第8話



 自分を傷つける言葉をこれ以上ガラードに言わせたくなくて、俺はガラードの口を片手でゆるく覆った。不敬だと言われれば俺はそれを受け入れるつもりだった。

 そのくらい弱ったガラードを見ていたくなかったのだ。


 俺の言葉を聞いて、じっとしているガラードの口元から手を離そうとした時だった。

 ガラードが俺の手首を握ったかと思うと、指にくすぐったさを感じた。


「んんッ」


 思わず変な声が出てしまって、咄嗟にガラードに掴まれていない方の手で自分の口を押さえると、ガラードが色気を含む瞳で俺を見ながら、指に舌を這わせた。


 え? もしかしてさっきの……ガラードに指、舐められた? 

 はぁぁああ~~どうして??


「ちょっ……ひゃ」


 驚きと困惑で対処が遅れてしまった俺の口からはまたしても、おかしな声が出た。

 さらに舐めらそうになり俺は必死で手を引きながら言った。

 

「ガラード……殿、何しているのです!? どうして?」


 俺が涙目でガラードに訴えると、ガラード自身も困惑した様子で答えた。


「エドワードの指が……とても美味しそうで……我慢出来なかったのだ……」


 ええ……美味しそう……? 俺の指、食べ物認定?

 あ、それとも……普段口の前に手を置かれることがないから食べ物だと脳が咄嗟に誤認した……とか?


「あの、手も洗ってないので決して口にはしないで下さいね。ああ、手を洗ったらいいという問題でもないのですが……とにかく、不用意に俺の指を口にはしないで、ひゃあ!!」


 俺が目の前に手があっても口にしないように指導している真っ最中に、ガラードに抱きしめられた。


「こ、こ、今度はどうしたのですか?」


 俺はガラードの不可解な行動に首を傾けていると、ガラードが切なそうな声で言った。


「わからない。どうしようもなくエドワードをこの腕に抱きたい、指を舐め、髪に口付けて、頬と頬を合わせたいという抗うことのできない衝動にかられる!! なんだ、この止めることのない欲しいという欲求は!?」


 抱きたい?

 舐めたい?

 髪に口付け?

 頬を合わせる?


 あ……わかる。めちゃくちゃわかる。

 それ――ストレスだ。

 小動物やぬいぐるみに癒やされたいっていう、あれだ。


 検索すればいくらでも可愛い小動物が見れる世界と違って、異世界にはあまり身近な動物は少ない。

 馬はいるが、あくまで俺個人の感想だが、馬は遠くから『かっこいい~』と愛でるもので、自分から頬を寄せていくような勇気はない。

 それにこの世界の人形といえば、フランス人形のような人形で、ふわふわもこもこのましてや大きなぬいぐるみなど存在しない。

 しかも俺の身長は低めだ。ガラードにとってはそのまま抱き枕のような存在なのかもしれない。


 俺はきつく抱きしめられた腕の中から答えた。


「ガラード殿は、またしても身内のソフィア様と私の接触により、噂が広まったと悲しんでおられるのです。その心の痛みを癒やすために、私を抱きしめたいなどと思うのでしょう」


 ガラードが少しだけ腕の力を緩めて俺の顔を見ながら言った。


「癒やし? 私は癒やしを求めているのか?」


 ガラードが驚いたように言った。俺は大きく頷きながら答えた。


「ええ、恐らくそうだと思います。人は悲しみや驚きに立ち向かうために、癒やしを求めるものです」

「そうか、ではエドワードを抱きしめたい思うのも、髪や頬に触れたいと思うのも癒やしを求めているからか」


 俺のストレス値が最大だった時の抱き枕や、ぬいぐるみへの接し方と完全に一致している。本当は抱き枕やぬいぐるみの方が癒し度数は高いかもしれないが、ここは俺で我慢してもらうしかない。

 俺はガラードの背中を撫でながら言った。


「まさにそうですね……お優しく、責任感の強いガラード殿は、私の噂に心を痛めているのでしょう。相当の心の重りストレスですね。触れたいというのもわかります。どうです? 背中を撫でられて少し落ち着きませんか?」


 ガラードはさらに俺をきつく抱きしめ、俺の首に頬を寄せながら言った。


「落ち着くというより……いや……もっと、撫でてくれ。私も撫でたいし、触れたい」


 どうやらこれも癒やしになるようだ。俺は「はい」と言ってガラードが落ち着くようにと背中を撫で続けた。

 そして俺は首に頬をすり寄せられたり、髪の中に指を入れ絡ませられたり、本当に遠慮なく触れられた。


 きっと侯爵っていう高位貴族ってストレス多いよな~~兄も領主の仕事、凄く大変そうだしな~~身内が噂の発端とか……きついんだろうな~~


 俺は余程ガラードはストレスまみれなのだろうと想像してガラードの好きにさせた。

 俺はガラードの背中を撫でながら花が咲き乱れる庭園を見ていた。



 

「大勢の人の声が……」

「すまない、エドワード。折角、しっかりと準備していたのに、髪や衣服が乱れてしまったな」


 どのくらいガラードの好きにさせていたのだろうか?

 人の声が多く聞こえるようになった。もしかしたら、パーティーが終わってしまったのかもしれない。

 学園のパーティーはそれほど長い時間は開催されないが、それでも結構な時間、俺にひたすら触れているなんて、ガラードのストレスは相当なものだ。


「それはいいのですが……」


 ふとガラードの顔を見ると、これまで見たことがないほど柔らかく微笑んでいた。


 よかった、癒やし効果で少しだけ表情が明るくなった。

 

「エドワード、とにかくこの裏から馬車乗り場に行けるので、馬車に戻ろう」

「はい」


 きっとエントランスは迎えの馬車で混雑しているだろう。

 通常の夜会だと、御者は馬車乗り場で待機してパーティー終了と共にエントランスの前の馬車の発着場であるサークルになっている場所に停車して主を待つのだ。

 だが、俺はマントの端を前に持って歩いているガラードと共に直接御者の待つ馬車乗り場に向かった。


「すまない。すぐに戻る。エントランス前で待っていてくれ」


 きっとソフィアを迎えに行くのだろうと思い俺はすぐに頷いた。


「はい」


 すると、ガラードが俺をじっと見ていた。


「どうされました?」

「いや……離れがたいと思っただけだ。すぐに戻る」


 ガラードは馬車の扉を閉めると御者に「エントランス前に行ってくれ」と声をかけた。


 馬車を見送った後に、ガラードは自分の身体の変化に戸惑っていた。

 ガラードはエドワード以外の人間の顔を必死に思い浮かべ、ひたすら熱が治まるのを待ったのだった。

 

 





 新入生歓迎パーティーの後は、三日ほど学園が休みだった。

 休み明けに学園に行くと、またしても俺は人の冷たい視線に晒されていた。

 嫌われ者の悪役令息っぽいなんとも落ち着かない状態だ。


 う~~覚悟してたけど……人の視線って痛いんだな……


 俺は、人のネガティブな視線というのは時に凶器になることを知った。


「おはよう、エドワード」



 俺が机に臥せっていると、明るい声が聞こえて顔を上げるとアレクが隣に座っていた。


「え? ああ……おはよう……」


 まさかこんな状況の俺に誰かが話かけて来るとは思わずに、戸惑いながらあいさつを交わした。


「あのさ、アレク……俺から離れた方がいいよ?」


 賢い貴族なら、こんな状況の俺に近付く者などいない。何度も言うが貴族とは家同士の繋がりが全てだ。

 皆から悪く言われている俺に近づくと、自分だけではなく家まで巻き込む可能性もあるのだ。

 それにアレクは今回の騒動に全く関係ない。むしろ巻き込まれた被害者だとも言える。

 アレクはにっこりと笑うと楽しそうに言った。


「い・や・だ」


 そして、わざと大きな声で言った。


「だって、俺、エドワード好きだし。……ということでここにいる」

「はぁ?」


 俺はヒーローアレクからの突然の好意が空耳かもしれないと思ったのだった。

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