第48話 「——その結果が、これですか」
「あ、おかえりなさい、ユキさん」
……私がシャワーを浴びて、着替えてキッチンに向かうと、そこにエプロン姿の凛々夏が立っていた。うーむ。
「このシチュ、やば……おさなづま凛々夏って感じ……は、鼻血が出そう」
「ぅあ……お風呂上りに何言ってるんですか。汚さないでくださいよ、ばか」
「ばかって言われちゃって……ふぇへ、へへへ」
「なんだかヤバめなユキさんですね、もう」
以前一緒にパンケーキを作った時もそれはそれは幸せだったけど、こうして待ってくれてるっていうのはまた別の良さがあるよね。
ああ、トリップ……してる場合じゃないか。凛々夏とバトンタッチして、色々準備しなきゃ。
——お家に帰ってきた私たちは早速“打ち上げ”を、と思ったんだけど、お互いに汗をかいていた事もあって先にシャワーを浴びる事にした。
困ったのはその順番だったんだけど、わたしがさくっと先に入って、その後凛々夏が浴びてる間に、打ち上げの準備を済ませてしまう事に決めたんだ。
そうしたら凛々夏が、“ちょっとでも酔ってるのに、包丁は握っちゃダメです”なんて言って下拵えの一部を手伝ってくれて。だからキッチンに居たんだけど……わたしの推し、エプロンが似合いすぎる……!——
まな板の上には丁寧にななめ切りにされたきゅうりが載っている。厚みがきちんと揃えられていて、凛々夏の料理スキルの高さを伺えそう。一人暮らししてるだけあって、包丁の扱いに手慣れてるみたいだね。
「言われた通り、きゅうりはななめ切り、油揚げは短冊切りにしておきましたので」
「ありがとっ! ……今更だけど、凛々夏の手料理だっ」
「これを手料理に含むのは心外です。明日はわたしの本気を見せてあげますよ」
「え、あ、明日、ご飯作ってくれるの?」
「そういうコトです、昼食は任せてください」
「そんなの期待しちゃうよぉ……でも、とりあえずここからは、私に任せてもらおうかなっ」
凛々夏が脱いだエプロンを受け取ってバトンタッチ。ここからは私のお仕事ですっ。
「お風呂沸かしてあるから、ゆっくりしてきてね」
「ユキさんはシャワーだったのに、いいんですか?」
「凛々夏は今日、ライブだったでしょ? ならお風呂に入って、しっかり身体を労わるべきだと、オタクとしては思いますっ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
キッチンを離れる凛々夏をわたしが見送ろうとして……廊下に出てすぐのところで、彼女は振り返った。
「……私も、ユキさんの手料理、期待してますから」
それだけ残して、ぱたぱたと凛々夏は脱衣所に向かっていった。……そんな風に言われちゃったら、気合い入っちゃうじゃん!!——
「——その結果が、これですか」
お風呂上がりで髪を乾かし終えて、パジャマ兼部屋着に着替えた凛々夏が、テーブルの上を見て呆れた様にそんな事を言う。へ、へへ。
「ちょっと気合が入りすぎたと申しますか……へへへ」
「いち、にー……いや、わたしがお風呂いただいてる間に、どれだけ用意したんですか?」
時刻としては、まだ日付が回るまでには余裕があるけど、それでも夜中って言うには十分な頃。わたしがつい浮かれて頑張りすぎちゃった結果、テーブルの上にはお皿がいくつも並んでいた。
「いやでも、量自体はそこまででもないし、ほとんど作り置いていたものの流用だから!」
「それでも手間ヒマかけちゃってるじゃないですか」
「打ち上げだからね! パーティ感って大事じゃないかなっ?」
「パーティ感。……まぁ、ある意味で言い出しっぺはわたしですし、ユキさんが良いなら良いですけど」
「良いよっ!」
「……じゃあ、まぁ。用意、ありがとうございます」
「凛々夏こそ、付き合ってくれてありがと! ほら、座っちゃおう!」
先週の様に二人でソファに並んで座って、適当にテレビを流して、そして飲み物の用意をする。
私は梅酒のロック。正直、オフ会では酔いすぎない様に軽いものばっかり飲んでたから、ちょっぴり物足りなかったんだ。凛々夏はオレンジジュースの炭酸割り。濃縮還元されたジュースは色々と濃すぎるからって、強めの炭酸で割って飲むらしい。
それぞれのグラスに、それぞれの飲み物が用意されて。なんとなく、隣にいる凛々夏と目を合わせる。
二人っきりの打ち上げ。もしかしたら、今の私は世界で一番幸せなのかも。
「ライブお疲れ様でしたっ。今日も最高だったよ、凛々夏!」
「お疲れ様でした。今日のわたしを、ユキさんに見てもらえてよかったです」
「えへへ……じゃあ、かんぱいっ」
「カンパイです」
でも……私は二番目でいいなぁ。一番はやっぱり、凛々夏であって欲しいから。
グラスを傾けて、くぴりと琥珀色のそれを飲む。梅の風味とまろやかな甘さが鼻まで突き抜けて、しっかりお酒を飲んでるって気分に浸れる。
凛々夏はもちろんノンアルなわけで、楽しめるかなぁと思って見ると、ジュースを飲んだ後、お箸を手にして少し迷っているみたいだった。
「苦手なものとかあった? セロリなんかは使ってないけど……」
「あ、いえ。……用意してくれたの、ぱっと見で“おつまみ”っぽいメニューじゃないですか」
「うん。時間も時間だから軽めなものを用意したよぉ」
「なんかちょっと、大人な気分でいいなって。……ユキさんのおすすめとか、聞きたいです」
そっか、凛々夏は居酒屋とかには滅多にいかないだろうし、こういう“お酒のアテ”的な献立もそう食べないんだね。
やっぱり、打ち上げがしたいって言ってよかったかな。だって、凛々夏に新しいことを教えられるんだもん。
「じゃあ、シェフ雪奈のおすすめはだねー!」
「ぱっと見のメニュー的には、女将って感じですけど」
「えへへ、女将かぁ。……ではまず、この“いぶりがっこのクリームチーズ和え”をぜひ!」
「いぶりがっこ」
「いぶりがっこ。知らない?」
「聞いたことはあります。けど、食べたことはないかも。音の響きが可愛いですね」
「わかる。いぶりがっこっていうのは、燻した大根の漬物なんだよね」
荒めに刻んだいぶりがっこをクリームチーズと混ぜて食べる、居酒屋でも人気メニューのひとつ。個人的には“いぶチー”って呼んでる。黒胡椒を振ったり、混ぜるんじゃなくて薄切りにしたものを挟み合わせてカプレーゼみたいにするお店もあるけど、私のお気に入りはこう。
和えたものを、“味付け海苔”にのせて、二つ折りにして挟んで、ぱくり。……おさけが、すすむぅ。
凛々夏にも勧めてみると、同じように食べてくれて……うんうんと頷いた後、グラスを傾けてくれた。なんか……自分が好きなものを、好きな人が気に入ってくれるって、幸せだね。
「これは……いぶりがっこのこりこり感が良いですね。そして独特の風味と味付け海苔の塩味を、クリームチーズがまろやかにしてくれて……ドリンクが進みます」
「凛々夏、わかってるね! クラッカーとかに載せても美味しいんだけど、アテにするなら味付け海苔が一番だよ!」
「なるほど、おつまみにピッタリって感じ。……こっちのはわたしが切っておいた油揚げ、ですよね。のってるのは……?」
「あ、それはね、“焼き油揚げのヅケ
短冊切りにした油揚げをオーブンでかりっとするまで焼いて、鰹節をたっぷり振りかける。そして仕上げに、醤油に漬けておいた卵黄を添えて食べるんだ。これは居酒屋にはあんまりないかも?
味の決め手であるヅケ卵は箸でつついてみても驚けるほど形を保ったまま。かためのプリンみたいにしっとり&絶妙なトロトロ感。それを油揚げに乗っけて……へへへ、おさけ、さっそく二杯目を用意しなきゃ。
「なるほど。シンプルですが、醤油に漬けておいた卵黄がしっかりと塩気を加えてくれるんですね。でも、味は全体的に優しくて……美味しいです」
「油揚げと鰹節は最高の組み合わせだけど、そのままだとパンチが弱いからね。おととい仕込んだヅケ卵がおつまみ感をプラスしてくれるのですっ」
「これは、そのままご飯にのせても美味しそうですね」
「そうだねぇ。でもこの時間の炭水化物は……」
「……ギルティですからね」
今回のメニューについては、とにかく“ロカボ”を目指してみた。糖質は多すぎると太りやすいし、そうでなくてもむくみに繋がるからこの時間には向いてない。一応女子である私はもちろん、アイドルの凛々夏にはご法度だと思うんだ。塩分はちょっぴり多めだけど……おつまみだから、ご愛嬌だよね。
凛々夏もそこには気づいてるはずで、美味しそうに用意したものを食べてくれるところを見るに、これなら問題ないと判断してくれてるんだろうね。
なんか、いいなぁ、こういうの。
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