第24話 塔を上りながらみる背中は大きかった

 さらに進み、屋敷の最奥にある扉を開けると短い渡り廊下があった。

 温かな風が吹き、髪を乱して抜けていく。

 地上から20メートルはあるかしら。風が吹き抜ける廊下を渡るのは、少し勇気が必要だった。


「大丈夫だ。ほら」


 戸惑っていると、フェリクス様は私の手を引いて外に出てしまった。

 なんて強引な方だろう。だけど無理強いをするわけではない。大きな手はしっかりと私の手を掴んでいて、むしろ私は、そのぬくもりに安堵していた。

 前を歩く大きな背のおかげもあって、吹き抜ける風もあまり気にならなかった。


 廊下を渡りきった先にあったのは頑丈そうな扉。木で出来た扉は鉄の枠で覆われるように、幾何学模様のレリーフが施されている。

 まるで魔法陣に見えるレリーフを見て、扉にドアノブがないと気付いた。

 どうやって開けるかしら。

 不思議に思っていると、フェリクス様の大きな手が扉にかざされた。そうして「開錠アンロック」と声が静かに響く。

 キィンッと小さな耳鳴りを感じた直後、扉のレリーフが輝いた。やっぱりあれは、魔法陣だったのね。


 重たい音を立てて、扉が上がっていった。


「ここからさらに上るぞ。大丈夫か?」

「平気です。体力には自信があります」

「はははっ! 頼もしいな」


 笑い飛ばすフェリクス様に先導され、私は階段を上り始めた。


「この塔は、物置ですか?」

「ああ。武器庫でもあるが、見張り台でもある」

「見張り台?……この地方は敵国とは隣接していませんよね?」

「そっちじゃない。ほら、あれだ」


 塔の小窓から見えたのは、生い茂る森──ダンジョンだ。


「ダンジョンは魔物を捕らえているが、万全じゃない。警戒が必要な時期っていうのもあるからな。その時、見張りが必要になる」

「警戒が必要な時?」

魔物の暴走スタンビートは知っているな? その発生には原因がいくつかある」


 魔物には、動物を餌とするものばかりではない。そのため、森の果実が不作だった場合、出てくることもあると聞いたことがあるわ。果実を主食とする魔物が減れば、それらを餌とする大型のものも外に出ようとする──そういうことかしら。


「特に増加傾向が激しい時は要注意だが、減少もいき過ぎると、知性を持った魔物が先導して狩場を広げようとする」

「狩場が、ダンジョンの外になることもあるんですね」

「ああ。特に、この街は魔女の森から近いから、そういう時、標的になりやすい」

「……魔女の森」

「絵本を貸しただろう。あの伝承から、そう呼ばれているんだ」


 言われて私は、やっぱりそうだったんだと思う。

 少し高いところまで登って来たからか、小窓から見える森はさらに大きく左右に翼を広げるように見えた。


「大きなスタンビートはそう起きないが、時にはここで警戒する。そして飛行タイプの魔物が来た場合は、ここで身を隠しつつ狙い撃つ」

「だから、小窓なんですね」

「そういうことだ」

「あの、以前この街が襲われたことはあるんですか?」


 何気ない問いに、フェリクス様は開いた口を一度閉じた。そうして、少し神妙な面持ちで「ある」と答えた。

 私の手を引いていた彼の手に、少し力が込められた。そこから伝わってくるのは奇妙な緊張感。


「──ある。十二年前、俺の両親はそれで命を落とした」


 告げられた真実に、息がつまった。

 十二年前といえば私は五歳だ。スタンビートが発生したとなれば、王都だって少しは騒いだろう。幼かった私に、あまりその記憶はないけど。


 だけど、なんでだろう。


 階段を上りながら、黙ってしまったフェリクス様の背中を見て不安を感じていた。それに、どうしてだろうか、その大きな背中を知っているような気もする。


 しばらく続いた沈黙の後、フェリクス様は一つの扉の前で立ち止まった。そこにも、ドアノブはない。

 再び開錠の魔法が唱えられる。

 直後、私は吹き込む風と眩しい日差しに、思わず目を閉ざして顔をそらした。


「アリスリーナ」


 呼ぶ声にそっと目を開ける。そうして手を引かれた先に広がっていたのは、どこまでも続く大きな青空だった。

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