませんっ。音量、バカになってました」


「あ、うぅんっ! 全然、気に、しないで……ん?」


「……え?」



 なんか。なんかさ。今の女の人? のセリフ、すごく聞き覚えがあるっていうか、既視感が強いというか。


 ……ま、まさかね。そんなわけ、ないよね?



「あ、あのー、凛々夏さん?」


「……はい、ユキさん」


「その、正直こんなこと聞くのはどーかってわかってるんだけどさ。……何を見ようとしてるのか、教えてもらったり、出来るかなぁ」


「ど、どーぞ」



 そうしてソファに並んで座って、見せてもらった画面に映ってるのはジーのポスト。


 そこには動画が添えられていて、本文には“女オタ、魂の叫びがアツすぎた”なんて書かれてる。


 恐る恐る、再生しようと、青い丸と三角で構成されたボタンを押してみると。



“エス=エスのみんなは、オタクに喜んでもらおうって、一生懸命なんだ!!——”



 わ、わわ、わわわ。



「これって……ユキさん?」



 ……、じゃんかぁ?!

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