8/15「温泉に行ったら混浴だった。ま、関係ないけどね」
「いやぁ、本当に助かったぜ! マサ坊っ!」
ガッハッハッと豪快に笑うのは、現在ギックリ腰で安静中の紅葉、青葉の父だった。
「いやぁ、祭りの前夜に頑張りすぎちゃってなぁ」
「準備で?」
「そりゃ、お前。子作りで――」
ばっしん!
奥さんと佐竹姉妹に容赦ないツッコミを腰に受け、悶絶するおっちゃんだった。うん、同情はしない。ココで女性陣を敵に回すほど、愚かじゃない。
「それで、マサ坊はどっち派なん?」
「は……?」
いきなり、何の話? 脈絡がなさ過ぎて、言いたいことがよく分からない。
「
「……へ?」
「やめてよ、お父さん」
「そういうの、本当にいらないから」
珍しく顔を真っ赤にする紅葉。そして、露骨に不快感を見せる青葉。
「紅葉派か青葉派かで、村は戦争になるからな。胸がたわわな紅葉。お尻が安産型の青葉。どっちもお買い得だと思うけれど、マサ坊はどっち派――」
「「死ねっ!」」
両サイドから、
キノコとタケノコのお菓子論争のように、姉妹を扱われたらそりゃ迷惑だろう。昨日の紅葉の反応を思い出しながら、なんとなく納得する。
「雅春君」
にっこりと佐竹のおばさん――葵さんが微笑む。その足が倒れたおじさんの腰を踏みつけているが、ここでは言及しないことが吉だと、俺は悟った。断末魔の叫びと思える声も、心頭滅却すれば、蝉の声と同化する。
「ワガママに付き合ってもらって、ありがとうね」
「……わがまま?」
俺は目をパチクリさせる。
「お墓掃除なんて、口実だから。私はね、二人と想い出を作って欲しかったの」
「「お母さん!?」」
娘の抗議もなんのその。葵さんは微笑を絶やさない。
「あら? 紅葉も青葉も学習したかと思ったのに。いつまでも、待ってくれるなんてないのよ。結局は行動した人が勝つんだから」
「「それは……」」
姉妹の声が重なる。それぞれ色合いは違う気がするけれど、二人とも後悔にもよく似た感情を滲ませる。
「お礼に、温泉なんてどうかしら?」
葵さんは、穏やかに言う。
俺は記憶を辿る。
なんとなく、憶えている。
源泉掛け流し、その名も【
硫酸塩泉に分類され、効能は疲労回復、美白効果、末梢神経障害、うつ病と科学的にもお墨付きがある。妖怪がこっそり入りに来ると言われるくらいの、知る人ぞ知る名湯だった。
(……懐かしい)
記憶が、朧ろ気に蘇る。
そういえば、一緒に飛び込んでプールのように泳いで、怒られた
んだっけ。
「あ、あのね。マサ君には悪い話じゃないと思うの」
そう囁くように言ったのは紅葉だった。
「え?」
「マサ君、夏休みの記憶辿っていたんだよね?」
「あぁ……でももう、それは止めようかと――」
相変わらず、欠けた記憶が気持ち悪いと思ってしまうけれど。過ぎ去ったことを追いかけても、仕方がないと思うようになった。
ここまで時間を使ってくれる姉妹にもう少し――。
「えぇ! そんなの、勿体ないよ!」
紅葉はなぜか不満を訴える。
「何もない
「私は――」
ボソリと青が呟く。
「……まーちゃんに忘れたままでいてほしくない」
「何、シケた面してるんだか」
俺は青の髪を無造作に、かき撫でた。
「ちょ、ちょっと。本当に、まーちゃんは昔からデリカシーがないんだから――」
「行こうか、温泉」
ニッと俺は笑って見せる。どうせなら、楽しもう。ま、あの時のように一緒に温泉に入るのは流石に無理だから。楽しむのは、結局は俺一人だとしても。そういえば、って思う。
照れ隠し――。
こうやって紅葉の髪を犬を撫でるように、クシャクシャにしたことを思い出す。。それが、やけに懐かしかった。
■■■
「Oh……」
記憶が欠落しているのは、仕方がないと思う。それを一緒に探そうと言ってくれた佐竹姉妹には感謝だ。ありがたい、って思う。この夏休み、そのまま引きこもらなくて良くなったんだから。
でも、さ。ちゃんと、教えてくれても良かったと思うんだ。
「……だってマサ君、この温泉のこと、思い出した感じがしたから。混浴なのも思い出したかなって」
「それに、聞かれなかったし」
紅葉も青も、まるで確信犯。でも、青。恥ずかしいのなら、無理に一緒に入らなくても良いと思うんだ。お前、顔が真っ赤だぞ?
「あんまり、見るな。スケベ」
「Oh……」
バシャバシャ、青の水飛沫ならぬお湯飛沫が容赦ない。そういうトコまで姉ちゃんを見習わなくても良いと思うんだ。
この温泉、時間帯で区切っている。日中の大半は混浴。それを避けたい人は男湯、女湯、それぞれの時間で入る仕組みになっていた。湯煙でほぼ視界が遮られているのは幸いだが、至近距離で両サイドにいる姉妹までは隠してくれない。
ほらアニメとかえ絶妙に隠す湯煙さん演出。しかし現実は、そんなに甘くはない。湯煙さん、仕事して、と無理難題を祈った所で辞退は好転しないワケで。最早、開き直るしかなかった。
「さすが、混浴シスターにしてマイスター。全然、動じないとわ――」
「恥じらいより、マサ君との時間を最優先したのどうして分からないかな?」
重い感情が乗った紅葉の一言に、撃沈である。ぐぅの音も出ない。
「……
コクコク頷けば、お湯がちゃぷんと跳ねる。
「こうやって、バカやってさ」
紅葉がいきなり、お湯の中に潜る。
「お、お前、バカ?!」
「お姉ちゃん、さすがにそれは――」
露天風呂内、タオル禁止。白濁としたお湯と湯煙がかろうじて、自分達のプライバシーを守る
ぷはっ。
紅葉が顔を出した。
「マサ君、大きく……なったんだね?」
「うるせぇよ! 言っていること、おっさんだろ!」
「……一皮、剥けちゃって」
「上手いこと言ったつもりか! 最低だよ、お前!」
見れば、青が羞恥に耐えきれずフルフルしてる。のぼせる寸前とばかりに、耳朶の先まで真っ赤だった。
「お前は、だから――」
ちゃぷん。
お湯が跳ねる。
あぁ、確か、以前からこういうことがあった。
女の子なのに。
まるで、女の子らしくなくて。
それが良かった。
俺もだから、どろんこになるまでコイツと走りまくって――。
「だから、
声が響く。紅葉が目を丸くした。
それから、一瞬だけ嬉しそうに唇を綻ばせて。それから、青に負けないくらいむすっとした
「よりによって、最悪のあだ名の方を思い出したんだね」
「あぁ……」
そうだった。
音あの子につけるあだ名じゃないって、拗ねて。悪態をついて。それなら女の子らしくしろって、言い合いをしたことを思い出す。それなら、と。妥協案が――。
「
あの時のように呼べば、成長した彼女は満面の笑顔を咲かせる。
「嬉しい」
ちゃぷんと、お湯が跳ねる。
ぐいっ、と腕を引かれた。
「……私のこともちゃんと呼んでよ」
置いていかれそうな。
寂しそうな目で、青が俺を見る。
「青――」
「うん、まーちゃん」
嬉しそうに、青も頬を緩ませて。
と、ざぶん――と。
お湯が跳ね上がって。
向こう側で誰かが立ち上がるのが見えた。
■■■
「「「え?」」」
思わず、俺たち三人の声が重なる。
湯煙でよく見えなかったが、頭頂部は禿げて……まわりにわずかばかり髪の毛が残る、河童のような髪をした爺さんだった。
「「きゃっ!!」」
二人が、慌てて自分の胸を隠し――青は俺の背中に隠れる。
「青葉、
「……知らない、知らない」
いや、青葉さん。慎ましいとは思うけれど、あなたのアレがですね。俺の背中に――なんて言った日には、逆鱗に触れそうなので、紳士の俺は口を噤むことに徹した。
「ほっほっほっ」
朗らかに爺さんは笑った。
「眼福、眼福と思っていたがの。お主らを眺めていたら、のぼせてしまうわい。ここは混浴なんじゃから、ほどほどにの」
ちゃぷん、ちゃぷん。
お湯が跳ねる。
「女子にここまでさせたんだ。生ぬるい態度しておったら、尻子玉抜くぞい」
爺さんはカラカラ笑って、出て行く。
その指先が、水かきのように見えたのは――。
きっと、俺がのぼせそうだからで。
「……お、俺も、もう上がるっ!」
ざぷん。
お湯が跳ね上がったのは、俺が立ち上がったから。
「「……」」
姉妹の視線が俺のもとにに注がれた。
そう、生まれた時よりは立派になったであろう、俺の半身に向けて。
「マサ君の変態っ!」
「まーちゃんのえっち!」
ばしゃーんっ!
二人に派手にお湯をかけられたかと思えば、片腕をそれぞれ引かれ、また温泉の中に引き戻され――そして、振り出しに戻る。
(……理不尽すぎない?)
姉妹に両サイドから、腕を拘束され身動きが取れない。
俺が先に露天風呂に入ったから、二人のことは最初、見ていない。
ビックリさせようという
二人のバスタオルは、室内の洗い場に。
誰が先に出たとしても、その裸体を拝まざる得ない。
そして湯煙さんは、お仕事が終了したと言わんばかりに、明らかに薄くなって――。
「Oh……」
うちの婆ちゃん達が入ってくるまで、この無意味な駆け引きは続いたのだった。
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