第25話 塔の上で語られる十二年前の出来事

 塔のてっぺんは、高い塀にぐるりと覆われている。翼竜が数体降り立つことも出来そうな広さだわ。


 遠くに見える青々とした魔女の森は、地平線のどこまでも続くように見えた。高いところから見ると、なおさら、その大きさが伝わってくる。

 森の方を眺めていると、フェリクス様に手を引かれた。振り返った側に広がっていたのは、賑わう街の風景だった。

 

「気持ち良いだろう。ほら、見てみろ。街も一望できる」

「はい。とても素敵です」

「あの辺りだな、今日行った目抜き通りは。あっちが職人通りで──」


 フェリクス様が指さす方に視線を向け、昼間のことを思い出す。

 領民の皆さんは、本当に生き生きとしていて、フェリクス様のことが大好きなんだって伝わってきた。それはきっと、彼も感じているんだと思う。だから、お仕事熱心で忙しいと管理棟に籠られることもあるのだろう。


「アリスリーナ?」

「……本当に、素敵な街ですね。フェリクス様が大切にされているって、今日一日だけでも伝わりました」


 私の言葉に、フェリクス様はそうかとだけ頷いた。

 風がドレスの裾を大きく揺らして抜けてゆく。


「アリスリーナの目には、どう映った?」

「ここは、王都とは違った意味で豊かだと思いました」

「豊かか……」

「はい。王都の庶民は常に貴族の顔色を窺っています。商売人は媚を売り、貴族同士も家柄を気にし」

「さらに揚げ足取りをして、失脚を狙う者もいる」


 バスケットボールの中から取り出したブランケットを床に広げたフェリクス様は、そこに私を招くと、大きなサンドイッチの包みを取り出した。

 膝の上に置かれる包み紙はずしりと重たい。その重みの向こうに、サンドイッチを売っていた少年の笑顔が見える。


「辺境の地で、他の貴族との係わりは分かりません。でも、少なくとも、フェリクス様は領民に愛されています」

「俺が愛されている訳ではない」

「……え?」

「領民は先代辺境伯、俺の父を英雄視している。だから、俺にも期待をしているんだろう」

「どういうこと、でしょうか?」

「俺の両親はスタンビートで死んだと言っただろう。あの時、ダンジョン内で鎮めきれなかった魔物は、ここまでやってきた」


 街に魔物を入れる訳にはいかない。ダンジョン管理棟の魔術師総出で応戦した。──当時のことを語ったフェリクス様の瞳が少し細められる。そこに浮かぶ色は、憎しみというより悲しみ、いいえ、それとは違う私の知らない感情のように見えた。


 横顔を見つめていると、フェリクス様は手に持っていた包み紙をブランケットの上に置いた。そうして、おもむろに私を振り返って頬に触れ、壊れ物を扱うように撫でた。

 ジュリアン様にもそんな風に触れられたことのない私は、口から心臓が飛び出すんじゃないかってくらい驚いてしまった。きっと、頬は真っ赤になっているわ。だって、いつも温かいフェリクス様の指先が、少しひやりとしているんだもの。


「フェリクス様、あの……」

「あの日、両親は俺の目の前で死んだ」


 突然の告白に、私は言葉を失う。

 あまりの衝撃で、息を上手く吸い込めなくなり、ひゅいっと変な音が口をついて出た。


「魔物は街まではいかなかったが、この屋敷にはやってきた」


 淡々としたフェリクス様の声に、背筋がぞくりと震える。

 もしかしたら、今、私が座っているここに魔物が立っていたかもしれない。遠いと思っていた存在が、とたんに近くなった気がした。


「飛行タイプの魔物はやってこない。そう信じて、友人たちとこの塔に逃げ込んだ」

「ご友人がいたんですね」

「……すっかり忘れているんだな。いや、あんな悲惨な光景は忘れた方が良いか」

「フェリクス様?」

「いや、いい。忘れてくれ。──この塔は魔法でしか扉を開けられない。その上、魔法で強度も上がっているから、外からの攻撃には強いんだ。だから、俺たちは外が静かになるまで、この中で息をひそめていた」


 話を聞くにつれ、鼓動が早まっていく。背中を冷たい汗が滴り落ち、耳鳴りがフェリクス様の声を遮ろうとした。


「その時、幼い娘が一人いてな。気丈に涙をこらえて兄にしがみ付いていた」

「……え?」

「大切な友人と幼い淑女を守らないと。ヴィンセント家嫡男として怪我をさせてはいけない。俺はその思いで恐怖を押し込めていた」


 幼い娘とその兄。どうしてか、それに私は自分自身を重ねていた。


「どれくらい身を隠していたか、ずいぶん静かになった時、様子を見るため、俺は友人たちをここに残して外に出た。その先は……子どもが見るには、惨いものだった」


 血塗られた薔薇の花に、息絶えた魔術師。魔物の放つ瘴気と血の匂いが立ち込める情景を、彼は惨いものだと、さらり言葉にする。

 あの情景をそんな短い言葉で言い表すなんて──え、あの情景? 私は、知っているの?

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