第74話 鬼灯君は私を選んでくれたんだよね?

 翌日の木曜日、久遠は朝から桔梗の引っ越しを手伝うべく花咲家にやって来た。


 そこには父親と妹の姿はなかったが、桔梗の母親の姿があった。


「貴方が桔梗のお気に入りの鬼灯久遠君なのね」


「お気に入り…、らしいですね」


 母親がお気に入りと言った時に桔梗がその通りだと激しく首を振ったため、そんなに自分のことを気に入ってくれていたのかと思いつつ久遠は頷いた。


「前の職場で色々あってこの家に出戻りしてからというもの、なかなか毎日辛そうにしてたけど、久遠君と関わるようになってから桔梗の表情は柔らかくなったわ。できれば、鬼灯家に永久就職させてあげてほしいの」


「永久…就職…」


「まあ、硬い感じで言ったけど要は結婚して家族になってほしいってことね」


 (初見の相手に娘を委ねて大丈夫ですか?)


 桔梗の母親がしれっとすごいことを言うものだから、久遠はそれで良いのかと桔梗の顔をチラッと見る。


 その表情はよく言ってくれたと全肯定であり、桔梗の一度決めたら貫こうとするスタイルはこの母親がルーツなのだと久遠は悟った。


「あの、失礼ですがまだそこまで考えてる訳では…」


「桔梗以外に気になる相手がいるのかしら?」


「鬼灯君は私を選んでくれたんだよね?」


 (母娘揃って目からハイライト消すの止めてほしい。普通に怖いんだが)


 久遠的にはまだ結婚まで考えておらず、お試しでシェアハウスをしてみるぐらいの感覚だった。


 現状では恋愛感情から同棲するというよりも、自分にメリットがあって桔梗も心の負担が軽くなるという利害関係の一致から同棲すると思っていたのだ。


「他に気になる相手がいるという訳ではなく、当初は花咲さん、じゃなくて桔梗さんとお互いに利害関係が一致したからシェアハウスしようという話でしたので、結婚を見据えた同棲というつもりではなかったんです」


「…桔梗、久遠君と添い遂げたいならもっとガンガン攻めなきゃ駄目よ。私がお父さんを仕留めた時だって攻めて攻めて攻めまくった挙句の既成事実が決め手だったんだから」


「わかった。これからもっと攻める」


 (花咲家でお父さんポジションって大変だったんだろうな)


 まだ会ったことはないけれど、久遠は桔梗の父親に同情した。


 それと同時に、この花咲家で育った桔梗の妹はどんなキャラなのか少しだけ興味が湧いた。


「ねえ、鬼灯君。今、他の女のこと考えてない?」


「考えてない。どうやって荷物を運ぶかなって考えてたんだ。どれぐらい荷物があるか聞いてなかったから」


「あっ、そういえばそうだったね。じゃあ、私の部屋に来て。もう荷物はまとめてあるから」


「わかった」


 このまま同棲の意味について話を続けていくと怖い気がしたから、久遠は引っ越し作業に話を移した。


 桔梗も久遠の家に早く引っ越したいから、久遠の変えた流れに乗って久遠を自室に招いた。


 桔梗は段ボール箱に移動させたい荷物を詰めており、その段ボール箱は6つに収まっていた。


「収納ボックスは良いとして、ベッドも運ぶんだよな? エレベーターに入るかね?」


「組み立て式だから持ち運べるサイズにすればいけるよ」


「そっか。じゃあ、まずは段ボールを運ぼうか」


「久遠君、じゃあ、桔梗のことをお願いね。私はこれから出かけるから」


「あっはい。行ってらっしゃい」


 久遠と桔梗は桔梗の母親を見送った後、2人は久遠の部屋に荷物を運んだ。


 平日の午前中ということで、特にエレベーターが混むこともなく荷物の移動は4往復で終わった。


 久遠の兄が使っていた部屋を桔梗に使ってもらうため、移動させた荷物は全てその部屋に運んだ。


 荷解きする過程において、桔梗の衣服が収納ボックスに格納するのだが、本来ただの同居人には見せないであろう下着もオープンに対応していた。


「すまん、下着とかあるなら一旦外出るわ」


「別に大丈夫だよ。むしろ、見てほしいな。君の好きなデザインとか聞きたいし」


 母親のアドバイスを受けてから、桔梗は久遠のことを苗字ではなく名前呼びするようになった上に積極的にアピールし出す。


 流石にぶっ飛び過ぎているので、久遠は無言で部屋の外に出た。


 ここまですれば桔梗も下着を持って部屋の外に出てきたりしないので、久遠は部屋の外から声をかける。


「俺の手が必要になったら声をかけてくれ。俺は昼食の準備でもしてるから」


「はーい。ありがと~」


 久遠はぼちぼち正午が近くなって来たから、キッチンに移って昼食の準備をする。


 荷解きに時間がかかっているから、そこから外食しようというのも悪いと思って家で簡単に作れるように食材は用意しておいたのだ。


 作業を終えて桔梗がリビングに戻って来た時、久遠は丁度昼食の準備を終えて部屋に桔梗を呼びに行こうとしていた。


「あっ、来たか」


「うん、作業はもう終わったよ」


「早かったな」


「まあね。ミニマリストって訳じゃないけど、あれもこれも買うタイプじゃなかったから。もう、夜から配信できるようにセットも終わってる」


 朝活配信とゲーム配信で今は生計を立てているため、とりあえず配信環境を整えないといけない。


 そういう意味で桔梗は真っ先に配信環境を整えた訳だ。


「この共同生活のルールを決めたいんだけど、まずは昼食にしよう」


「うん。何を作ってくれたの?」


「簡単なものだ。バゲットに好きな具材を挟んでお好みサンドイッチ。コーヒーも淹れてある」


「うわぁ、おしゃれなカフェみたい!」


 昼食を見ながら説明されたことで、桔梗は久遠が簡単と言いつつしっかりとしたものを作ってくれたことに感動した。


 実のところ、久遠にお弁当を作る時は結構気合を入れており、自分だけが食べるご飯を作る時は手抜きであることが多い。


 それゆえ、久遠が求める食事のクオリティは高いのではないかと桔梗が心の中で心配する。


「花咲さん、心配しなくても今日は偶然だから」


「桔梗って呼んでよ。私の家で呼んでくれたみたいにさ。折角名前で呼んでもらえたと思ったのに、苗字呼びに戻されるのは悲しい」


「…桔梗さん」


「うんうん♪ 私も久遠君って呼ぶから」


 (すっかり桔梗さんのペースに流されてるな。どこかで引き締めないと不味いかもしれん)


 桔梗の家に行って桔梗の母親に余計なアドバイスを貰っていたことから、久遠はこのまま桔梗にペースを掴まれるのは不味いと思った。


 具体的にはどこかのタイミングで桔梗が風呂場に突入してきたり、部屋に忍び込んできたりと何か仕掛けて来るのではないかと疑っているのである。


 昼食を取り終えてから、コーヒーを飲みつつ久遠と桔梗は今日からの共同生活におけるルールについて話し合う。


「間借りさせてもらう訳だし、平日のお弁当と夕食作り、洗濯掃除は私がやるよ」


「できるの? あっ、技能的にって話じゃなくて時間的にって意味だぞ。VTuberとして配信するのに食事の用意って朝とか大丈夫か? 弁当だって必要以上に早起きしてたりしない?」


「心配してくれるのは嬉しいけど、基本的に私はこの家をベースに動くから平日のお弁当と夕食作り、洗濯掃除は任せて」


「それならお言葉に甘えようかな。朝食作りとごみ捨ては基本的に俺がやって、土日は協力して家事をやろうか」


「うん。それでOK。家賃は半額って話だったけど、食費と光熱費、水道代、ガス代も折半で良いよね?」


「構わない」


 家事の当番を決めてからは、共同生活に必要な支出の分担割合についてサクッと決めた。


 特にお互い無駄遣いをするタイプではなかったから、その後もサクサクとルールは決まっていく。


 お互いの仕事や趣味に関連する買い物はそれぞれが負担することも決まり、共同生活をするにあたって決めておくべきことは大体決まった。


「最後にお互いの部屋への立ち入りについてだ。特に、桔梗さんはVTuberとして配信してるから、親フラならぬ友フラは不味いだろ?」


「まあね。でも、どっちの部屋にも鍵があるんだから、入ってほしくない時は鍵をすれば良いし、鍵が開いていても入る時にノックをするようにしておけば大丈夫じゃないかな」


「そうだな。そういえば、桔梗さんは防音室とかって使わないの? VTuberって使ってる印象があったけど」


「私にそんなすごい設備を買えるだけの貯金はもう残ってないよ。幸い、歌ってみた動画とかそう言う奴はやらないし、このマンションって防音設備はしっかりしてるから今の配信形態なら大丈夫だよ」


「それなら良いや。ここから先は、また一緒に暮らして問題が発生したらその都度協議しよう」


「賛成」


 共同生活のルールが決まったら、久遠が夕飯の買い出しに出るというので桔梗もそれに同行した。

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