8/20「キミのクラスの奴らとのタイマン。ごめん、大事な友達を傷つけれて黙っていられるほど、俺、優等生じゃないんだ」
『……南西諸島で発生した大型の台風25号【ニャーゴ】は北北東へ進路を進めています。午後には九州地方に上陸する見込みです。繰り返します、大型の台風25号ですが、さらに勢力を強め、北上中です。該当地域の方は厳重な警戒をお願いします。海や川には絶対に近寄らないでくでください。繰り返します、気象庁の発表によると――』
台所のラジオからアナウンサーの声がノイズまじり漏れる。朝が早い婆ちゃんは、もう活動開始らしい。
軽く欠伸が出る。結局、眠られなかった。
――
あの声が脳裏に灼きついて離れない。でも、お陰で冷静になることができた。頭のなかで隙間だらけの場所に、パーツがはまったとでも言えば良いか。
言ってみれば、盆正月にやってくる部外者。姉妹が抱く感情は、珍しさと、懐かしさ。ノスタルジーから。それは分かる。
(一人になりたい)
こっちに来てから、そっとしてくれない二人のおかげで、賑やかで仕方ない。それが嬉しいと思うし、愛しいと思う自分がいて、二人に甘えたくなる。でも、ブレーキをかける自分がいる。
ぽっかりと、頭の中に空いた穴をずっと感じていた。
ずっと引っかかっていたんだ。
頭の中を穿った穴について思いを巡らせば、微量の電流が流れるような感覚を憶える。それでも巡らせば、雨音が頭の中でひっきりなしに打って。
雨はあっという間に、溢れていく。多分、川が氾濫したんだと思う。ごうごうと濁流に飲まれて――あぁ、そうか、と納得した。これは、俺が川に飲まれた時か。辿れば、視界が真っ白になるくらい、思考がフリーズしていった。
――あの夏、あの子達に迷惑ばかりかけていたんだ。
それにようやく、気が付く。
勝手口から外に出た。
僅かに空の端が滲む。もう少ししたら、焼け付くような日差しが、地表に突き刺さる。その日差しからできるだけ逃げようと、俺は獣道へと足を踏み入れる。
かさっ。
腐葉土を踏みしめ、竹林の中へと進む。行く当てはない。ただ、なんとなく。五年前も気持ちが抑えきれないまま、竹林の奥へ迷い込んだ気がする。
あの時は俺を避ける
「あらら。これは珍しいお客ですねぇ」
「……へ?」
目をパチクリさせる。まだ、俺は夢でも見てるのかと思った。目の前の切り株に、甚平を着込んだ猫が、
「お久しぶりですねぇ、坊」
「は……?」
「あぁ、坊は憶えてないんでしたか。ですが、あっしが
ぴょんと、猫が跳ぶ。さっと、頭を撫でられた。
「あのクソエロジジィときたら。ひどい
「え、っと……?」
甚平姿の猫は一人、勝手に感心をしていた。これほど、自分を置き去りにする夢を見るのって、初めてじゃないだろうか。
「これで、どうでやんすか?」
猫が煙管の煙を深く吸い込んで。それから、俺に吹きかけた。
なぜか、ハッカの匂いが薫る。
なんだか、頭がクリアになった気がしたのはどうしてか――。
「あぁ、あっしの名はまだ思い出してないでやんすか。いや、これだけ思い出せば僥倖。改めてご挨拶申し上げやすですまる。あっし、
「……二股?」
情報量が多くてついていけない俺だった。一方の猫は、髭をピクピク震わす。
「失礼ですぞ、坊。二つの尾が割れたから、二叉。通常、猫又ともいうが、あれは俗称。正式には二叉でありんす。二股というのなら、むしろ坊の方であろう」
所々、言葉の使い方が下手くそな猫に面食らう。そして最後の一言は、予想だにしないカウンターパンチだった。
「うぐっ……」
姉妹の想いに気づきながら、答えが出せない俺は最低だと思う。でも、きっとこの感情は一過性なんだと思う。いずれ夢から覚める。生活の基盤がココにない俺には、その資格なんて――。
「ふむ。
「は? いや、普通にダメだろ?」
「難しく考えすぎでありんす。釣り合わないとか、住んでいる場所がとか。ちゃんと思い出していないとか。忘れたのなら思い出せば良いし、釣り合わないと思うのなら、努力したら良かろう。場所が違うのなら、一緒に住みんさいや。あっしらの巫女を攫っていった坊が、今さら何を遠慮するんじゃらほい?」
相変わらず、変な言葉遣いにどう反応して良いのか分からない。
「そんな坊より、あっちの坊の方が、よっぽど
さらさら、と風が吹く。
竹が揺れた。
二叉に合わせて視線を向ければ。
視界が歪がんで――それから。まるで、チューニングをあわせたかのように、ピントがあう。遠いのに近い。はっきりと視認できる。そんな不思議な感覚に呑まれた。
少し小高い丘で、どっかの
「もう一回、言ってみろ!」
「佐竹の
「バカの意味がわからんが?」
「男は男と遊べよ! なんで女とつるむんだよ!」
「友達だからに決まってるだろ?」
「男と女が友達とかありえねぇよ!」
「なんで、だよ?」
「だって、それが普通だろ?」
「普通って、なんだよ?」
「男は男と遊べって。それが当たり前のコトじゃん。第一、あいつ
俺は目を大きく見開く。
あの
くだらないガキのケンカだった。5年生にもなれば、それぞれミュニティーができる。紅葉が男子と駆け回っている姿は異常に見えたんだろう。こいつの言っている意味が当時、まるで分からなかった。
今なら、こいつの気持ちが分かる。
この
この
紅葉に「普通」を焚きつけた。それが、5年生の夏、隣に紅葉がいなかった理由なんだと思う。それで満足できず、
だって見てしまったんから。
それでも
この
「お前のせいで――」
「お前がいるから――」
殴って、殴って。蹴り返して、殴って。鼻血が出て。掴んで、押し倒して。殴る。殴られる。殴って、噛みついて。土を舐める。じゃりじゃりとした感触が、口いっぱいに広がって。
俺のことを避けるように、背を向けて。
妖怪の嫁が、どういう意味をもつのか。今の俺には全然分からない。
殴る。殴られる。裏返す。殴る。ぶん殴る。
紅葉と青葉を泣かすヤツは許さない。
「なんなんだよ! なんだんだよ、お前! 弱いクセに!」
「俺が
「うるせぇ! 余所者が何を言って――」
「俺は昔から、
拳が交錯して。
お互いの頬を打ちつけ。
唇が切れる。
朱色の滴が、小川に流れて。
ぼしゃん。
二人同時に、クソガキ達は小川に落ちたのだった。
■■■
風が頬を撫でるのを感じて――うっすらと、目を開ける。すでにもう、日差しが強い。
「なんつー夢……だ?」
目が覚めれば、あの小川の横で、葉っぱを鼻に詰められていた。
「あの、クソ猫?!」
がばっと起き上がる。見回せば、誰もいない。いや、そもそも猫が煙管を吹かすなんて、現実にあるものか。それに言葉遣いがムチャクチャすぎだろ、あいつ。
とんでもない夢を見たもんだと、イライラを抑えるように息をつく。
と、クスッと笑みが零れる声がして。
振り向けば、祭りの時に会った好青年――砂澤君がそこにいた。
「久しぶりって言えば良い?」
「……あの時の
なんとも言えない微妙な空気が流れる。
あれだけ喧嘩をした相手だ。
あの年は散々、父さんにも母さんにも心配をかけたことを思い出す。青は心配で泣きじゃくり、紅葉は察したのか、殴り込みに行こうとするから、止めるのに必死で。
――バカだ、ボク。こんなことなら、マサ君から離れるんじゃなかった!
――許せない、絶対、ゆるせない。まーちゃんに、こんなことした子、絶対に許さないから!
むしろ、そう言わせたことが辛い。紅葉にも青にに心配をかけた自分が腹立たしい。
たくさんの言葉はいらない。
あえて言葉にする必要もない。
もう少ししたら、俺は帰る。でも、その前に――。
絶対に、譲れないものを思い出してしまったんだ。
ワガママじゃないだろうか?
本当に最低だ、って思う。
(でも、仕方ない――)
どうして、思い出してしまったんだろう。
絶対に譲れない
気が付いてしまったんだ。
想いだけじゃ、どうにもならない
言葉にしたら、単純なのに。
未だ言えなくて。
一言、
――好きって言うだけなのに。
「紺野君が、この村にいる間は君に譲る。でも、それまでだ。しっかりと想い出を作って」
水面に映るのは、人間と天狗。
揺れる。
瞬きをする。目が霞む。
水面に映るのは、俺と砂澤君。
8/20「キミのクラスの奴らとのタイマン。ごめん、大事な友達を傷つけれて黙っていられるほど、俺、優等生じゃないんだ」
夏休みの日記帳を指でなぞる。
あの日を思い出す。
まっすぐな。純粋すぎる
もう純粋なままじゃいいられない年になって。単純に考えられなくなった。
思い出せば思い出すほどに、現実を痛感する。
と、砂澤君が立ち上がった。
ちゃぷん、と音がして。
砂澤君が石を放り投げたんだ。
二回、三回、四回。石は跳ねあがって――。
広がる波紋が、楔を打つようで。
じくじくと、胸を打つ。
砂澤君が去った後も。波紋が消えても、水面から俺は目が離せなくて――。
■■■
じくじく、胸が疼く。
まるで、今も波紋が広がり続けるように、。
砂澤君の言葉が俺の鼓膜を震わせ続けた。
「普通じゃないんだ、佐竹さんは。だって流石の君も――
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