第2話 幸運か不運か

 南棟を封鎖していた兵士達は慎ましくサフィルを中へ通し、そして後ろに続いた。


 イゼルアの王城は幾つかの独立した棟で成り立っており、それらをアーチ状の通路が繋いでいた。

 どうしてこういう構造をしているのか知らないが、少なくとも内部に入り込んだ人物を追い詰めるのには適している。

 運河を見晴るかす大広間のある南棟は、鼠一匹通れない状況だった。


 ここでフランクと向き合う。圧倒的に有利だが、そこに慢心しないよう慎重に。サフィルは花の飾りのピンを握る右の拳に軽くキスをし、深呼吸する。


 恐ろしくはない。

 むしろ楽しみだった。どういう反応をするだろう?

 思い通りことが運ばず、さぞ怒っているだろう。いや逆に『イゼルア王』の方から会いに来たことを喜ぶかも知れない。


 せっかく父が譲位を宣言し、王城に王が不在の状態とすることでフランクの計画を躓かせ、時間を稼いでくれたと言うのに。わざわざ夜の海を越えて追いかけて来て、ここで自分が負けてしまっては、先王の献身が水泡に帰す。

 一度失敗した。二度と不用意なことを口走らないよう——


「おお! まさかザフィル!? これは驚いた! 何ということだ、まさかもう追い着かれてしまったとは!」


 決意を固める神妙な心の内が、その声に吹き飛んでしまった。

 南棟の中央にある大階段の上で両腕を広げ、いつもの芝居がかった大袈裟な所作で、サフィルとの再会に感動している様子のフランク。

 アルス=ザレラの大使として来ただけあって、いつも以上に豪奢な上着を羽織っている。表情は相変わらず快活で金褐色の髪に乱れもなく、不思議なほど、くたびれた様子がない。


 驚いたのは、こっちの方だ。

 何故この状況でいつも通り『愉快な従兄弟』を演じていられるのか。

 胆の据わり具合が半端ではない。


「ここで何をしている」

「和平の使者として来たのですが、迷ってしまいまして。あなたこそ一体どうやって、夜の海峡を航って来たのです?」

「教える訳がない」

「それはその通りですな。我々はいまや利害関係を異にする者同士。愛し合う二人にはつらい現実だ」


 ただの一度でも、ほんの僅かでも、フランクとの間に『愛』が存在したことがあるだろうか?

 もはや文句を言う気力さえ沸いて来ない。が、訂正しなければ肯定したと見なされそうで恐ろしい。

 王の後に続く衛兵には待機を指示し、ひとりで大階段を昇ってフランクに近付く。


「最初からお前とは、利害関係も主義主張ももちろん愛情も、何ひとつ一致しない」

「そうですかな?」


 大階段の上の踊り場で静かに向き合う。

 フランクの榛色の双眸は相変わらず暗く、強い野心に満ちている。


「あなたを侮っていたようですザフィル。美しいだけではなく賢く、しかも行動力もある」

「頭の悪い田舎の王子とでも思っていたか?」

「いえいえ。ただもう少し落としやすい相手だとばかり」


 その自信の通り、確かにフランクは、客観的に見て良い男だった。あれでは男女問わず騙されるだろう。

 サフィルが陥落しなかった理由は、ただひとつ。


「……遅かったんだよ」

「ええ本当に。あの従兄弟に、色恋で先を越されるなんて」


 フランクは意外そうだったが、サフィルにとっては当然だった。

 相手に対し誠実であるということの意味をロイに教えてもらった後では、フランクの言葉はどれも軽くて薄っぺらい。情熱的な単語のみが上滑りしている。

 どれほどの愛の言葉を捧げられても、細波ほども心が揺れなかった。


「あなたが俺に惚れてさえくれれば、話は早かったのに」

「こういう運命なのだよ。——もしくは総帥閣下の策略かもな」


 まだ恋をしている自覚すらなかった頃もう既に、愛する人の基準はロイになっていた。お陰でフランクの上辺の魅力に惑わされることがなかった。

 もしかしたら偶然ではなく、王太子を己に惚れさせることで運河の万難を排するというロイの策だったのではないか。

 そんな邪推さえしてしまう。


 フランクは大仰に肩をすくめた。


「ずっと考えていたんですよ。なんであいつばっかり、あんなにツイてるんだろうって。間引かれる対象だったくせに、たまたま生き残った。逃げた先に運良く後継者がいなくて、あっさり城主にまでなった。王位継承権二桁のくせに、目に障害があるから親父や叔父貴に贔屓されて文官の頂点にまでしてもらった。全く意味が分からない」

「……そうかな」

「そうですとも! 不公平でしょう、あんなに恵まれた奴が親族にいたら」


 だから第六王子は、王甥に絡んでいたのか。

 端から見れば全てを失った不運な王族としか思えないロイを羨み、妬み、やっかみ。

 

 謎の熱病を克服できたのは母親の知識と、何としても息子の命を救いたいという執念が実を結んだ奇跡だと思っている。

 城主の座がひとつ世代を飛ばして孫のロイに与えられたのは、その重責を母方の親族が誰も引き継がなかったから。むしろ厄介事を押しつけられたようなものだ。それに、例え本当に運だけでその地位に就いたとしても、正しい統治ができていなければ市民に蹴落とされる。

 総帥の肩書きは軍における仕事ぶりに与えられたものであり、純粋に実力だ。


 従兄弟の言いがかりは全て論破してやれる。

 だが恐らく、フランクは聞く耳を持たないだろう。自分は恵まれておらず、哀れで、不幸だと信じ込んでいる。


「それからもうひとつ。あなたも」

「私?」

「こんなに美しい妃、あいつには勿体ない」


 この期に及んでサフィルへの賞賛は欠かさない。

 意識的にやっているのではなく、勝手に口から出てくるのだろう。


「ロイの結婚の噂を聞いて、やっと俺にもツキが回ってきたと思いましたよ。あいつに勝てる唯一の分野だ。美しい妃と運河の両方が手に入る。……はずだったのに、不思議なことにあなたは俺ではなく、あの冴えない眼鏡の従兄弟の顰めっ面を選んだ」

「我が君を愚弄するな。運河の問題に真摯に向き合ってくれた彼を、私は心から信頼している」

「俺だって南北大陸の平和について考えていますよ」


 フランクは真っ直ぐサフィルの前に立った。

 王に決断を迫るように。


「陛下。運河南岸を手放すと宣言して下さい。南大陸にくれてやりましょう。それで大人しくなるなら安いもんです。それから北岸はアルス=ザレラ代表として俺が管理しますから、あなたは俺の妃になるといい」

「ずいぶん強気だな」

「南部侵攻によるイゼルアの滅亡を防いであげようって言ってるんです」

「断る」


 それは王の言葉。すなわちイゼルアの最終的な決断。

 凛として答えたサフィルに冷たく笑い、フランクは半身をわずかに引いた。

 その構えには見覚えがある。かつて一度、剣を交えた時に。


 咄嗟にサフィルは間合いを詰めた。

 フランクの手が懐に滑り込むより先に、首筋に拳を当てる。掌に握ったパウリナの針の先を、皮膚を突き破らない程度に押し付けながら。


 首筋に突き刺さる死の恐怖に、フランクの手がゆっくりと降りた。


「先に手を出しましたな」

「いや。正当防衛だ」

「あなたへ贈る花かも知れませんよ」

「私が間に合うことを知らないお前が、私への花を懐に忍ばせている訳がないだろう」

「……なんだか従兄弟に似て来ましたな。その理屈っぽさ」

「私の城で、私に疑われるような動きをした方が悪い。——衛兵!」


 王の声に兵士が駆け寄り、フランクの両腕を掴む。そして懐に手を入れ、花ではなく刃物を取り上げた。

 さしものフランクも観念した様子で肩を落としている。

 その場を彼らに任せ、サフィルはゆっくり数歩、退がる。


「フランク。確かにお前は侮っていた。私ではなく私の主君、お前の従兄弟をだ。ロイが何もせずにただ幸運だけで全てを手に入れたと思っていたのなら、勘違いも甚だしい」

「俺をどうするつもりですザフィル? 仮にも同盟国の王子ですよ?」

「その件はお前の国と相談するから少し待っていろ」


 サフィルは踵を返し、戻りかけて、ふと足を止めて振り向いた。


「私の名前を正しく言えていたら、答えは違っていたかも知れないぞ」


 衛兵に拘束されたまま、フランクは意外そうな貌をした。

 どうやら、何に対して不信感を抱かれていたのか、最後まで分からなかったようだ。

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