第23話 名前を呼んで

 「モニカさん、チェス強いですね」


 酔っているせいか、わたしのことを名前で呼んでくれる侯爵。

酔いがさめたら元に戻ってしまうのかな。

それでも、いいか。

今、名前で呼んでもらえるこの瞬間を満喫しよう。


「ロ……ロ…」


わたしにはまだ酔いが足りない。

恥ずかしさが先行している。

さすがに呼び捨てはできないよね。

ロレンツィオ様、ロレンツィオさん、ロリー様、ロリーさん……


どう呼ぶのが一番適切か、うーーーむ。

チェスの駒の手よりも、名前の呼び方に悩んでいた。


「モニカさんは、退屈じゃないですか?」


「何がですか?」


「わたしといると、つまらないでしょう」


「ぜんっぜん! ロ……」


「どうしました?」


「どう呼ばれたいですか? 

わたし、侯爵がどう呼ばれたいのかわからなくて、決められないんです。

ご本人に決めてもらうのが一番かと」


「そんな決め方は反則でしょう。

どうするんですか? もし、わたしが変な呼び方を指定したら。

そしたら、モニカさんはそれに従うんですか?」


反則と言われた。

わたしは、悔しさをごまかすために、ワインをグイっと飲んだ。


「変な名前でもご希望ならば呼びますよ。

じゃあ、お聞きしますけど、変な呼び方ってたとえば、どんな名前があるんですか?」


挑戦的な態度に出るわたし。


「そうですねぇ。ロレンツィオ大魔王とか、ロリーポップとかですかね」


ブハッハッハ! 思わず吹き出して大笑いした。

わたしが笑ったら侯爵も笑った。


「本当にそう呼びますよ。いいんですか?」


「やっぱり、やめてください。ロレンツィオでいいです」


ふふふ、変な侯爵。めっちゃ可愛い。


チェスの駒を動かしながら、侯爵は過去の話を打ち明けた。


「子供の頃、父と母を亡くしてから、何もわからないうちから大人の仕草を求められました。

国境での戦いにも行きました。

今でも、敵を殺して返り血をあびるたびに、罪悪感に襲われます。

敵軍が、わたしの両親に取った行動と、わたしが今やっていることは何が違うのか。

わたしが殺したこの兵にも、妻や子供がいるだろう。

その子はわたしを憎むだろう。

そうやって、憎しみは憎しみを呼び、終わることはありません

いつか、憎しみの連鎖を断ち切って平和な国にしたいですのですが……」


初めて聞いた。

心の傷と苦しみ。

侯爵は戦いに出るたびに、幼い頃の自分と同じような子供が、

敵側にもいることを想像して苦しんでいたんだ。


「わたしの話はつまらないでしょう。

同年代の友達には、わたしといてもつまらないと言われました。

それが今でもそうなんです。

大人の自分でいようとするとつまらないようです。

わたしはつまらない男です。

モニカさんも、つまらないですか」


「わたし、すっごく楽しいです! 楽しいって失礼ですね。

侯爵の苦しい話を聞いてもつまらないなんて思いませんよ。

それを聞いて、ここ、この胸が痛くなりました。

でも、その百倍も、楽しいって気持ちの方が大きいです!」


「……」


「過去の辛いお話のあとに、この話をするのはどうかと思いますが……、

わたしが修道院出て、初めて出会った『珍獣ロレンツィオ』ってのはどうですかぁ?」


「……嬉しいです」


え? マジで?

冗談で言ったんですけど。

笑ってる?


「モニカさんに、愛称で呼ばれるならなんでも嬉しいです」


侯爵の体は横に傾いた。

そして、椅子に座ったまま、うつむいた。

泣いているの?

まさか、死んだのでは……、慌てて駆け寄り確認する。

息、してるわ。よかった。

寝ちゃったのか。

困ったな。

このまま椅子で寝ていたら、椅子から落ちるんじゃないかしら。


「ロレンツィオさまー、このまま寝たらだめですよー。

ちゃんとベッドで寝てくださーい」


ダメだ。爆睡してる。

ジョバンニに助けを求めに行こう。

部屋を出ようとしたとき、手を捕まれ止められた。


「誰も呼びに行かないで。ここにいてください」


「……!?」


「もう一度、わたしの名前を呼んでください」


そういって、ぎゅっと抱きしめられた。


「ロレンツィオ…さん?」


「はい」


「……ロレンツィオ」


「はい」


「あの、酔っています?」


「いいえ、モニカさん」


「はい」


「モニカ」


「はい」


ドキドキドキドキ

もう一回名前を呼ばれたら、心の臓が飛び出すかもしれないわ。


「検温します」


侯爵はわたしの顔をじっと見つめてそう言った。

しまった。油断していた!

詰んだ。

これはチェックメイトだわ。

額にゴッツンコされるパターン。


「だめですか?」


何、何、そのか弱そうな少年みたいな瞳は。

そっちこそ、反則でしょ。

だめって言えるわけないでしょ。


「だめ……、の反対」


侯爵と額と額をゴッツンコした。


「病もうつしますが、いいですか?」


「恋の病なら、もう、うつっています」


ロレンツィオの顔が赤いのは酔っているせいなのか、それとも…。

唇が近づいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る