第37話 「……“おそろ”、ですよ」
「……ふぁっ?!」
……変な声、出たぁ。
でもだって、渡された私のスマホの画面をどう見たって、アプリ上で表示されたこれは……り、凛々夏のアカウント、だよね?
「受け取ってください」
「えぁ……え?!」
「プライベート用なんで、いつでも連絡してくれて良いですよ? 学校とかで応えられない時もありますけど」
「じょ、冗談が過ぎるよぉ! こんな……」
まったく、今日の凛々夏はいたずらっ子だね? いくら私が全肯定オタクだとしても、こんなに畳み掛けられちゃったら、死んじゃうよ? 私が。
そうして、私の乾いた笑い声と重なる様に、ぽこん、なんて軽い音が聞こえて来る。それは私が設定してる着信音の一つで、メッセージの到着を知らせてくれるもの。
“新規メッセージが届きました”という通知を、恐る恐るタップしてみると——
“冗談じゃないですよ”
——という文字と、可愛い猫のスタンプが画面上で踊っていた。
画面から目を離すと、私の胸の上で嬉しそーに、楽しそーに微笑む凛々夏と目が合う。そうすると彼女は、口許をにんまりと綻ばせた。
「返信、欲しいです」
「ふぇっ、返信……返信?」
「ユキさんに既読無視されたら、イヤかもです」
そう言われて、いつも使ってるゆるいクマのスタンプを送ってみると、今度は凛々夏のスマホが“ニャン”と鳴る。そして即座に私のスマホも鳴る。へ、返信速度、早すぎだね……?
“ニャン”、“ぽこん”、“ニャン”、“ぽこん”、ぽこん”。
スタンプの応酬が繰り返されて、私のスマホにログが溜まっていく。それは間違いなく、凛々夏とのやりとりを示しているものであって。
「……ご褒美って、凛々夏の連絡先って事?!」
「そーですって。推しの連絡先、嬉しいですよね?」
「それは、嬉しい、けども……?」
嬉しいよ、これは私の偽らざる気持ち。ただ同時にこうも思ってしまうんだ。
これは、許されるの? ……連絡先を交換し合うって行為は、間違いなく私の定めるラインを逸脱するものに違いないと思う。だから、絶対に私から望んだりはしない事。でも、今回そのラインを超える事を選んだのはアイドルである凛々夏当人であって、結果として私たちは繋がりを得てしまった。
でも、もう今更なのかな。自宅に呼んで、一緒のベッドで寝て、ご飯も食べて、抱き合う程に触れ合って……だから、良いのかな。
なんだか目の前がぐるぐるしてしまいそうな感覚に溺れる中、私がどうすればいいのか迷ってると、やっぱり先に言葉を紡ぐのは凛々夏だった。
「それからっ……渡したいものがあるんですけど」
何故だか、決心したかの様な勢いの凛々夏の言葉に、目をぱちぱちと瞬かせた上で視線を送る。やっぱり、なんていうか“喜色満面”って言葉を絵に描いたような表情の凛々夏は、自信たっぷりの笑顔と視線を私に向けてくれていた。
連絡先に続けて、渡したいものって?
「その前に……ちょっとギュッとしてください」
……ふぐぅう! こういう合間合間に挟まる仕草や言葉が、全部可愛いよ……。凛々夏の可愛さには隙がなさ過ぎる。可愛さの三段撃ちって感じ。戦国武将だったら、もうとっくに全国統一を果たしてそう。鳴かぬなら、ペンラふりふり、ホトトギス。
もうすっかり私の脳みそは凛々夏に揺さぶられ過ぎてばかになってしまってるので、とりあえず言われた通り、腰に回した腕でぎゅっと。
すると凛々夏もぎゅーっと身体を押し付けてきて、そして名残惜しそうにソファから立ち上がった。……私も座り直そうかな。そうしなきゃ、いますぐにでも気絶しそう。今もちょっとしてたし。
そうして凛々夏は、あの大きなボストンバッグをごそごそと漁り始めた。正直、本日最大の謎の一つであるあのバッグ。回収された私のTシャツもあの中に収められたわけなんだけど、結構大荷物だなって思う。
「ずいぶん、荷物多いよね?」
「そうですね。これからのコトを考えたら、必要かなって。……よし」
「これからの事?」
凛々夏の言葉が意図するところがわからなくって、また私が頭の上にハテナマークをぽんぽこ生み出してる内に、凛々夏は何かを背中に隠して、ソファへと戻ってきた。
「む、起きちゃったんですね」
「え? ね、寝てたほうが良かった?」
「……いえっ、それは後にします。それよりユキさん、こちらをどーぞ」
再びソファに腰掛けた凛々夏が、少し緊張した面持ちで隠していた何かを差し出してくれる。それは少し大きめで、かなりしっかりとしたラッピングが施されている、いかにもなプレゼント。
「こ、これはなんでしょう……?」
「まぁその、プレゼント的なヤツです。受け取ってください」
「プレゼント?! でも、もらう理由がないよ!」
「良いですからっ。わたしの為でもあるのでっ!」
凛々夏の為、と言われてしまっては、受け取らざるを得ないわけで。手に取ると思いの外軽いそれにおののいていると、凛々夏から開けて欲しそうな視線も受け取る。アメリカンスタイルだね。
落ち着かない気持ちを抱えたまま、ラッピングを出来るだけ破かない様に開けてみると、そこにあったのは。
「“服”? ……あ、これって」
ぱっと広げてみる事で、それがどういう洋服なのかがわかりやすくなる。
「ソルピコの“パジャマ”だよね?! り、りり、凛々夏も着てたやつ!!」
「……“おそろ”、ですよ」
ぬるくなり始めたココアを手にした凛々夏から、ドヤ顔で補足情報が入ると、さらに目の前のこれが輝いて見えてしまう。
渡されたそれは、ふわふわの起毛生地とパステルカラーのボーダーが特徴的な、いかにもガーリーで可愛らしいパジャマのセットアップだった。
そしてこのパジャマは凛々夏に伝えられた様に、彼女の自宅配信でも度々着用していた種類。
「こ、これは、その……なんで?!」
私が日頃寝巻きとして使ってる様なシャツとは、価格が一回りはハイグレードなものを渡されてしまっては、簡単に受け取る事は出来なくて。
もう何度言葉にしたかわからない“なんで?”という問いを凛々夏にむけてみると、一口飲んだココアのマグをテーブルにおいた凛々夏が、もじもじとした仕草で話を切り出してくれる。
「……わたし、今年忙しくなりそうなんです。まだ話せないですけどアイドル業はもちろん、学校の方も」
「それは、そうなのかも、ね?」
高校生の一年間というものが案外イベント目白押しなものだったっていうのは、経験者なわけだし私にもわかる。さらに言ってしまえば、凛々夏はアイドルとして既に働いている様なものなので、その忙しさも
けど、それがどうして私にパジャマをプレゼントしてくれるって話に繋がるんだろ? ……その答えは、やっぱり凛々夏から聴かせてくれるみたい。
「そうなると、日常生活にはこだわって、しっかりカラダを休められる様にしたいじゃないですか」
「えっとそれは、ご飯とかお風呂とかって事?」
「そうです。あとはやっぱり、“睡眠”とか」
どことなくわざとらしい仕草で口元に人差し指の腹を当てた凛々夏が、彼女らしく意識の高い事を言う。あらゆる分野のプロはライフスタイルにこだわるというけど、凛々夏もそれに倣うって事なのかな。
でも、凛々夏が元々そういう事に関してわりとこだわり派なのは、オタクである私も知ってる事、なんだけど。
「それで」
言葉を区切った凛々夏が、改めて視線を私に送って来る。ここからが本題みたいだね?
「昨日の夜は、ほんとに良く眠れたんですよ」
昨日の夜。と言われて、思い出す必要もなく、私の脳裏に浮かぶものがある。昨日何があったかと言えば、答えは一つしかなさそうなんだ。
「ここ何ヶ月か……もしかしたら、数年ぶりくらい? とにかく、すごくぐっすり眠れて」
「そう、なんだぁ……?」
「最高のパフォーマンスをする為には、やっぱり睡眠って欠かせません。だから、これからもユキさんには——」
そしてまた、凛々夏はイタズラっぽい笑顔を、その小さくて愛らしい顔に浮かべるんだ。
「——“抱き枕”に、なって欲しいなって」
……視線を手元に落とすと、そこにはプレゼントされたばっかりのパジャマがある。もしかして、これって。
「抱き枕は肌触りも大事ですよね。そのパジャマはプレゼントしますから、添い寝する時には着て欲しいです」
「……それは、つまり、そのー?」
「はい。これからはとりあえず、毎週末ユキさんの家に泊まりに来たいなと」
「も、もしかして、連絡先をくれたのって」
「あくまで、ごほうびですけど。でも、これからのコトを考えると、知っておいた方がいいですよね。予定が噛み合わないコトもあるかもですし」
凛々夏の言葉に、私はどうにもぽかんとするしかなくって。多分、今の私を側から見ると、いつも以上に間抜けに見えていると思う。
凛々夏が毎週末泊まりに来て、それでいて私を抱き枕にして添い寝することを望んでる?
……これはもう、わかんない。良い事なのか、ダメな事なのか、おばかな私には判断が出来ないんだよ。でも、それを望むのは他ならぬ凛々夏本人で、どう内心で繕ってみても……私も嬉しいんだ。
だから、なんと応えればいいのかもまだ見出せないまま開こうとした私の口を、唇を、凛々夏の細い指が触れて、抑えた。
「推しの言うコトは?」
その人差し指は、さっきまで、凛々夏の唇に触れていたもの。そんなコトをされてしまったら、考えていた何もかもが遠い星の彼方までもすっ飛んでいってしまって。
「……ぜったい、でしゅ」
「よし。……わたしがアイドルとして頑張れる様に、協力してくださいね」
「あい……」
……結局、私は彼女の細い指一本で、わからされてしまった。
小仁熊雪奈という人間は、しがない社蓄のOLで、リリというアイドルのオタクで、そして。
「じゃあ早速、今晩から。よろしくお願いします」
「あいぃ……とりあえず、シャワー浴びてくるよぉ」
「そうしてください。あ、歯ブラシとか置いていって良いですか?」
「良いけども! やっぱり、バッグの中身って」
「お泊まり用のもろもろです。じゃあ、ごゆっくり」
凛々夏に見送られながら、パジャマを手にしてソファを離れる。ちらりと振り返ってみると、彼女はやっぱり嬉しそうに、荷解きを始めていた。
推しの、あーんな笑顔を見せられてしまったら、私にどうこう出来るわけ、ないよねぇ。
だって私は……凛々夏の、抱き枕なんだから。
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