第36話 「はい、ごほうびですっ。いひひ」

 ……凛々夏が、百合営業をするって言ったら? それは……あれ、なんだろ。なんだか、頭にモヤがかかったみたいで、上手に考えられないな。なんで……?



「どんな事を、するの?」


「例えばSNSとかで……マイとかと仲良くしてる姿をアップする様になったり?」


「仲良くって、どんな事?」


「仲良くは仲良くですよ。手を繋いでお喋りしたり、膝の上に乗って見つめあってみたり……あとは、頬にキスとかしちゃうかもですね」



 いやだ。


 ……はじめに、私の脳裏へと浮かんだ言葉は、このたった三文字だった。……でも、どうして“いやだ”なんて思ってしまうんだろう。


 百合営業の是非について私には語れない。その上で、凛々夏が誰かと百合営業出来るくらい仲良しならそれは良い事。もっと言えば、凛々夏の新しい一面を見られるかもしれない。それはオタクにとって喜ぶべき事、だよね?


 それに、アイドルだって人間なんだ。表にならないだけで、プライベートの交友関係がどうなってるのかなんて事はわかるわけでもない。中には、友人以上の関係に至っている誰かがいるかもしれない。私だって子供っぽく振る舞う事はあっても、大人なんだからそれくらいわかってるはず、なのに。


 ……でも、いやなんだ。


 凛々夏が誰かとハグしたり、キスしたりしてる姿を想像したら、どうしてか酷く冷めた様な気分にさせられて、頭がぐるぐると悪酔いした時みたいに身体の感覚が覚束なくなってしまう。



「ユキさん?」


「う……うん。えっと……」



 でも、こんな事を凛々夏には伝えられない、よね。


 いちオタクに過ぎない私が何を考えてるのって思うし、それに、さっきヴィノの二人を見て、“素敵だな”なんて呑気な感想を溢していた私が、いざ自分の推しの話になるといやだ、そんな事しないでなんていうのは、あまりにも虫が良すぎる気もする。こんな話を伝えたら、凛々夏も困ってしまうと思う。


 だから、えっと。……私は何を伝えれば良いんだろ。私の答えを待つ彼女に聞かせたい言葉が見つからなくて……先に口を開いたのは、凛々夏の方だった。



「もう、良いですよ。無理に答えなくても」



 そして告げられたのは、タイムアップを知らせる言葉。


 多分、与えられた猶予以上の時間を手にしたとしても、私はこのもやっとした気持ちに折り合いをつけて、凛々夏に答えを聞かせてあげる事は出来なかったかもしれない。


 なんとも言えない感情と申し訳ない気持ちの中で私が視線をやった凛々夏は……どうしてか微笑んでいた。



「その表情で、答えはわかる様なものですから」



 凛々夏はどうして、そんなに嬉しそうに、満足そうに笑うんだろう。私はロクな答えも返してあげる事ができなかったっていうのに。


 私の胸の上で、目を細めて微笑む凛々夏は、どうやら私以上に私の事を理解してるみたい。確かに私は割と単純なタチだとは思うけど。でも、どうしてなのかなぁ。



「良かったの? せっかく聞いてくれたのに、私は答えられなくって」


「いいんですよ。わたしこそ、変なコト聞いちゃってすみません」


「変な事じゃないよっ。市場調査……だもんね?」


「そう、調査です。だから無回答も回答ってコトです。有意義な時間でした」


「……凛々夏は、その」



 誰かと百合営業をする予定があるの? ……なんて事は、聞きたくても聞けない事。言うなればそれは、アイドルグループの今後の売り出し方についてという話でもあって、踏み込み過ぎた質問だって事は私にもわかる。


 私がオタクである以上、やっぱり踏み込むべきじゃないラインっていうのは確かに存在していて、こうして凛々夏が甘えた姿を見せてくれていたとしても、弁えるべきだと思うんだ。


 けど、私の胸にすりすりと顔を寄せる凛々夏は、そんな私の思いすらも見通していたみたい。



「百合営業とかはしませんよ。ミウ姉とシズ姉だってやってないんですから、わたしもしません」


「そう! ……なんだ」



 そういうことはしない。凛々夏の宣言が、またどうしてか嬉しくって、彼女の腰を抱く私の手にきゅっと力がこもってしまう。けど、凛々夏はそれすらも嬉しそうに、浮かべた微笑みを深いものにした。



「そうです。仮にそういう指示をされたとしても、マイ相手ならモモを差し出します」


「それは、あはは……でも、いいの?」


「いいんですよ。なんだかんだ、あの二人も仲良しなので。今日だって……いや、この話は聞かなかったことにしてください」


「何があったの?!」



 なんだか気になる話もあったけど、でもつまりは、凛々夏は百合営業はしないって答えてくれた。それを聞かせてくれただけで、私の中のもやもやが何処か遠くへ去っていく様な気がする。


 ……私いま、もしかして、からかわれたのかな。なんだか凛々夏はこの一連のやりとりに満足してるみたいだし、もしそうだとするなら、私が困ってしまうのも織り込み済みだったのかもって思える。



「……もしかして凛々夏、いじわるした?」


「いじわる? あー……そんなつもりはなかったんですけど、ユキさんが真摯に考えてくれた結果そうなっちゃったカンジ、でしょうか」


「私が? ……むむむ、難しいよぅ」


「……協力してくれたそんなユキさんには、“ごほうび”をあげないとですね?」


「えっ、いやそんな、ご褒美なんて」


「良いですから。それ、貸してもらえますか?」



 そういって凛々夏が指し示したのは、テーブルの端っこに放置していた私の“スマホ”。“なんで?”とも思うけど、推しのいう事には絶対服従なので、特に迷わずロックを解除して凛々夏に渡す。見られて困るものはそんなにないし。これは不用心ではなく、凛々夏に全幅の信頼を寄せているのです。


 そうして渡したスマホを受け取ると、凛々夏はきゅっと唇を尖らせた。



「待ち受け、わたしなんですね」


「えへへ、まぁね。おかげさまで、スマホを開く度に幸せになれるよ」


「……なるほど、なるほど。……とりあえずは、っと」



 そう言って凛々夏は、ワンピースのポケットから、彼女のスマホを取り出した。なんで多分なのかと言えば、配信などで見るスマホと、目の前のスマホに装着された“カバー”が違うから。


私の記憶違いじゃなければ、凛々夏が使ってるスマホカバーは可愛い猫モチーフだったと思うんだけど、彼女がいま手にしてるのはデフォルメされた……サメ? が描かれてる。



「それって、凛々夏のスマホだよね?」


「そうですよ。プライベート用です。うちの事務所はその辺りに気を遣ってるので、連絡とかSNS投稿用は別に持たされてるんです」


「そうなんだ! 確かに、ふとしたきっかけで炎上とかあるからねぇ……って、ん?」


「これで、よしっと」



 どうして私のスマホと、凛々夏のプライベートスマホを手に取ったの? その疑問に私が答えを見出す前に、彼女はあっという間に操作を終わらせて、メッセアプリを開いた状態でスマホを返してくれた。



「はい、ごほうびですっ。いひひ」



 そこに映っていたのは……ついさっきまで私が見惚れていた横顔のアイコンと、エノカワという名前のアカウントだった。

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