終章 目醒めた夢の、その先を
第1話 王の使命
落ち着きがなく、衝動的なこと。それは幼い頃のイゼルア王太子の、性格上の欠点だった。
要するに、サフィルはやんちゃな少年だったのだ。
危険なことや不思議なものには首を突っ込まずにいられない王太子に、国王も王妃も手を焼いていた。
王国の安寧のため、少し大人しくなってもらわなければならない。
サフィルが七つになると沢山の教育係が付けられ、あらゆる方面から徹底指導された。そして持ち前の好奇心や探求心は封じ込められ、成人する頃には物静かな、王に相応しい人格へと変わる。
たとえ運河の岸に翼を休める渡り鳥の群れを見ても、飛び立たせて面白がるようなことは二度としない。城の人間も、サフィル本人さえ、そう思っていた。
——その、やったら叱られるけど大好きだった悪戯が、まさか身を護る役に立つとは。
かつてロイは、父親に借りた『速い船』の厳つさに頭を抱えていた。
別に大した問題ではないだろうと思っていたのだが、実際に敵と向かい合うことになってようやく理解する。この船では、相手を不必要に怖がらせると。
サフィルはただ城へ帰りたいだけ。しかし乗っているのは武装帆船。敵を撃沈させるために存在する船で近付けば当然、相手は怯える。
こちらに敵意は無いと伝える間もなく、積極防衛のための先制攻撃を受けるだろう。
撃たれる前に港へ入るにはどうすれば良いか。——ほんの少しの間、目を閉じてもらえば良い。アルス=ザレラ最速の船が追い波に乗って全速力で、運河の分岐部に飛び込むまで。
そこでサフィルは、幼い頃のお気に入りの遊びを思い出す。
空砲に驚いた海鳥が一斉に岸を離れ、運河の見通しが限りなく悪くなる。南の武装船がこちらに気付いて舷側を向けようとするが、パニックを起こして飛び回る海鳥の群れが邪魔をする。
どんな腕利きの船乗りも、飛び交う渡り鳥に囲まれたら動けない。立ち往生するしかない。そう何度も叱られた。
ようやく鳥達が落ち着きを取り戻し、運河が静かになった頃には、サフィルらの船は既に運河の本流から伸びる水路へ滑り込んでいた。
水路の先にある港には、武装帆船を隠す設備などない。が、姿が見えていても構わないとサフィルは踏んだ。
何故なら、港は民間施設だからだ。
南大陸諸国は一丸となってもアルス=ザレラには勝てない。だからこそ弱者、被害者の立場を利用する道を選んだ。安全圏から挑発し、北が先に手を出すのを待っている。
港への攻撃は一線を超える。先制的自衛で言い逃れができず、逆に報復
南部の枢軸がそれを許すはずがない。
運河を警備する兵士は、サフィルの顔を覚えている者が多かった。
襟の詰まった内陸風の仕立ての服を着て、純白の地に金色の紐で縁取ったアルス=ザレラ海軍のフロックコートを羽織った姿で、武装帆船に乗って現れたのに。
兵士らはすぐに気付き、全員が王太子の帰還を敬礼でもって迎えてくれた。
運河の堤防の内側にある港には、見覚えのある王族旗の船が係留されている。
船について訊ねれば、夜も明けきらぬうちに隣国からの大使と随員の二名があの船に乗って来たので、馬車で城へお連れしたとの答え。
本物の大使だったらそんな非常識な時間に来ないだろうし、事前に話を通すはずだ。あの口の巧いフランクがどのように彼らを言い包めたのか、第六王子の口上を聞いてみたかったとサフィルは思った。
先に城へ向かった二人が何を考えているのかは、サフィルには分からない。
概ねフランクが何かを企み、ロイはそれを邪魔するために行動しているものと思われる。
人が増えればそれだけ話がややこしくなる。是が非でも妃を護りたいティルダ以下アルス=ザレラの軍人の随行を認めず、万一の交戦に備えて船で待機するよう説得した。
そしてたった一人、馬を借りて城へ向かう。
イゼルアの城下には運河から分岐した水路が細かく張り巡らされている。
サフィルは颯爽と馬を駆り、城門への最短距離を進む。
水路にかかった橋の選び方ひとつで、距離が大きく変わる。大人になって、城下を散策することなどできなくなったが、道はしっかり覚えていた。
街を走る水路は全て、王城の丘の麓を囲む堀に繋がっている。
堀にかかる跳ね橋の番人も、サフィルの顔を覚えていた。慇懃な敬礼をし、大使を乗せた馬車を中へ通した、まだ出て来ていないと報告する。
サフィルは念のため、これ以降は命があるまで橋を降ろすな、誰も通すなと言い付けた。
フランクに退路を用意してはいけない。そんな気がしたからだ。
城内の衛兵から状況を聞き、判断して、指示を与え。
そして、大使の一人が『妙な発作を起こして立ち竦んでいる』という回廊を目指す。きっと眼鏡を失って動けないのだろうと推測し、服の内側に留めた幸運の花のピンを外しながら。
それが、サフィルがしたことの全てだった。
***
「殿下!」
懐かしい呼び方をされた。
すっかり『お妃さま』と呼ばれることに慣れてしまっていたサフィルは一瞬、それが自分だと分からなかった。
父王が譲位を宣言した今となっては既に殿下ではないのだが、などと考えながら足を止めて待つ。廊下を走ってきた紺色の煌びやかな軍服、つまり近衛兵が、サフィルの目の前でぴたりと踵を合わせた。
「東の通路の封鎖が完了しました」
見覚えがあるような顔の近衛兵が報告する。安堵しつつ、サフィルは頷いた。
これで東の別棟にいる弟の安全は保証された。
ロイの眼鏡を壊して足止めした後、フランクが何を探しに行ったのかは、サフィルにも容易に推測できた。
この城に残された、切り札になりそうな存在。サフィルの弟ミシェイルだ。
父に虚仮にされたフランクが次に視野に入れるのは、今ここにいない——と思われている——サフィルではなく、城内にいる第二王子。
運河の国における全権を手放してしまった先王より、今後それを得る可能性のある王弟の方が利用価値が高い。ミシェイル確保に一縷の希望を繋ごうとするはずだ。
最初からサフィルは、弟こそがこの国の最も新しい未来だと把握していた。
そしてそれは、近衛兵から新入りに至るまで全てのイゼルア兵士にとって共通の認識でもある。有事に際し、何より優先して護らなくてはならないものである、と。
気が強い兄とは違い、弟は聞き分けの良い素直な子供で、城に不穏な動きがあれば部屋でじっとしているだけの分別がある。
サフィルは城に戻って真っ先に第二王子がいる棟を護るよう指示しておいた。どうやら間に合ったようだ。
「警戒を怠らないようにな」
近衛兵はびしりと敬礼する。
「それで例の大使とやらは見つかったのか?」
「南棟へ向かう姿を目撃した者があるため、全通路を塞いであります」
「よくやった」
「突撃いたしますか?」
「いや。私が一人で行く。……ありがとう」
何気なく礼を言えば、近衛兵が一瞬、ぎょっとした顔になった。
慌てて取り繕おうとするさまに、思わず苦笑する。
「そう驚くな。私も成長したんだ」
かつてサフィルにとって、イゼルアが世界の全てだった。その頂点にいるものと信じていた。
それこそ、城の兵士が自分に尽くすのは当たり前で、感謝する必要などないとさえ。
もっと高い場所から、もっと広い世界と、もっと深い空を見て、自分がいかにちっぽけな存在だったのかを理解した。
私はそんなに偉くなんかないんだ、と。
意外なことにそれが心地良かった。
頂点であるべきという重圧から解放された時、イゼルアの王太子はただのサフィルに戻った。
本来の、行動力があり勇敢なサフィルに。
「殿下。行かれるのでしたら、どうぞ剣をお持ち下さい」
近衛兵が帯びていたレイピアを鞘ごと外してサフィルの方へ差し出す。
サフィルは頭を振った。
「要らないよ。相手が大使を名乗るのなら、私も王子として——いや違うな、今は『王』として、向き合うことにする」
察しの良い近衛兵は剣を仕舞い、国王と王妃にのみ捧げられる最敬礼の所作をする。
サフィルは深く頷いた。
未来はまだ分からない。
ただ今は、やるべきことをやるだけだ。
父から譲り受けた、この国を護るという使命を果たすために。
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