第26話 秋の夜長

 サンルームに灯る小さな灯りを暖かいと感じるようになる頃。風が吹き荒び一枚一枚枝から離れた枯れ葉が屋根を滑るように落ち始めた。

 多恵さんがピアノの横のロッキングチェアーに腰掛け、淡い黄色の毛糸を入れたバスケットを持ち込んでチクチク編み物を始めた。慣れない手付きでひと針ひと針編んでいく。忙しく動いてばかりいた多恵さんの生活にじっとする暮らしは馴染まない。でも、最近はそんな日が当たり前になり、時間はひっそりと流れていた。

「男か女かわかったの?」

 思わず身を乗り出して聞くと、

「ううん、聞けばね、教えてもらえるらしいんだけど聞かなかった。会える時の楽しみに取っておく」

「そう、待ち遠しくて僕なら聞いちゃうかな」

「神秘的なものでしょ。大切にしたいの」

 そう言って微かに笑う多恵さんは益々魅力的に感じる。

 女の人が身ごもって、だんだんお腹が大きくなって、母になっていく変化を、僕は自分の奥さんでもない多恵さんの姿を心を踊らせながら毎日近くで見守っている。自然情もわく。結婚ってこんな感じなのかな…

「どうしたの?」

「いや……多恵さん、どんどん綺麗になるって思ったんだな」

 と、照れて笑うと、

「そういうことを言ってくれる人がいるなんて、まだまだまんざらじゃないわね。私も」

 そう言ってはにかんだ顔が本当に美しかった。

 砂湖とのことがダメになってしまうと、もう後はどうでも良かった。自分にする言い訳も、隠し事もなくなって、気持ちが楽になった。砂湖の存在は良いにつけ悪いにつけ大きかった。長年僕を支えてくれた相棒だったから…他にはない安心感やお互いへの信頼が根深く僕の中にあった。

 ミュージシャンとして自覚がなさ過ぎると祖知には言われるが、それなら砂湖のことだって一緒だろう。結婚が駄目なら恋愛なんてもっと駄目だ。僕にしてみればそう反発したい気持ちだった。

 だからそれを言い訳に、もういろいろ考え悩むのは止めにしようと決めて、恋はしないことにした。

 多恵さんには悪いけど、多恵さんへの思いは恋とはちょっと違う。愛の変形…この普遍的な日常への憧憬は、今まさに続いていく経糸と緯糸の折り重なりで過ぎていく情景。そう割り切ると生きることがとても簡単で肩の荷が下りた気がした。


 時々思い出して遠方の兄貴に電話をした。

「あ、兄貴、この頃姉さん少し落ち着いてるよ。昨日も食欲出たみたいだった。そんなには食べないけど、まあボチボチだな」

「悪いな晴人。なにもかもお前に任せて、もうしばらく頼むよ。こっちもだんだん片付いてきたから」

「うん、時々連絡してやって、きっと心細いと思うから。

 あ、留守録が良いよ。姉さん耳に当てて繰り返し聞いてるみたいだから。でも、また少し痩せたかな。気丈に振舞ってはいるんだけど病気は進行している気がする。この頃熱も引かないんだ」

 そんなどこにも光の見えない連絡しか出来なかった。出来なかったけど隠さないで良いことも悪いことも話すように心がけた。僕が一人で抱えていても仕方ないと、意地になってたものも、だんだん手放せるようになった。兄さんが気にしていることも理解できるんだから、素直にならないと…

 元気だった姉さんは見てるだけで楽しくて隠しておこうと意地悪に思うことも有ったけれど…今はそんな事思う余裕もなかった。

 姉さんに合う薬は見つからず、ドナーも見つからなくて治療は芳しくなかった。


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