第8話 陰謀と塩バター茶

 ロイは興味を持った物事をとことん深く掘り下げる性質らしい。

 しばらく共に暮らして、サフィルはそう確信するに至った。


 源流は同じだと考えられる。何も失わない完璧な勝利に拘る戦略家としての在り方も。山岳地帯の少数民族が嗜む茶の再現に情熱を注ぐさまも。

 たまたまロイの関心が軍事に向き、アルス=ザレラは位の低い王甥を総帥に抜擢した。大改革と言えた。

 そしてたまたま、誕生日にもらった木製の茶器を極めたくなってしまったせいで、サフィルはエルデグランツ城の前庭で茶に付き合わされている。大国の慣例ほどではないが、サフィルの中の意識もだいぶ変わった。

 他の民族の風習を研究することは、意外と楽しい。


「混ぜ方にコツが要るんだな。ふむ」


 日差しが西に傾いた夕暮れ。茜色に照り映える雲のかたちに秋の気配を確かに感じる。

 薄暗くなり始めた庭でロイは熱心に茶を混ぜていた。

 参考にしているのは、アルス=ザレラの冒険家が記した旅行記。それによると布に包まれていたものは茶葉の塊で、砕いて煮出し、木製の道具で乳脂肪と攪拌して飲むらしい。

 記録の通り再現するロイを、サフィルは興味深く眺めていた。


「さすがに本だけじゃ正確には分からな——」


 ふとロイが顔を上げ。

 視線が合った、と思った瞬間わざとらしく逸らした。


 今朝からずっとこんな感じだった。

 体を重ねたことで、何となく気まずくなってしまったのは分かる。サフィルもこれから妃としてどのくらいの距離感を保って良いか悩んでいる最中だ。

 だがここまで露骨な態度は、不安になる。もしかして後悔しているのではないかと。


「なあロイ」

「ん?」


 呼びかければこちらを向くが、やはりぎこちなく視線が外れる。

 サフィルは敷物の上で尻をずらすようにして、ロイの視線の先に移動した。


「どうかした?」

「それは私が訊きたい。様子がおかしいぞ」

「おかしいかな」

「だいぶおかしい」


 考える時特有の、くしゃくしゃと前髪を混ぜる仕草。

 妃の顔が見られないことに、気付いていない訳ではないようだ。


「君は平気?」

「後悔はしていない」

「それは勿論、僕だってそうだ。君を大切にしたい思いと、君を僕のものにしてしまいたい欲求は、全く正反対なようでいて驚いたことに何も矛盾していなかった」


 相変わらず難しい言い回しで、理屈ばかり捏ねる。

 だが勿論、ロイが何に葛藤しているのかは分かっている。いつか別れなければならない偽りの関係だからだ。

 心だけではなく体まで求め合うようになってしまえば、思い描いた理想の実現が危うくなる。


 実際——離れたくないと思い始めている。

 ずっとロイの妃でいたい。ロイに愛される存在であり続けたい。


 祖国を捨てることができない以上、かなわない願いなのは分かりきっていたが。


「気になることがある。ひとつ確認したいんだが」

「え……っと、何かな」

「お前はどうして、あの男が南と繋がっていることに気付いたんだ?」


 想定していた問いとは違っていたようだ。呆気に取られたような、不思議そうな貌をする。

 何を訊かれると思っていたのか気にはなったが敢えて追求しないでおくことにし、サフィルは、納得のいく答えを待った。


 本当に、ロイが言う通り、大丈夫なのか。

 大丈夫だとしたら、その根拠は。

 己の失言が後々、不利な事態を引き起こすきっかけになったりしないのか。


「そのことか」


 ロイは茶を攪拌する作業を再開した。


「前回、フランクは不可能な地名を言った。お陰で本当はどこに居たんだろうという、余計な詮索を受けることになった」

「ああ」

「今回は僕の荷物を届けるという口実で潜入に成功した。……まだ分離してる」


 茶の具合を確認しながら緩く語るロイは、やはりサフィルと目を合わせようとしない。


「多分フランクは不安だったんだ。僕達が嘘に気付いたかどうか。だからすぐ戻ってきた」

「疑われているかどうか確認するために?」

「そう」


 僕達、と複数形にすることで、暗にこの展開にサフィルが深く絡んでいることを示唆する。

 残念ながらサフィルは、フランクの言葉が嘘だと気付かなかったのだが。


 程良く混ざった茶を今度は飲むための木椀に注ぎ、ふんわりと微笑みながらサフィルの前に置く。やっぱり顔を見ないまま。

 サフィルはロイが己の分を注ぐまで待ってから、器を手に取った。


「飲んでみて」

「ありがとう」


 城主が自ら再現してくれた山岳地帯の茶は濃厚で、脂肪分が多く、なぜか塩味がついていた。


「何と言うか……興味深い味だね」

「的確な表現だ」

「それで、何の話だったっけ。ああそう、フランクだったね。気付かなかった? あいつ頻繁に南大陸の話をしていたろう?」

「確かに話題には出していたが、南部と対立している今の状況なら別におかしくは」


 木椀を両手で包み込み、ロイが小さく頷く。


「他の従兄弟ならそうだけど、あいつだからね」

「……逆方向に信頼がある訳か」

「僕の知らない話を混ぜて、こちらの情報の深度を測っていた。確信していたんだよ、疑われていることを」


 サフィルは感心しつつ頷いた。

 初めて聞く情報があればうっかり飛びついてしまいそうだが、顔に出さず。こちらが出す情報には誤りを混ぜる。

 やはりロイは希代の策士だ。

 感服すると同時に、最後の最後に相手が仕掛けた訳でもない部分で躓いてしまったことが、本当に申し訳なくなってくる。


「何故、自国の敵と通じているのだろう。争いを望んでいるのだろうか」

「ここから先は推論だけど、多分、利益が生まれるかたちで手打ちにしようと考えているんじゃないかな」


 もう一口、ロイは静かに茶を啜る。

 そして茶の湯気を吹き払ったともため息とも取れる大きな吐息をひとつついた。


「僕の理想は元に戻すことだ。でもそれは、損失も利益も産まない。南にとっては面白くないだろうね。アルス=ザレラと真っ向勝負しても勝てないけど、このまま手ぶらで引き下がるのも癪だ」

「南の利益になる手打ちの形があるとでも?」

「ひとつだけある。フランクは君を自分の側に引き入れ、言い包めて、それをさせるつもりだと思う」

「私に? 何を」


 分からないと軽く首を振ってみせれば、ロイは口元を固く結び、その先を言うべきかどうか悩むような様子を垣間見せた。


「……割譲」

「え?」

「キルスティン運河の南岸を南大陸に渡して、未来永劫、侵略をやめさせる」


 その刹那こみ上げた強い感情を、サフィルはこれまでの人生において知らない。全身が震え、頭の中が熱くなるほどの、怒り。


 譲れ、と言うのか。

 かけがえのない、祖国の地を。


「運河を半分ずつにするという解決策が選択肢の中にないことは、お義父さんに最初に確認した。つまり終わりのかたちは全か無、勝ちか負けかの二択だ。僕は必ず勝って、運河の力関係を元に戻すと約束した。その約束が全てだ」


 そこにアルス=ザレラの第六王子が割り込み『引き分け』を持ちかけた。

 運河が半分手に入れば、南部諸国は北へ侵攻する必要がなくなる。

 イゼルアは領土を一部失ってしまうが、南の脅威からは恒久的に解放される。


「あいつには、君を惚れさせる自信があったんだろう。君は次の、イゼルアの王。うまく丸め込むことができれば、運河の分割を認めないという現国王陛下の決定は覆せる」


 寒気がした。

 もしフランクの言葉に靡き、彼に好意を抱いてしまっていたらと思うと。


「従兄弟の中でも賢いとは言えない方だったんだけど、誰の入れ知恵かなあ」

「……お前と代わりたがっていたのも、運河を売るのが目的だったのか」

「それはどうだろうな。君と結婚したってあいつは何の権力も得ない。ただ、今の第六王子よりはずっと、欲しくてたまらなかった玉座へ近付くことができるね」


 南部は運河の利権を。

 イゼルアは代償を支払った上での安寧を。

 そしてフランクは高い地位を。


 ロイが寝る間も惜しんで向き合っていた問題の全容を理解した時、サフィルはかつてないほどの恐怖を知った。


「まあ何というか……」


 いつも通りの様子で、策士は冷めた茶を舐める。


「とりあえず、あいつを阻止しないと」

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