伏線と伏線回収

 極論を言えば、ミステリに限らず小説の中に伏線を敷くこと自体は誰にでもできます。筆者が伏線を呼んだものは伏線になるからです。そして、アンフェアなミステリには伏線なんて必要ありません。このエッセイではフェアプレイ・ミステリの書き方を検討していくので、興味のない方は読まなくても結構です。


 既に議論の中心は「伏線の敷き方」ではなく「伏線の使い方」にシフトしていることをお伝えしておきます。


 伏線とはヒントと同義です。フェアプレイとしてミステリを楽しもうとする読者は、テキスト内の伏線=ヒントとなる情報を元にして、謎解きパートがやって来る前に事件の真相を解き明かそうとします。そのため、読者が推理を立証するために必要不可欠な情報は、作中で謎解きのパートが開始される以前に予め読者へ示しておかなければなりません。謎解きパートに入ってから読者にとって未知の不可欠情報が新しく登場してしまえば、その情報以外に関してどれだけ見事な伏線回収を見せていようとも、厳密にはアンフェアなミステリとなってしまいます。


 ①フェアプレイなミステリは、推理に必要不可欠な情報全てを謎解きパート以前に読者へ提示しなければならない。そして謎解きパートでは、前もって読者に提示されていない新情報を用いて推理してはならない。謎解きパートの中で提示できる新情報は、演繹的推理によって導かれうる結論のみである。


 ひとつ、モデル化した具体例を挙げてみましょうか。


 謎提示:今日のお昼に彼女は何を食べたか。

 ヒント:彼女は今日の昼にチーズバーガーを買っていた。

 謎解き:彼女は今日の昼にチーズバーガーを食べた。


 ヒントパートと謎解きパートはほとんど同じことを言っていますね。①のルールが厳格に満たされていれば「ヒントパート」と「謎解きパート」はかなり同一に近い内容になります。ですが、これでは余りにも謎解きが簡単すぎて、読者は競技としてのミステリを楽しむことができません。ミステリとして何も面白くないからです。


 ②フェアプレイなミステリは、必要なヒントや伏線情報には触れつつも、それらを隠し通すための工夫をしなければならない。筆者には、読者の読解力や推理力を最大限まで引き出す面白い謎解きテキストの執筆が求められている。


 つまりですね、①と②のルールを総合すると、筆者は読者が勝つために必要なヒントをすべて語るべきだが、テキストのどこにヒントが隠されているのかを読者に知られてはならないということです。実践例を1つ紹介します。


シリーズ『夢の通り道』から「どうして傘を持ってない。」

https://kakuyomu.jp/works/16818093082133763967/episodes/16818093086123160358


 この僅か304文字のテキストは、1つ目の段落がヒントパートとして、2つ目の段落が謎解きパートとして書かれています。解くべき謎はタイトルが示してくれていますね。「どうして傘を持ってない。」


 ちなみに Chat GPT にリンク先のテキストを読ませてみたところ、きちんと私の意図通りの回答を返してくれました。もしも貴方が第1段落の時点で推理を完成させられなかった場合は、 AI よりも読解力が無いか、ミステリを読み慣れていない可能性が高いです。


 実際にリンク先の文章を読んでいただければ分かると思いますが、基本的には第1段落と第2段落で書いてある内容は一緒です。完全に同じです。同一です。そのことに気付きましたでしょうか?謎解きパートに新しい情報は出現していません。言葉や情報の順序を変えて、同じ事を話しているだけなのです。この小説はかなり分かりやすいですね。伏線がどこかに隠されているわけではなく、ヒントパートのテキストすべてがヒントになっているのですから。


 フェアプレイなミステリは、筆者と読者の知恵比べです。読者は一旦最後まで読んで筆者の想定解を把握してから、もし自分の推理が未完成もしくは誤りだった場合、小説を読み直して伏線やヒントを確認し、アンフェアだから筆者の失格負けと判断するか、フェアプレイだったから自分の負けと認めるかを審議します。


 謎解きパートの中で導き出される推論は、読者にとって既知の情報を基に組み立てられているわけですから、予め提示しておいた文章の中で、どの情報が重要か、ヒントや伏線になりうるかを見抜かれてしまうと、そのときに筆者の敗北は決定的になります。(敗北が決定的にならなくてはなりません。)


 伏線を伏線として分かりにくくする手法はいくつかあります。ミステリの筋の上ではそれほど大事でもない情報の中にヒントを潜ませたり、逆に回収を先送りするつもりの他の伏線をいっぱい仕込んで読者の注意を散らしたり、比喩や換喩などのレトリックを駆使して文自体を読みにくくしたり、なんでもありです。


 さて、伏線の使い方の基本は伝えました。道理であれば、ここから実践的理論を見ていくべきだとは思います。でもですね、伏線を分かりにくくする手法なんて数え切れないくらいあるので、今回はここまでにしましょう。ご読了ありがとうございました。


よいお年を


 

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